見出し画像

65.もし、人生が200年あったなら、あなたはどう生きますか?

もし、人生が200年あったなら、あなたは何をしますか?
もし、人生が300年あったなら、あなたはどう生きますか?

画像3

                   ©NPО japan copyright association Hiroaki

歳を重ねると不思議なもので、
「あと10年、元気で生きられればいい…」
「私はあと、30年仕事をしたい…」
「おそらく元気でいられるのはあと、2~3年だろうな…」
「もう、時間がない…」
「あと、3年しかない…」という言葉が聞かれます。もね、時間って何なのでしょう?

時間は平等にあると言いますが、実は時間ほど不平等なものはありませんね。
幼くしてこの世を去ってしまったり、若くして亡くなったりと、人は寿命という言葉を使いますが、その寿命なども不平等です。

もし人生が200年、300年あったらどうなのでしょう。
思い通りの人生となり、すべてをやり尽くし、後悔のない満足した人生を終える事ができるのでしょうか?

何百年も生き続ける吸血鬼は「早く死にたい、人生は退屈だ…」と、物語の中で言います。そう考えると、時間とは流れだけでなく、中身(内容)にあるような気がします。つまり、どれだけ時間を大切にできたかどうかという事です。

私の恩師である社団法人発明学会故豊沢豊雄元会長は100歳の誕生日に、
「100年なんてあっという間だった…。もし、人生が200年あったとしても同じじゃよ!だから、わしは1日をたっぷりと味わって生きている。1時間、1時間を大切にしている。わしは100歳になったが、300歳の気持ち、300歳になったと感じている。時間とは感じるもので、感じる事が平等なんじゃ…。あんたも時間を感じてごらん、1日が10日となり、ひと月が1年(365日)、1年が10年(1200日)になる。どうじゃい。感じる事でわしはあっという間の300年を生きた気がする…」

時間は感じているだけ

時間とは感じる事。

感じる事が人間にとって平等に与えられたものなのですね。

「わしはあと、20年間くらい生ようと思う、やりたいことがいっぱいじゃ!」豊澤会長は85歳のときの予言通り、それから103歳まで生きました。そして、最後まで自分の足で歩き、生涯現役で仕事を続けました。85歳から18年(6570日)を生きたことになります。(豊澤会長時間でいえば、さらに、18年は、180年、10倍生きたということでしょうか)

時間とはこのように不思議なものですね。

人生って不思議なもので誰にも寿命はわかりません。これは平等ですね。
その誰にもわからない寿命ならば、物事を深く考えても意味がありません。
悩んだからと言って解決しませんね。

「あと何年……」という考え方は人生をとても狭く、小さくしてしまいます。

私たちは、あと100年生きるとしたなら、何を思い、何を考えるでしょう。死神に寿命を与えるのではなく、私たち自身が寿命を決める生き方が良いかも知れません。

「あと50年、あと100年…」と考えたら、心に余裕が生まれ、何かワクワク楽しくなりませんか?

1日を10日と考えたら、1分、1秒が惜しくありませんか?
時間って楽しいものになりませんか?
新しい未来が想像できませんか?

「そうは言っても、現実は無理だよ…。あと10年も身体が動くかどうかもわからない。その後は歩けなくなるかもしれない…」
「そうだよ、無理、無理。私だってあと20年経ったらわからない。きっと老人ホームだよ…」

「そんなの夢、夢物語…」

人生は楽しく生きる

でもね。

それでもかまわないじゃあないですか?

それはそれ。あと5年、あと10年と考えてつまらない人生を終えるのなら、思いっきり楽しんで、100歳、150歳、200歳まで生きようとすれば良いのですよ。

どちらの考えが楽しく生きられるでしょうね。

時間は人間が勝手に決めたものですし、年齢だって人間が作りだしたものですよね、これからの1年は10年、10年は100年だと思えば良いでしょう。今までの60年、70年、80年、90年は人生の半分という考え方ならば、60歳の人はまだ30歳。70歳の人はまだ35歳。80歳の人はまだ40歳。90歳の人はまだ45歳ということになります。

そう考えれば、わたしは現在33.5歳という事になります。
年齢は神様だって決めてはいませんね。
決めるのは人間、自分です。

私は現在67歳です。人生200年と考えたら、あと133年もあります。
80歳のあなたは、あと120年もあります。
90歳のあなたは、あと110年もあります。
100歳のあなたは、あと100年もあります。

すごいですね!

さあ、あなたも1日は10日分、1か月は300日分、1年は1200日分として生きてみませんか?濃厚な人生、人生300年は夢ではないですよ!

昨日は今日の記憶、明日は今日の夢

昨日は今日の記憶
明日は今日の夢
時は無限の愛の力
時は生命の喜び
ひとつの愛の想いは
多くの愛の想いに変わるように
ひとつの時の想いは
多くの時の想いに分かれていく
もし、あなたが頭の中で時を時間に分けて計るというなら
それぞれの季節の中にすべての時間をも包み込ませなさい
今日という日が
過去を想い出のうちに
未来を憧れのうちに抱き包むように
昨日は今日の記憶
明日は今日の夢
時は無限の愛の力
時は生命の喜び
               「預言者」カイール・ジブラン著より 創訳coucou

©Social YES Research Institute / coucou



画像2

coucouです。みなさまごきげんよう!

時間ってなに?

歳(年)ってなに?

それは誰が決めたの?

かみさまですか?

人間ですか?

30歳、50歳の年寄りがいます。60歳、70歳、80歳でも若々しい人がいます。心も体もすべて人によって違うことがわかりますね。

何よりも心(精神)年齢はどうなのでしょう?

私の精神年齢はどうやらかなり低そうです(笑い)。これは自慢でもありますが、他人から見れば笑いごとかもしれません、でもね、笑われたとしても、認めてもらえなかったとしても、わたしはわたし、自分年齢、自分で決めた年齢で生きていこうと思います。

ねえ、みなさんも10歳以上、20歳以上、若返って生きてもいいのですよ!

最近、年々、歳を重ねるたびにパワーアップしているような気がします!


※アメリカの経済学者で社会理論家のジェレミー・リフキンは、1987年の著書『タイムウォーズ:時間意識の第四の革命 』(早川書房)で、人間は「時間に縛られる」動物だとして、次のように書いています。「自己認識、世界認識はすべて、私たちが時間を想像し、説明し、利用し、制度化する方法に媒介されている」といいます。

「時間に縛られた動物」
時間(time)は、現代英語で使用頻度が最も高い名詞だ。教会の尖塔や市庁舎に時計の文字盤と針が登場して以来、時計は私たちの身近にある。職場や学校、家庭、私たちの腕、さらにはスマートフォンやノートパソコン、テレビ画面にも時計は組み込まれ、私たちは毎日それを見て何時間も過ごしている。

                

この記事が参加している募集

#スキしてみて

526,418件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?