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2月8日(2012年) 地域放送文化賞の受賞はJリーグが地域に貢献している証

 今回も個人的な話になるが、レッズに関した話であることは間違いない。

 2012年2月8日(水)、僕はNHKから「関東甲信越地域放送文化賞」をいただいた。
 2008年からレギュラーコメンテーターを務めていた、NHKさいたま放送局の番組「週刊サッカー王国」が評価されてのことだった。

 NHKの「関東甲信越地域放送文化賞」は、関東甲信越地域で地域の文化や生活、産業などの分野での発展に功績をあげた人(団体)、またNHKの放送等諸活動に貢献した人(団体)を顕彰するもので、全国版のものは知っていたが地域版もあるとは、このときまで知らなかった。

 番組の「週刊サッカー王国」は2008年9月19日、毎週金曜日の18時30分から19時まで30分の枠で始まり、その後18時から18時50分に拡大された。
 この番組開始日を覚えていられるのは、アウェイのさいたまダービーで雷雨中断が開けた後、高原直泰が決勝点を挙げて勝った試合の前が第1回だったからだ。この試合が9月21日だったということは毎回、資料を調べないといけないが、その前の金曜日、という覚え方は15年経った今でも忘れていない。

「週刊サッカー王国」という番組名は、浦和レッズと大宮アルディージャという2つのJ1クラブ(当時)を抱えるまち、という意味だが、それ以外に「サッカー王国」を名乗れる理由、すなわちタイトルがなかなか獲れなかったのが残念だった。

 僕はそれまで「書く」か「撮る」のが、仕事のほとんどを占めていたが、週に1回、トータルして15分にもならなかったと思うが「話す」ことが仕事に加わり、大いに刺激をもらった。特にアナウンサーの野地俊二さんがメーンキャスターだったときは、予定していない話をどんどん振ってくるので、ずいぶん鍛えられた気がする。

 表彰式のあった2月8日、僕とアルディージャ担当のコメンテーター土地将靖さんは、渋谷のNHK本社に出向き、賞状と記念品をいただいたのだが、同時に受賞された他の県の方々はみんな、その地域の歴史の研究とか伝統文化の保存などの活動を長い間地道に続けて来られた方ばかりで、この中に交じって自分たちが表彰されていいのか、という引け目を感じたものだった。

 挨拶を、と言われて話したのは「自分たちがこの賞をいただける理由は、Jリーグそのものが地域に貢献しているからに他ならず、それを番組として毎週制作しているNHKさいたま放送局が素晴らしい」というようなことだった。
 各クラブからの情報発信番組ではない、第三者の立場で、あるときは批判もする番組は貴重だと、あらためて感じたものだった。

 番組はその後、別の番組の1コーナーへと縮小し、現在はそれも終了して、僕は週1回の緊張から解放された。
 いま思うと、レッズはもっともっと地域のものになっていかなくてはならないと思う。それは勝利とタイトルを追求することと並行して、同じくらいのエネルギーを注入してやらなくてはならないことだ。
 たとえばレッズの活動が、新聞のスポーツ面以外にもたくさん載るようになってほしい。それが、チームではなくクラブとしての浦和レッズが地域から本当に愛されることにつながるはずだ。

 ところで表彰されている写真もいただいたし、賞状もどこかにあるはずだが、すぐには出てこなかった。トップの写真は、さいたま局が作ったクリアファイルの端に載せてもらった僕と土地さんの似顔絵。どっちが僕か言う必要はないが、少し可愛いすぎるな。

こんな写真、ありました。スタジオで泉浩司アナと

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