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75.教えて、私の頬を伝う涙は寂しさからなのでしょうか? 哀しさからなのでしょうか?

91歳の老木


みーん、みーん、みん、みん。

みーん、みん、みん・・・

夏は嫌いだ、大嫌いだ。

そびえ立つ大きなイチョウの木がありました。
それは、91歳の老木でした。(昭和2年1月8日生まれ)

しかし、その巨木は強嵐によって折れてしまいました。
(平成30年7月19日午後12時55分急逝)

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©NPО japan copyright association


木は長い間、多くの子どもたちを見守り、育ててきました。

老木の名前はヤーチャオ。

ヤーチャオの妻ヤーチャウは、根元が腐りはじめたので、数年前に地元の人に切られてしまいました。それ以来、ヤーチャオは悲しみに暮れ、生きる希望すら失っていたのです。


イチョウは、葉っぱがカモの水掻きに似ていることから、中国では「鴨脚(ヤーチャオ)」と呼ばれ、数億年前から地球に存在している不思議な木です。(恐竜が絶滅しても生き残りました)

一人ぼっちになったヤーチャオは、自分を責め続けていました。
老木になった自分は、誰からも喜ばれない邪魔な存在だと。

91年間、ヤーチャオは人間から嫌われていました。

夏が終わる頃になると数えきれないほどの銀杏が地面に落ち、臭い匂いを放ち、晩秋には、辺り一面に葉が舞い散り、水分を多く含んでいる葉っぱは滑りやすく、火にくべてもなかなか燃え尽きません。

それが、人間から嫌われる大きな理由でした。

けれどヤーチャオは、自分を嫌う人間など気にもせず、長い年月、落ちていく銀杏の子どもたちに別れを告げてきました。

ヤーチャオの身に実った何千、何万個もの銀杏は、吹く風に飛ばされて、次々と路面に落ちてゆきます。

わずかな人生を生きた子どもたちも、ヤーチャオに別れを告げます。

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人間は、その子どもたちを拾い集めて美味しそうに食べたり、自分の庭や山に埋めて育てたりしてきました。
それなのに、イチョウが大きくなりすぎると、人間はばっさりと切り倒してしまいました。

幾千百万ものおわかれ

ヤーチャオは、自分に問いかけました。
「何のために生きなければならないのだろう・・・長生きすればするほど、別れが悲しく辛い。ワシはなぜ、何のために生き続けるのだろうか・・・」
ヤーチャオは悩み続けていました。

しかし、答えなどありません。
「確かに、多くの人間から嫌われていることは知っている。しかし暑い夏、ワシがいなかったら道行く人間は、みな暑さのために倒れてしまう。ワシができることはわずかだが、人間のために日陰をつくることができる。それだけでも良い人生だと信じていた・・・」

そんなある日、ヤーチャオを呼ぶ声が頭上から聞こえてきました。
「おじいちゃん、おじいちゃん、孫のイチャオです。ボクの声が聞こえますか?」
「おじいちゃん、おじいちゃん、私よ、ひ孫のイチャウよ」
声が呼びかけますが、首が回らないヤーチャオは上を向くことができません。

「・・・ワシにはキミたちの姿が見えん」

「ボク、イチャオです。ボクたちはみんなおじいちゃんに感謝しているんだよ!おじいちゃんとおばあちゃん、おとうさん、おかあさんがいたから、ボクたちは生まれて来られたのだからね!」

「そう、私も同じよ。この世に生まれて、生きて、短い人生だったけど、とてもしあわせです。冬にイチョウの葉は全部なくなってしまうけど、春になるとキレイな青葉になって、やがて花が咲いて、そして真っ白い実になり、青い実になり、黄色い実になる。兄弟姉妹みんなが同じ色に変わってゆけるのよ。自然といっしょに移り変わって成長して、最期には美しい黄金色の世界を生きるのよ。こんなステキなことはないと思うわ!」

「そう、ボクも同じだよ。数千、数万の兄弟姉妹たちが一斉に語り合って歌う、素晴らしい世界にボクたちは生きている。ここはまるで天国だよ!こんなにしあわせだから、何もいらないよ。人間から見たら、ボクらの人生は短いと思うかも知れないけど、ボクたちは生きるこの時を何百年という時間に感じている。蝉たちだって同じ。短く思える人生だけど、蝉たちにしてみれば何十年もの時間。何百年もの時間があるイチョウの木と何も変わらないんだよ」

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短い人生だけど、ぼくたちはしあわせだったよ!


ヤーチャオは、孫たちの感謝の言葉を静かに聞いていました。


ヤーチャオはこの世を去った妻、ヤーチャウのことを想い出しました。
すると、太陽の光を浴びて黄金色に輝くいちょうの葉から、ヤーチャウの声が聞こえてきました。

「あなた・・・私よ、ヤーチャウよ。私は死んでなんかいませんよ。私はずっとあなたのそばにいますよ。子どもたちだって死んでいませんよ。あなたが結んだ数百万、数千万の子どもたちも、いつもあなたのそばにいるのよ」

「そうか・・・子どもたちはみな元気なのか・・・」

ヤーチャオの全身から嬉し涙があふれてきました。

ヤーチャウは語り続けました。
「あなたは本当にしあわせでしたか?あなたはNО(否定)ばかりの人生でしたね。人にはYES(肯定)を伝えていましたが、自分にはいつもNО(否定)ばかりでしたね。苦しくて、辛い人生でしたね・・・。でもね、子どもたちと私は、あなたのおかげで素晴らしい人生を送れたのです。それを教えてくれたのはあなたなのですよ」

