136.幸せなふりをする人がいる、不幸にしがみつく人がいる。どちらも自分の心の中では、ばれているんだよ!
本当の不幸と本当の幸せ
本当の幸せってなんでしょうね。
本当の不幸ってなんでしょうね。
本当は幸せも不幸などもすべて心(脳)の幻想でそのもの自体は存在していないという考え方もありますが、それではどこかの宗教の「あると思えばあり、ないと思えばない」ということと同じで、それでは何もこの世には存在しなくなってしまいます。
また、あの世だって、あると思えばあり、ないと思えばないというならば、「ある」と思って生きても良いし、「ない」と思って生きても良いわけですから、「ある」と思って生きれば楽しくなるかもしれません。
本当の幸せはとても小さなことです。
「雨に感謝する」
「風に感謝する」
「太陽が照らしてくれる」
「青空がとてもきれい」
「自然や木々、花々が美しい」
「息ができる」
「目が見える」
「手足が動く」
「歩ける、又は自然に触れる」
「ああ、今朝の空気はおいしいなあ」
「家族のみんなが元気で生きていて、嬉しい」
「また、あの人と会える」
「好きな人に出合う」
「亡き父や母を思い出す」
「亡き妻や友人を想う」
「幼き頃を想い出す」
「家族を愛する」
「友達や異性を愛する」
「動物を愛する」
「頑張ってきた自分をほめる」
「苦しかったことに感謝する」
「悲しかったことに感謝する」
「寂しかったことに感謝する」
「嬉しいこと、楽しかったことを想い出す」
「未来の自分に語りかける」
「この世を去った人に語りかける」
「思い出す」
こんなことが本当の幸せ。
©NPО japan copyright association Hiroaki
その幸せ感があれば、一瞬の寂しさなど消えてしまう。そして、それも幻想だというのなら、とても素敵な幻想とともに生きていくのも幸せの方法ですね。
幸せ自慢も、不幸自慢も、聞く側にしてみればまずい味のものを、無理やり食べさせられているのと同じかもしれませんね。
coucouです、みなさまごきげんよう!
今日も読んでくれてありがとう。
私たちは小さな小さな幸せをたくさん集めて、その小さな幸せがやがて大きく育つように思えます。毎日の生活の中には、小さな幸せがたくさんありますね。もちろん、小さな不幸も大きな不幸もあります。
でもね、その小さな幸せの積み重ねはきっと、そんな不幸に立ち向かえると思うのです。それに、幸せと不幸は自分が勝手に決めつけている場合だってあるからね。
「心の貧しい人は、幸いである」
聖書箇所:マタイによる福音書5章1~12a節
イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。
心の貧しい人々は、幸いである
悲しむ人々は、幸いである
柔和な人々は、幸いである
義に飢え渇く人々は、幸いである、
憐れみ深い人々は、幸いである
心の清い人々は、幸いである、
平和を実現する人々は、幸いである
義のために迫害される人々は、幸いである
と、イエスは語っています。
©NPО japan copyright association Hiroaki
幸せな人は、目の前の幸せには気づかない。それは幸せだから。
不幸の人は不幸なのだから、目の前の小さな幸せであってもすぐに気づく、といいます。
心の貧しい人はわずかな金貨でも感謝し、心豊かな人はわずかだと思う。
悲しみの少ない人は、悲しみの多い人ほど喜びは少ない。
病なき者には、健康のありがたみを感じる人は少ないが、病のある者には健康は最高の幸せだと感じることができる。
本当の幸せは、本当の不幸を味わった人にしかわからないものでしょうか?
幸せな人は、本当の不幸や、本当の幸せに気づくことが出来ないのでしょうか?
いや、本当の幸せは、幸せな人と不幸な人に拘らず、すべての物事、すべてのものに感謝が出来る人が本当の幸せを感じることができるのです。
それが、人生を幸せにする方法といえるでしょう。
「幸せだ、幸せだと言い続ける人を僕は信用しない。なぜなら本当の幸せは自分が感じることだからね。」
「不幸を売り物にする人、僕はそれも信じられない。本当の不幸は言葉では伝えられないのだから」
「幸せなふりをする人がいる、不幸にしがみつく人がいる。どちらも自分の心の中ではばれているんだよ」
「そもそも「幸せ」という言葉は「状態」を表す言葉ではなくて瞬間、瞬間に感じる「感情」なのだ。」coucoさんの言葉より
では、明日ね!
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