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107.あなた、あなたに逢いたい。もう一度、もう一度、あなたの声が聞きたいの…私もあなたの後を追って死んでしまいたい…

とどかない言葉


あれから、どの位の時が経ったのでしょう…。

忘れようとしても、どうしても忘れる事ができません。

私は寂しくなると、携帯電話を手にします。

その携帯電話はあなたと私の唯一残された通信手段だからです。

私は毎日、あなたの携帯電話にメールし語りかけています。

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画像[SSphoto] 沈没するセウォル号… / スポーツソウルメディアジャパンより。

どうしてって…。それは、あなたの携帯電話がどこにあるのか、どうしているのかが分からないからです。あれから、どのくらいの月日が過ぎたのでしょう…。電話をするとまだ発信音がします。もうとっくに切れてもいいと思うのですが、発信音が聞こえるのです。


私はメールを送ることにしました。


「・・元気ですか?今、どこにいるのですか?」
「・・・」

何の応答もありません。

私の留守番電話には昔のあなたの声が録音されたまま残っています。

「おーい、これから帰るぞ・・」

「少し、遅れるよ・・」

「遅くなるかもしれない・・」

たったそれだけの言葉ですが、元気なあなたの唯一の肉声です。その言葉を耳にすると、とめどなく涙が流れてきます。目を瞑れば、まるで目の前にあなたがいるように思えるからです。

普段のあなたはとても無口でしたね。

携帯電話の操作を覚えるのはむずかしい年でしたから、随分と持つことを嫌がっていましたね。でも、お互いに何かあった場合の連絡のために持つようになりましたね。

「おーい、これから帰るぞ…」

この言葉が何十回も録音されています。それしか言葉を残せなかったのでしょうか…。もっと洒落た言葉を入れてほしかったのに…。


それでも、毎回、同じ時刻に入る伝言のその言葉を通して、私への愛情を感じる時がありました。帰りが遅くなる場合には、必ず伝言を入れてくれるからです。

決して届かない伝言ですが、私はあなたへメール送り続けました。なぜなら発信音が聞こえるからです。

「あなたは、いまどこにいるの?」
「元気ですか?子どもたちもみんな元気ですよ…」
「……」


ある日、信じられない事ですが、返信メールが入るようになりました。
それは、私が次のメールを送った時の事でした。

「あなた、あなたに逢いたい。もう一度、もう一度あなたの声が聞きたいの…私もあなたの後を追って死んでしまいたい…」
すると、

「かあさん、かあさん。悲しいこといわないでおくれ。私は元気だよ…。心配しないでほしい、心配かけないでほしい…」

突然の返信メールに私の全身が強張りました。

私は止まらない涙の中で、続けて返信をしました。

「お父さん、お父さん、あなた。私はあなたの最後にちゃんとお礼を言えなかった…。ありがとうって…。大好きな、大好きなあなた…。私と一緒になってくれて本当にありがとう」

「何を言ってんだよ!お礼をいうのは私のほうさ。こんなどうしょうもない我儘な男と一緒になってくれて、感謝しているのは私のほうさ・・」

「・・・」

私は、驚きと涙で携帯電話の画面が見えなくなってしまいました。

そして、また数日後、もう一度メールをしました。
「あなた、どこにいるの?」
何も返事がありません。


「もう一度、もう一度だけでいいから返事をちょうだい…。あなたが、この世を去ってしまったことを、私たちの子どもたちにどう伝えたらいい?年老いたあなたのお婆ちゃんにはどう言えばいい?私はこれからどう生きればいいの?」


すると、返事がきました…。

「私は元気だよ、そう伝えてくれ。かあさん、かあさんも身体を大切にしてくれ。私は大丈夫だよ。ただ、戻れないだけなんだ…。お婆ちゃんと、ゆっくり生きてほしい…。何よりもお婆ちゃん、かあさん、子どもたち、みんなを心から愛している。永遠に愛している…。決して、決して忘れない。私の人生のすべてはお前たちにある。だから何も心配しないで、人生を大切に生きてほしい…」


