98.これまでのことより、これからのこと、いままでのことより、いまのこと。素敵な言葉ですね。
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ガンで死ぬのも、風邪で死ぬのも同じこと。
東京銀座のクラブに100歳の現役ママがいる。
100歳になっても元気に独り暮らしをしながら商売を現役で続行。テレビやマスコミでもかなり取り上げられている女性です。
ママは45歳のとき五反田で喫茶店「ギルビー」を開店。
当時はまったくの素人経営で50年以上一日も休むことがなかったといいます。「ギルビー」という名前はお酒のジンの名で亡くなられたご主人がつけたもの。
やがて喫茶店「ギルビー」はお酒のお店「ギルビー」となり現在に至ります。
ママの名前は有馬秀子さん。100歳の現役ママ。
銀座のど真ん中で商売し、バブル期も現在も、どんな大不況下の中でも商売繁盛。多くのお客さんがこのママを目当てに来ているそうです。
「あたしはただ精一杯に、ただただ一生懸命に生きているだけ。世間では年寄りは忘れっぽいというけれど、忘れるってことは素晴しいことでございます。これまでのことより、これからのこと。いまさら時代に合わせても仕方ありませんし、あたしはあたしらしく生きていけばよろしいかと思います。あたしはずうっと自然体で生きてまいりましたのよ。もともとは素人ですから自分流に生きてまいりましたのよ」
「お仕事をさせてもらえることはとても幸せなこと。いつも仕事によって多くのことを教わり、学ばせていただいています」
「美味しいものをいただくより、おいしくいただくこと」
「ガンで死ぬのも、風邪で死ぬのも同じこと。ただ日々に感謝して生きているだけです」
「今宵も、ひたすら一生けんめい―お店開業50年満100歳の銀座ママ」有馬秀子著ソニー・マガジンズより
どうでしょう。
「これまでのことより、これからのこと」、素敵な言葉ですね。
有馬さんのお話を聴いていたら、103歳を超えた元発明学会の故豊沢豊雄会長がこんな言葉をかけてくれたことを思い出しました。
「人生はいろいろじゃがのう。わしは、反省はするが後悔はせん。わしの人生は反省だらけじゃった。もちろん失敗も多く、恥ずかしかったこともある。だから一生懸命反省したんじゃよ。しかし後悔はない。ないと言ったらおかしなもんじゃがのう、それはもう過ぎたことなんじゃ。大切なのはのう、これからなんじゃ…」
「歳を重ねると若い頃のような無茶はできんし、体力はもちろん落ちるもんじゃ。しかし新しい感性が生まれてくる。それは五感ではなく第六感というもんじゃ。これはの、若い頃に感じられなかったもので、物事の美しさや人間の美しさ、自然の美しさ、なにより天からの贈り物がもらえることじゃ。ものごとは、終わりよければすべて良しだということがわかった。だから終わりまで働き続けるのが人生なんじゃ、そう思っちょるんじゃ」
仕事を愛するということはイコール人生を愛し、人を愛するこなのかもしれません。
そしてそれは自分の人生に感謝し、自分の人生を愛することに繋がります。
「仕える事」と書くように、仕事は自分の人生に仕えることなのでしょう。
さて、天からの贈り物に感謝してみませんか。
©Social YES Research Institute / COUCOU
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103歳まで生涯現役を貫いた私の師、故豊澤敏雄会長。彼は、別名「日本ほめよう会」会長だった。
私は豊澤会長に褒めて、褒めて褒めまくられ、まるで天に上るかのように舞い上がってしまいました。
どうして?とても嬉しかったんですよ!
私はあまり人に褒められるような人生でなかったせいなのか、私は私でなくなるくらい、人格までも変貌させられてしまいました。
私だけでなく、誰でも豊澤会長に褒められるととても幸せな気分になってしまうからです。
元社団法人発明学会故豊澤豊雄会長100歳の誕生日会より
日本ほめよう会
私は、豊澤会長と出会ってから随分と人生が変わってしまいました。
私は会長のただ、いちファンだったのですが、ある日、「あんたは、話が上手そうだから、私の前座で講演をしてみないか?」と話を持ち掛けられました。
しかし、私は人前で話すことは苦手で、ましてや大勢の前で話をするなんて考えられない話なのですが、私は褒められて嬉しくなり引き受けました。生まれて初めての講演会は約100名くらい。私は夢中で60分間話しまくりました。のちに現在もおつきあいある、当時受講していたメンバーは、「下手だった…」といいました。
しかし、私は落ち込むことより、その日に豊澤会長から「良かった…。とても良かった!」と褒めてくれたことの方が数十倍嬉しくて、それから数年続けるようになりました。
後に、豊澤会長はあまり、耳が聞こえないことがわかりました…。
次に「あんたあ、文章を書くのが上手そうだから本でも書いたらどうか!」と勧められました。
しかし、私は今まで本などを書いたことはありませんし、何よりも文章を書くなんて、手紙ですら好きでなかったのですが、笑顔で話しかけてくる豊澤会長が褒めてくれるので本を書くことにしました。
何度も、挫折しかけながら悪戦苦闘の中で1年かけて、何度もやり直しながら本は出版されました。
私は、嬉しくて豊澤会長に本を届けに行きました…。
会長の一斉は「ほんとか?本当に出版されたのか…。信じられん?」驚いた顔をしました。
後に、わかりましたが、豊澤会長生誕100年の誕生日会でも豊澤会長は、会う人、会う人を褒めまくり、本を書きなさい、とすべての人に勧めていたのです。何といっても200冊から300冊の本を書き続けていた先生ですから、褒められて勧められれば誰もがその気になってしまいます。
その数百人集まった誕生会の席で参加した方はみな口をそろえて「豊澤会長褒められてに騙された!」と喜びの祝辞をするのです。
そう、私を含めて褒められて、おだてられて騙された人はみな、自慢と誇りだからです。そう、豊澤門下生の数百万人といわれる人たちはみな自慢と誇りを持ち続けているのです。
本など書けない私が37冊近くの出版をし、講演会も数千回を重ねるようになりました。
何と私もいつのまにか、騙されたことによる自慢と誇りが芽生えてきたようです。「豚も褒められれば木に登る!」、そう、私も木に登ってしまったのでした。
私は豊澤会長よりまた褒められて、ここまで来ましたが、もう、豊澤会長からほめてもらえることができなくなりました。だから、今度は私が、意思を継いで、日本ほめよう会の会長に就任しようと思います。
私も豊澤会長と同様、心から人をほめようと考えています。
coucouでした、ここまでおつきあい感謝いたします。
追伸 私は素晴らしいPVレビューのみなさまに恵まれてとても嬉しく思います。もうすぐnoteデビュー3か月目、realstory「YESshortstory」作品ももうすぐ100作品となります。
みなさまはとても素敵です!みなさま全員をほめさせてくださいね!
ではまた、ごきげんよう!
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