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186.2.またまた、自分だけのNote記事連続180日記念!PV40,000人、スキ5,300人となりました!

1.おかげさまでnote記事6か月目(180日目)、186作品目。PV40,000人、スキ5,300人となりました!

みなさん、あけました!
おめでとうございます。

本日は令和4年(2022年)1月1日。いつの間にか新年を迎え、あっという間の180日間(180日目)。作品は186作目となりました。6か月前は何もわからずに無我夢中!新人なので右も左もわからず、note記事の操作もわからないまま時が過ぎ、ようやく絵や図、写真なども入れられるようになりました。

そして私は「note作家」となりました。
日々の作品作りに追われたくないので、毎週土曜日、日曜日に7日分のストックを用意し本日までに至っています。

「note記事?そんなことして何が楽しいの?」
「大変なだけじゃあないの?」
「他のフェイスブックやインスタグラム、ツィッター等のSNSの方が効率はいい!」
「note記事なんて誰も知らないよ!」
「いくら儲かるの?」「印税は?」などと嫌味を言われながらの出発でした。

なんと心無い人たちなのでしょう?

Note記事は、有名無名、老若男女、中学生から大学生までも参加しています。70歳から90歳近い人たちも記事を書き続けています。誰もが自由に参加して、自由な表現ができる場、そんな場が他にあるのでしょうか?

2.何かを伝えたい、何かを残したい、見てほしい、読んでほしい



私は、2チャンネルなどと全く違う「新しい表現媒体」で、誰もが何かを伝えたい、何かを残したい、見てほしい、読んでほしい、という文化だと思うのです。

私が文を書くきっかけとなった心の師「橋本義夫」という人がいます。彼の口癖は「下手に書きなさい!」「文は上手くなくていい」、思ったこと、感じたこと、それを文にするだけでいい。「美文も名文などもいらない!」ただ、楽しく書けばいい!と。
彼は戦後、文字を知らない、文を書けない人々に筆を持たせ、文を書かせる運動を日本全国に広げた人でした。当時、文とはまったく縁のない八百屋さんから魚屋さん、文とは全くの関係ない人たちに文を書かせて、それを形(本)にする。文を書けないという人たちであっても、どんな人でも手紙は書ける。

問題は、上手く書こうとする、笑われたくない、馬鹿にされたくない、文は専門家の仕事であり、素人の入り込める世界ではないという時代に形にする運動でした。

そう、私もその一人でした。本は読むもので、書くものではない、ましてや簡単に書けるものではない、と信じていたからです。

有名な作家が頭を抱えながら、何度も何度も書き直し、机の周りはクシャクシャになった紙だらけの印象も強く、そんな真似もできない特殊な世界だと考えていたからです。

3.下手に書きなさい

そんな時、私は一冊の本と出合いました。
それは、「下手に書きなさい!」という本でした。

本というのは「上手く書きなさい!」というならば理解できるのですが「下手に書きなさい!」というその言葉、その一言に目と心を奪われました。

美文、名文は特殊な専門家(文筆家)に任せればいい。

文は必ずしも美文、名文でなければならないというのはおかしい。みんなが美文、名文に走れば、みな同じような顔(表現方法)となる。

どうして、美文、名文でなければならないのか?文を書くということは本来、自由なはずだ。誰がそれを決めて表現の範囲を狭めてしまうのか?駄文とはいわないが、どうして駄文はいけないのか?大切なことは伝えたい、知らせたい、何かを残したい、という純粋なものが文ではないのだろうか?

彼は膨大なペンネームを使い、様々な媒体で作品を発表し続けた。名前より伝えたい、知らせたい、残したい、という内容に徹した。戦後は紙媒体しかなく、出版社なども限られている中で、彼は無名なまま投稿し続けていた。

振り返れば膨大な作品が残された。彼は戦争に反対して投獄されてまでも文を手放したりはしなかった。彼の運動によって何十万人という無名で文を書く楽しみを知る人々が増えた。

そして、何かしらの本という形で出版し、記録を残させていった。

まさに、現代版の自費出版のように。

私は生前の橋本義男さんにはお会いできなかったが、不思議な縁でガリ版刷りの「ふだん記」の創刊号を発行した先輩たちと出会うことができ、戦後に出版活動となった揺籃舎(ようらんしゃ)と出会うことになった。
そして橋本義男さんのご子息と出会い、ほとんどの出版物「ふだん記」を見ることになった。確かに美文、名文などない。確かに下手である。

しかし、心を打つ文、心に残る文、伝えたい、残したいという文、それらのほとんどに「個性」「独自性」「オリジナル性」を感じるのです。

何よりも「味」があり、その文から語りかけている何かを感じるのです。

中には戦中、戦後の話などもたどたどしく書かれているが涙が止まらないほどの文も溢れていた。そう、決して美文、名文でなくてもいい。伝えることができればいい、残すことができればいい。