ヤーチャオは驚きました。

生きてきた人生、嫌われていると信じていた人生、たくさんの子どもたちを失ったと思ってきた人生なのに、家族みんなが幸せだと言ってくれたことは、まるで雷に打たれたかのようにヤーチャオの心を震わせました。

(誰も自分のことを嫌っていいなかった・・・)。

「ワシはしあわせだったのだね・・・。YESは、すべてをありのままを受け入れることなのだね。そうか・・・ワシも受け入れよう。すべてにありがとう、と」

そして、ヤーチャオは天に向かいYESと叫びながら、91年の人生を閉じました。


魂は永遠に消え去らないのだと信じながら、数百万の子どもたち、愛する妻ヤーチャウの元へと。


みーん、みーん、みん、みん。
みーん、みん、みん・・・

夏に感謝しよう。

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わたしはヤーチャオが嫌いでした…

私は、朽ちた老木に手を合わせました。
その姿は、とても安らかで優しいものでした。

私もヤーチャオが嫌いでした。

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どうしてかというと、出会ってからの40年間、ヤーチャオからいつも怒られていたからです。人の前で恥をかかされることも多く、この人はなんて冷たい人なのだろうと思い続けていました。しかし、それでも40年間付き合い続けたのですから、思いとはまるで裏腹に接してきたことになります。

この年月、ヤーチャオからNОを突き付けられた多くの人たちは、涙と共に離れていきました。ヤーチャオを理解できずに・・・。

私にとってのヤーチャオは、いったい何だったのでしょう?
反面教師だったのでしょうか?
父親だったのでしょうか?
兄貴?先輩?友人?
いまだにわかりません。

私が嫌っていたのですから、きっと、ヤーチャオも私を信じていなかったでしょう。

でも、私の頬を伝う涙は寂しさからなのでしょうか?

哀しさからなのでしょうか?

いま私は、自分の心理状態を分析することができません。
ヤーチャオを通じて何千人もの人たちと出会い、別れてきた私。
ふり返えってみれば、離れて行った人々もみなヤーチャオの子どもたちであり、ヤーチャオ学校の子どもたち(門下生)でした。

亡くなる数日前、ヤーチャオは最後に、私の名前を呼び続け、実子に何度も私に会わせてくれと頼んでいたそうですが、一体何を私に伝えたかったのでしょう。(ヤーチャオは暴れる恐れがあり、手足を固定され、誰とも面会はできませんでした…)

私にはヤーチャオの「ありがとう・・・」という言葉が聴こえています。
私も「ありがとうございました」と心の中で伝えました。

どんなに欠点だらけのヤーチャオであっても、長い間、子どもたちを見守り続けてきたことは事実なのです。だからきっと、そんなヤーチャオを私は好きだったのかもしれません。

そうしてまた、今年も黄金に包まれるイチョウの季節が訪れる。

©Social YES Research Institute / coucou

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coucouです。ごきげんよう!

毎年、夏が終わると、イチョウの葉は緑色から黄色に変わり、黄葉の季節を迎えます。イチョウの葉は風に揺れ、蝶のように舞い、散り逝く。路面は黄色く染まり、いちょう並木はまるで金色のタイムトンネルのように遠方に続く。年の終わりの一番輝くとき。

私は、毎年、いちょうの散る季節になると、そっと心の中で手を合わせます。

ヤーチャオは私の人生の先生でした。私に対してはとても厳しい先生で、私は大っ嫌いでした。でも、いつのまにか40年以上もお付き合いし、風のように逝きました。最後の最後まで、私に対して怒り続け、怒鳴り続けました。

あるとき、ヤーチャオが面倒を見続けている障がいを持つ子どもが、万引きをして補導されました。その子の親は引き取り人にはなりません。何度も何度も繰り返し続けるために手を焼いていたからです。

でも、ヤーチャオはなぜかいつも親代わりとなって警察から引き取りに出向きます。私も同席することになりました。

ヤーチャオはその子に向かって叱り続けます。でも、その子にはその意味がわかりません。私は疑問に思いヤーチャオに質問しました。

「いくら叱っても、無駄だと思います。だってあの子には意味がわからないのだから…」しかし、それでもヤーチャオはその子に話し続けます。

私はもう一度ヤーチャオに訊ねました…。

すると、

「この子は、人間だよ!ひとつのいのちだ。みんな障がいを持つ子だからと言って差別している。小さな子どもに話しかけるように、伝わらないと諦め切って、馬鹿にして、注意したり、怒ることもしない。私はね、この子と同じ人間として、対等に話しかけている。特別扱いなどしない、この子はこれから自分の力で生きていかねばならないからだ。だから真剣に怒っている!」

私は、そばでその姿を見ていて涙が止まらなくなりました。ヤーチャオは繰り返し、繰り返し、その子に、永遠に話し続けるのです。

その子は、ニコニコと笑顔でその話を聞いているからです。

そう、いのちといのちが語り合っていたのです。

私はヤーチャオの学校では一番の劣等生なのですが、私を最後の最後まで真剣に怒鳴り続けていたのでした…。私はヤーチャオが去って40年かかってその気持ちがわかるようになりました…。

私はヤーチャオのようにイチョウの木の下で生きようと思いました。


みんな、ありがとう!


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