日記「このあとめちゃくちゃ砂浴びした」
キーボードを安いやつから比較的良いやつに買い替えた。
そしたら打つのが楽しいのなんのって!
ちゃんとしたキー軸だから、押して戻る時に反発があんの!それが楽しい。
もしこれを読んでいるあなたがキーボードに不満があって、でもまだ使えるしな〜って買い替えを悩んでるなら、今すぐ買い替えた方が幸せになれます。
自分に価値がない。
そう思うと辛い。じゃあそう思わなければいいじゃん。実際価値がないにしても、自覚したり何度も再認識する必要ないじゃん。
なのにわたしは何のために自分をそんなにいじめるんだろう。
きっと誰かに当たりたくて、怒りたくて、誰かのせいにしたりしたいけど、そんな自分は許せなくて、その後のことを考えたらそんな言葉は誰にも言わない方が良くて。
だからやるせない気持ちや焦りやぶつけようのない怒りを全部自分自身にぶつけてるんだろう。正当な分から、不当な分まで。
それをやめられたら楽になれそうだけど、そうやめられるものではない。
自分で自分を攻撃していれば、他人にそれ以上攻撃されない気がするから。
自分のHPは100しかないのに、自分で60攻撃して減らすようなことをずっとしてる。
他人から120攻撃されるだろうと勝手に思って。
自分で自分がカスだってわかってますよ〜それを自覚してもう責める役は自分でやってますよ〜だからこれを見たあなたは責めないでね〜、って。
この理屈のある様で無い自傷をやめないと、どんだけ社会的地位や収入や友達や家族を手に入れても功績を作っても、もっと上を見てまた責め続ける気がする。
禍福は糾える縄の如しって、真実らしい言葉なのに全然真実じゃないな。
禍しか感じられないから。
福はわたしの傍にあるのかもしれないけど、全然感じられないよ。
客観的に論理的に頭で考えたら、幸せな方なのに。
今雨風凌げてるし。キーボードも新調できて。バイト休んでるのに店長の鬱への理解が高くてなんとかなってて。住む家があり、家族は生きてる。
もっとある。他にもある。幸せにカウントできるような事。それを持ってない他人が見たら羨むかもしれないこと。
頭でカウントできていても、心のカウンター(CITIZEN製デジタル表記)はまったくのゼロしか示してない。
だからわたしは持たざる者だと感じるし。幸せだという実感は無いし。
禍福の禍の方を感じ続けた結果そっちに敏感になって。いつまで経っても福が来ない。
なんか辛気臭い話ばっかりだな。
何?この上の文字。1022字も使って何書いてんだ。貸せ。わたしが楽しい話ってやつを見せてやる。
わたし小さい頃カートゥーンネットワーク見てたんですよ。
CS放送かな?あの海外のアニメばっかり放送し続けてるチャンネル。
そこでアニメとアニメの間にアニメのCMがあって。バットマンのアニメ。
そこでナレーションがこう言って番宣を締めるんです。
「君の五感を…刺激する。」
って。
小さいわたしは「五感」なんて難しい言葉は知らんのです。
その代わり「股間」は知ってた。エロガキだからね。だから、
(え…!?君の股間を刺激する!?バットマンが!?あの暗い渋いアニメが股間を…!)
って勘違いして腹抱えて笑ってた。
そういう話。
どうだったかな?楽しい話はできただろうか。
君の五感を刺激できていれば幸いだ。
あ〜。手塚治虫の『三つ目がとおる』の和登サンと写楽保介ってすっっごいおねショタですよね。
小学校の図書館にあったけど、あんなふんわり過ぎて逆にハードなおねショタは性癖を壊しますよ。
それでいて実際展開も毎回ちょっぴりエッチなのだからな。すごいよ。
本当に司書さん内容読んで図書館に入れてます?
手塚治虫ってフェチがものすごい事で有名じゃあないですか。
『ブッダ』でも蜂蜜を全身に塗った女性が幽閉された男に舐めさせるとことか、あるし。
でも確かに小学校でアトムに出会ってないと高校で『PLUTO』で出会った時最大に楽しめないしなぁ…。
それを考えたら確かに手塚治虫を入れる司書さんの判断は正しい。
小学校の図書館に『GANTZ』を入れることは容易いかもしれないけど、『GANTZ』じゃあその後の楽しみが…いや、奥先生初の時代劇作品のあれに高校で出会えばいいか。
じゃあ『GANTZ』も入れてください。『ハルシオン・ランチ』もついでに入れてください。
わさびのことを"川上さん"という隠語で呼ぶこの社会で生きるには、小学生の頃から楽しい漫画に出会っていた方がいい。
それがわたし、熱い心根持ったバカヤロウからのメッセージです。
これをいつもよんでくれてる小学生のみんな!忘れんなよ!むらさきかがみを!じゃあね!
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