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浦和レッズ 記事まとめ

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#浦和レッズ30年

2月27日(2022年) 6度目の挑戦で初めての皇后杯優勝

 妻夫木聡らが出演している宝くじのTVCMの最新版を見るたびに、子どものころ考えたことを思い出す。  何で2月だけ28日までなんだろう。31日まである月のうち2か月から1日ずつ持ってくれば30日になるのに。  そしたら1年のうち30日の月が7回で、31日の月が5回になるから、たとえば1月から7月までは30日で、8月から12月までは31日にした方がわかりやすいだろう。あるいは、その逆か。  うるう年のときは7月を31日にすればいい。28日って短すぎるじゃないか。  俺ってす

2月26日(2013年) 5年ぶりのACLで衝撃 広州恒大に完敗

 2013年2月26日(火)、浦和レッズは中国の広州天河体育センターで広州恒大とAFCチャンピオンズリーグ2013のグループステージ第1戦を行い、0-3で敗れた。  レッズのACL出場は5年ぶり。前回のACL2008が終了してから大会のレギュレーションが大きく変わったのは知っていた。  最も大きな変更は賞金で、グループステージから1勝するたびに数百万円の賞金が出て、ノックアウトステージ進出が決まると、さらにまとまった賞金が出る。ノックアウトステージからは賞金額が跳ね上がり、

2月22日(2017年) シドニー空港でエミリーに会った

 2017年2月22日、僕はシドニー空港のカフェでエミリー・ギルニックと遭遇した。  おそらくレッズのファン・サポーターでエミリーを覚えている人は何人もいないだろう。レッズレディースを応援している人なら知っている確率はかなり上がるが、それでも多くはないはずだ。  彼女は、2016年8月から10月までの短い期間、浦和レッズレディースに期限付き移籍していたオーストラリア女子代表のFWだった。  2017年2月21日、ACLグループステージ第1戦でウエスタン・シドニー・ワンダラ

2月21日(2020年) 波に乗れたはずの4年ぶりJ開幕戦勝利

 2020年2月21日(金)、浦和レッズはShonanBMWスタジアム平塚で湘南ベルマーレとJリーグ開幕戦を戦い、3-2で勝利した。  すでに5日前、ホームの埼玉スタジアムでベガルタ仙台にYBCルヴァンカップの初戦を5-2で勝利してシーズンの幕を開けていた。  この湘南戦はJリーグの開幕というだけではない、勝ちたい背景があった。  前年、金曜日に行われた試合、いわゆる「金J」でレッズは7戦7敗。すべて負けていたのだ。週末の前とは言え、平日に仕事を終えて駆け付けてくれたサポー

2月16日(2020年) 最も早いホーム開幕戦は、不安を吹き飛ばす5得点快勝

 2020年2月16日(日)、浦和レッズは埼玉スタジアムでベガルタ仙台とJリーグYBCルヴァンカップの第1節を行った。前年、同じ日に川崎フロンターレと富士ゼロックススーパーカップを戦ったが、これが現在のところ、最も早いシーズンの初戦であり、史上最も早いホームゲームとなっている。  2016年:ルヴァンカップ、2017年:ACL、2018年:天皇杯。3年連続ビッグタイトルを手にしてきたが、2019シーズンは、ACLでは決勝まで勝ち進んだものの準優勝に終わり、リーグ戦では勝点2

2月18日(2017年) 再燃した、年間勝ち点59のチームに優勝された憤り

 2017年2月18日(土)、浦和レッズは日産スタジアムで鹿島アントラーズと富士ゼロックススーパーカップを戦った。  前年、Jリーグも天皇杯も優勝していないのにスーパーカップに出場するのは2回目だった。  2016年、レッズはJリーグ1stステージ10勝3分け4敗、2ndステージ13勝2分け2敗。通算23勝5分け6敗の勝点74を挙げ、年間勝点1位となった。かつてレッズがJリーグ優勝したときの勝点72を上回る自己最多であり、同じ2ステージ制の2015シーズン、サンフレッチェ広

2月13日(2011年) 期待したサッカーとは違う。しかもJ2の鳥栖に負け

 2011年2月13日(日)、浦和レッズはベストアメニティスタジアム(現・駅前不動産スタジアム)で、J2のサガン鳥栖とプレシーズンマッチを行い、1-2で敗れた。  この年、就任したゼリコ・ペトロヴィッチ監督率いる新生レッズを初めて見る機会とあって、プレシーズンながら多くのレッズサポーターが駆け付けた。  7分という早い時間に失点。CKから豊田陽平にヘディングシュートを決められたが、17分、田中達也がPKを獲得しエジミウソンが決めて同点。しかし67分に決勝点を奪われた。  敗

