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#75 日記療法無駄を楽しめると人生楽かも?

日記療法1回目 

日記療法についての簡単な説明はこちら↓。

2021.8.29の日記

サインバルタ60mg21日目、トータル53日目。

一週間以上日記を書かなかった。

何故だろう、「気が向いたら書けばいい」と言う言葉に甘えてしまったのか。


「提出」という課題が生じると

途端にそれが義務のようになってしまって


やりたい事、やっていて楽しい事だったものが


やらなければいけない事


のように感じてしまったのか。


それとも過緊張か。


というのも、

カウンセリングの先生のところに行ってからは少し予定が立て込んでいた。

カウンセリングを受けた日の夜に後輩から食事に誘われて食事をした。

その次の日は教授面談があって、

その次の日にはマンションの修理の人とのやり取りがあった。

その辺りから睡眠が乱れ、

朝起きるのが遅くなってしまった。

(なんて事ない予定ですが、
今の僕にはこれくらいの予定でもとても疲れるのです)


この1ヶ月半の間、

人とろくに会話していなかったから

無意識のうちにエネルギーを消費していたのかも知れない。

でも仕事に復帰したら毎日人と話す。

というよりそれが健全な人間の行動のはず、

こんな事で疲れている様ではまだまだ道のりは長そうだ。


カウンセリングで女性の話が出た(パートナーや悩みを相談できる女性はいないのかなど)が、

カウンセリングの後に食事に行った後輩は女性だった。


病気の事もあるし本当は行きたくなかったが、

以前も同じような誘いを受けて、それを断っての今回だった。

再度誘われたため断りづらくて渋々食事した。

誘われたのは自分なのに、

相手が後輩でさらに女性だったから食事代はこちらが出した。

男と言うのは面倒くさい。

でも緊急事態宣言があったから20時には帰る事ができて良かった。

ただ、

振り返るとリハビリにもなったし、

なんて事ないしょーもない話をして時間を過ごせたのは

良かったのかも知れない。



いちいち生きる事に意味を見出そうとして、

何をやるにも

「これは俺の人生にとって重要な事なのか」


とか自問自答してしまう自分を少し濁せたかも知れない。



何の意味もなさそうな時間、

と言うのが意外と意味があったりすると言うのは何となく理解できるけど、


意味なくダラダラ過ごしてそれで

「人生とはこう言うものだ」

と言われても説得力に欠ける。


仕事では目的を持って効率的に動き、

それ以外では効率を考えない?

そんな事はないだろう。

ゲームだって何だって上達するには効率が重要だ。


あ、分かった。


重要なのは’楽しむ’と言う事だ。


楽しんでいればゲームだって誰かとの食事だって、

意味のない時間でもストレス発散になるし体や心にもいい。


じゃあ乗り気がしない食事の誘いは?


どうも僕はグラデーションの部分の判断が苦手なようだ。


普通の人はそんな事考えてないだろうけど、

この辺がハッキリしないと

自分としてはどう処理していいか分からなくなる。


困ったものだ。

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