もう涙が止まりません…。

私はメールを打つことさえできなくなりました。

しばらくして、冷静になった私はもう一度メールをしました。

「ありがとうございます。どこのどなたかはわかりませんが、亡くなった私の主人の電話の持ち主なのですね…。その電話を大切に使用して頂き、ありがとうございます…。これからも、その電話を使い続けてください…。本当にありがとう。お婆ちゃんにも、子どもたちにも、あなたの言葉を伝えました、伝える事ができました…」

「……」


すると、数日して次のようなメールが入ったのです・・。


「こちらこそ、ありがとうございます。感謝しかありません。皆様もお身体を十分大切にして長生きしてくださいね…。また、気が向いたらこの番号にメールを下さい!」


彼は、セウォル号の船内に救出に出向き、その時偶然に携帯電話を手にし、そのメール文を読んで涙していた人でした。

あまりにも酷い、あまりにも辛い事故でした…。道具もなく、何もできず、救助活動も思うままにならず、彼は途方に暮れていたのです。彼は最後にメールしました。

「愛しています…と伝えてほしい…」と。

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韓国・ソウルで、セウォル号沈没事故の犠牲者の遺影に花を手向ける少女(2017年5月25日撮影)(c)AFP/JUNG Yeon-Jeより。



まだ、記憶に新しい事件ですが、2014年4月16日に韓国の大型旅客船セウォル号が沈没しました。規定の三倍以上もの過積載や荷崩れ、急旋回によって韓国南西部において横転沈没しました。

乗組員と修学旅行生を含む476人が乗船。完全沈没までに50時間以上あったにもかかわらず、避難誘導や救助活動の問題により、293人もの犠牲者を出しました。

当時のマスコミ報道でもわかるように携帯電話が唯一の通信手段でした。2016年7月までに中韓で引き揚げ作業を目指していますが、現在もそのまま放置されています。また船長以下、船員のほとんどが真っ先に逃げてしまった事件でした。

日本の海上自衛隊も米国も救助活動の支援を打診しましたが、韓国当局から辞退との返答があり、近隣諸国は何も支援できませんでした。
あまりにも酷い人的災害事故でした。


この〈なりすまし〉に近いメールのやり取りに、あなたは何を思うでしょうか?
セウォル号で死亡した息子にメールをしたら、「父さん、大好きです…」と返信がきた、というお話もあります。


留守番電話に「お母さん、ありがとう…」「おとうさん、怖い…」「お父さんお母さんいつまでもお元気で…」「さよなら…」「また、お母さんでいてほしい…」。


この世を去った高校生たちの留守番電話とメールには様々な物語がありました。


©Social YES Research Institute / coucou

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coucouです、みなさんごきげんよう!

このお話はすべて実話です。

私も父からの携帯電話のメッセージ、録音されたテープの声を聴きました。そこには元気な父や母がいました。

さらに20年前のテープの声も残っています。当時、いろいろな人の電話が入り、必ず、記録しておくための方法として電話機に録音機を設置していました。

この世からいなくなった父や母の声、とても不思議に思えます。目をつぶるとすぐそこにいて、いつものように話しかけているからです。

もちろん、私の声も鮮明に聞こえます。

阪神大震災や東日本大震災のときもメールが活躍しました。

わずかな言葉の中にあたたかな、優しい言葉たちが渦巻いています。

御巣鷹山の飛行機事故のときも、わずか一瞬ですが、そばにあった紙切れや手帳に言葉が残されていました。子どもや妻に贈る言葉、父や母に贈る言葉、人は最後の瞬間まで、「…ありがとう」と伝えたいのですね。ほとんどのメモには感謝の言葉と、残された者たちへの伝言はかりでした。

残された言葉は深い悲しみを誘うものなのか?それても残された者たちへの希望なのか?何かしらを託す言葉かもしれませんね。

人生の最後は、「ありがとう」という感謝しかありません。


ここまでおつきあい、感謝いたします。

また、明日!


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