そう、下手に書いてもいい。

私は文を書くという呪いから解き放たれた。


私が初めて出版社に原稿を持ち込んだとき、編集担当者に「あなたは無理ですよ、この世界で生きるのは!」と否定されました。「何よりもあなたの内容は、文になっていない…。自分のことばかりで読者のことが頭に入っていない、これでは批評することもできない、酷い」と。でも、私は一瞬へこたれましたが、橋本義男さんの「下手でいいんだ!」という呪文によって救われていました。

そうか、この編集者がいうように、下手は下手なりでも読む人の気持ちが必要なのだと教わりました。私はこの厳しい現実と助言はあとあと現在まで生き続けているような気がしているのです。


ふだん記のすすめ「下手に書きなさい」より


4.note記事との出会い



私は友人の紹介でこのnote記事の存在を知りました。そこでこのnoteの会社概要を調べて見たら、最初の序文に「わたしたちは “だれもが創作をはじめ、続けられるようにする。“をミッションに、表現と創作の仕組みづくりをしています。」と書かれていました。

note株式会社(英語名:note inc.)は、東京都港区に本社を置く、デジタルコンテンツの企画、制作、配信を行う日本の企業。2011年(平成23年)に加藤貞顕が株式会社ピースオブケイクとして設立。2020年(令和2年)4月にnote株式会社へ社名変更している。

これは、私が特に共感した部分は、Noteのミッション「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする。」という言葉でした。

私が、橋本義男さんの言葉と出合った30年前を超える言葉でした。


出版業界からnoteを立ち上げた加藤貞顕さんのコメントに次のような言葉がありました。

「僕たちがやっていることは、『クリエイターのための街をつくる」ような仕事だと思います。そこには彼らの居場所もあるし、マーケットもある。現在の出版業界って、ネット上のタッチポイントが分散しているんですよね。創作をする場所、集客をする場所、広告をする場所、本を売る場所…と、あちこちに読者の流れが分散してしまう。でも、もしもインターネット上にクリエイターのための本拠地があるのなら、そこに創作物を載せて、ファンが集まり、SNSで拡散もでき、ビジネスにもなる。その後、書籍になり、テレビになり、映画になる。これまでとは逆順の流れをエコシステムとしてつくること。それがピースオブケイク(note株式会社)が描こうとしている未来です。』

素晴らしい言葉でした。


2020年4月にnote株式会社に社名変更ですから、その翌年2021年の6月にその存在を知り、デビュー作が6か月前7月6日「1.初めまして、私の名前はcoucou(こうこう)てす。みんなはcoucouさんと呼んでくれます!」から始まり、本日180日目、186作品目となったのです。

私はこうしてnoteの世界に陥りました。

そして、次のような変化が起こりました。それは本を読まなくなったことでした。特にこの6か月間は一冊も読んでいないのです。いや、読むひまがないのです。毎日、みんなのnote記事を見ているだけで精一杯。それにこんなに楽しいことはありません。私はまるで水を得た魚のように自由に泳ぎ出し始めました。

そう、これは、note記事依存症ですね。

5.noteの素敵な仲間たち



縁というものは不思議ですね。私のような新参者、得体のしれない者にも読んでくれる人がいて、連絡をくれるようになったり、教えてくれる人もいたり、支えてくれる人たちも現れ始めました。

あるとき、note仲間からこんな連絡が来ました。
「私は『スキ』を10000回もしたのに、10分の1の1000人しか『スキ』をくれないの!嫌になっちゃう…」
「私もフォロワーを5000以上したのに、100のフロワーもくれない…。礼儀を知らない人が多いね…」

あれ、『スキ』が大切なの?

『スキ』も『キライ』も『フォロワー』も『フロワー』などは相手の気持ちかもしれないけれど、してくれたからしなければならないとか、そんなルールなんてないんだよ!それは誰でも『スキ』を押してくれれば嬉しいことだけど、強要するものでも義務でもない。だから、自分が『スキ』だと思う人には『スキ』でいいけど、何も求める必要はないと思う、と答えました。