2月14日(2015年) 快進撃を予想させるシーズン初「タイトル」

 2015年2月14日(土)、浦和レッズは鹿児島県立サッカー・ラグビー場で、清水エスパルスと「Jリーグ・スカパー! ニューイヤーカップ」の第3戦(最終戦)を行い、5-3で勝利した。この結果、レッズは同大会の鹿児島ラウンドを2勝1分けで優勝した。 「ニューイヤーカップ(NYC)」はJリーグと、当時のオフィシャルブロードキャスティングパートナーのスカパー!が主催する大会で、それまでキャンプ中のトレーニングマッチとして行われていた試合を、公式戦とほぼ同じ仕様で行うもので、観戦は無

2月11日(2008年) 実弾射撃がグァムキャンプ最大の思い出

 2008年2月11日(月)、浦和レッズはグァムでトレーニングキャンプを開始した。  前々年のシドニーキャンプも日本の8月並みの気候で暑かったが、グァムは赤道近くだから。灼熱とまでは言わないがかなり暑かった。ときどきスコールが来たが、濡れてもすぐに乾いてしまったような記憶もある。  シドニーでは途中海へ行って全員で食事をするという、完全オフの遠足みたいなレクリエーションの日もあったが、グァムではそういうチーム全体での楽しみはなかったと思う。オジェックとギドの違いなのだろう

2月12日(2022年) 2つの意味で衝撃的だったスーパーカップ 

 2022年2月12日(土)、浦和レッズは日産スタジアムで川崎フロンターレとFUJIFILM SUPER CUP 2022を行い、2-0で勝利した。  まだ1年前だし、良い意味で衝撃的だったから記憶に新しい。  衝撃的だったことの一つは、もちろん前年Jリーグチャンピオンの川崎にほぼ完勝と言っていい内容でレッズが勝ったことだ。相手の仕上がりがどうとかいうことは関係ない。昨シーズンから続けてきたリカルド監督のサッカーが攻撃的に花開いて多くの観衆の前で披露できた。  どおり幸先の

2月10日(2006年) シドニーキャンプスタート

 2006年2月10日(金)、浦和レッズはこの日からオーストラリアのシドニーでトレーニングキャンプを行った。  ギド・ブッフバルト監督になって海外キャンプは2回目。2004年は同じくオーストラリアのアデレードがキャンプ地だったが、僕は行かなかった。  2005年2月に埼玉新聞社を辞めてフリーになったので、それまで会社に遠慮して行かなかった海外キャンプにも行くようにした。だから僕にとっては初の海外キャンプ取材だった。  ちなみに、このシドニーキャンプは2月21日までだったのだ

2月9日(2007年) 二度目のオジェック監督のことを「risoNAVI」に書いた

 今日も自分のメモから引っ張ってきた話。  2007年の2月9日(金)、僕はクレジットカード会社の広報誌「risoNAVI」3月号に掲載する原稿を入稿した。 「risoNAVI」はりそなカードのユーザーに、使用明細書と一緒に毎月送られる広報誌で、当時りそなカードは浦和レッズのパートナーだったので、毎号レッズのこぼれ話を披露するコーナーがあり、それを僕が担当していた。  そんな話、別に聞きたくない? もう少し我慢を。  僕は2005年2月、24年間勤務した埼玉新聞社を退職し

2月8日(2012年) 地域放送文化賞の受賞はJリーグが地域に貢献している証

 今回も個人的な話になるが、レッズに関した話であることは間違いない。  2012年2月8日(水)、僕はNHKから「関東甲信越地域放送文化賞」をいただいた。  2008年からレギュラーコメンテーターを務めていた、NHKさいたま放送局の番組「週刊サッカー王国」が評価されてのことだった。  NHKの「関東甲信越地域放送文化賞」は、関東甲信越地域で地域の文化や生活、産業などの分野での発展に功績をあげた人(団体)、またNHKの放送等諸活動に貢献した人(団体)を顕彰するもので、全国版

2月7日(2016年) 2シーズン半で3つの「タイトル」をもたらして行った男

 2016年2月7日(日)、浦和レッズは湘南ベルマーレから移籍した遠藤航の新加入記者会見を行った。  湘南ベルマーレのキャプテンで、センターバック、リベロ、ボランチなど守備の要所をこなし、しかもまだ22歳という若い選手。当初は遠藤航に関する「事実」しか情報を持っていなかった。  あと前年のJリーグ開幕戦で湘南と対戦したとき、レッズに対して先制点となるPKを決めた男、という印象も強かった。  しかしレッズでのプレーを見るに連れ、その「事実」がどんどん肉付けされていった。各ポ