愛は求めるものではなくて、『愛する』ことだからね。
だから『愛されなくても、愛すればいい』と思う。

「では、coucouさんはどうなの?」

「私はね、PVばかり見ているよ!」

「PVなんて見てくれているだけ、ちゃんと読んでくれているだけかどうかがわからないし、『スキ』や『フロワー』がその人の評価ではないの?」

「確かに、それも評価の一つだと思う。私が考えるPVというのはね。私が初めて本を出版したときに似ているんだ。それはね、八重洲ブックセンターに本が陳列されたとき、私はとても嬉しかった。私はその売り場に怪しい者のように数時間もいて、私の本がどのような扱いになるのかじっと観察した。私の本に見向きもしない人、手で触れただけの人、目次だけを見ている人、立ち読みした人、もちろん買ってくれた人もいた。まるで私の身体を触れられているかのように恥ずかしさと嬉しさ、喜びの塊となった。確かにPVは買ってはくれなかった人たちかもしれないけれど、それでも私は嬉しくて涙が零れた。だって、無名の私の本を手に取ってくれただけで、膨大な本の山の中で私を見つけてくれた、それ以上の何を望んだら、求めればいいのでしょう。だから、膨大な情報のnote記事の中でわずかなひと時であってもとても嬉しく思うのです。『スキ』『キライ』もとても嬉しいけれど、その人の主観で、自由なものと、こと。私は毎日何人の人たちが私に触れてくれているのかを大切に感謝するようにしているんだ…」

そう、こんなにも素晴らしい縁はない!

『スキ』な人がいたら10000人でも20000人でも『スキ』してみようと思います。おかげでまだまだ『スキ』な人が増え続けているようです。私はnote記事の世界の『スキ』をする第一人者になろうと思うのです。

6.note記事の言葉たちは人を救う!



Note記事を日々見ていると、様々な言葉と遭遇します。

その瞬間に、私はハッとします。

それは、私の望んでいた言葉たちだからです。

人は不思議なもので、メリークリスマスといえば、あのとき楽しかったクリスマスの情景を想い出します。Note記事で、その人の父や母に対する言葉があれば、そうだ、私も同じ、父や母に言いたかった言葉と出合う。私だけが特別に悲しいのではなくて、この人も同じなんだ、と。

若いころの初めての初恋の話を読みながら、自分に当てはめて思い出す。迷っているときに、自動的に解決できる言葉と出合う。悲しかった想い出、楽しかった想い出などの過去が鮮明に感じることができる。大切な人をなくしたとき、私を励ましてくれた言葉との出会い。過去の苦しかった想い出や素晴らしかった時代などの世代を超えて思い出します。

また、たった現在のことですが励まされることも多い。さらにまだ見ぬ未来を感じたり、何かしらシンクロのように、そこに私が存在しているかのように、そのまだ見ぬ未来の私に話しかけているかのような言葉に出会うのです。

言葉というものは、とても不思議な生き物、言霊とも呼ぶらしい。一念三千というように人の思いは何かしらのnoteという言葉の風に乗って一瞬で世界中に届いてしまうネットの世界。私はそのような言葉探しの旅をnoteの世界で出会う。それはまるで天からのメッセージなのでしょうか?自分が必要としたときに必要として現れるのです。

たましいというのは誰にも見えないものだけど、noteの創立者の加藤貞顕さんは「創作をする場所、集客をする場所、広告をする場所、本を売る場所」といいますが、私はそれに追加するとすれば「もうひとつのたましいの居場所」と呼びたい。これだけの言葉(言霊)が集まり、一日に10000~30000の言葉たちが集まるのですからね。そして380万人の参加者がさらに増え続け、やがて数千万人、数百万の風となってそれが一つの宇宙となり、私たちはさらに縁とともに出会い続けるのですから。

そして、その中で出会う縁を考えるととても不思議に覚えるのです。

もしかすると、何かの意味があり、そこに何かの答えがそこにあり、私たちを頑張らせようと何かの力が働くような気がしているのです。

まさに、内観(内省)のたましいの旅ともいえるものかもしれません。

7.おわりに


令和2年6月に私は世の中の怒りと深い哀しみとともに1年間に100冊の電子書籍にチャレンジしました。
何が目的、何を伝えたいか、という前に、あまりにも矛盾した567時代に突入し、誤った政治判断でたくさんの人々が苦しみ喘いでいたからです。
当然、現在までも私の大切な仕事もすべて奪われ、37冊ほどの本も出版していたのですが次々と取引先である出版社が潰れていきます。

別に567だけのせいではないと思いますが、とどめになったことは間違いがありません。

私のコンサルの顧問先などの悲鳴が聞こえます。

567の数字よりも自殺者の数も上回ります。未遂者を入れると一体どのくらいの人たちがいのちを落とそうとしたのでしょう。

周りの病院の医師や看護師なども不安と恐怖心の塊となって、本来、人を救う仕事にも拘わらず、職場を放棄します。
明日いのちを失うかもしれない父や母の面会すらできません。
さらにせめて最後のお別れの葬儀までもできません。
可愛らしい赤ちゃんが生まれてもお母さんは子どもを抱くことができません。
遠方の年老いた父や母にも会いにゆけないのです。

2020年は確かに得体のしれないものでしたからやむを得ませんが、2021年になっても同じ、ただマスメディアたちは恐怖心をあおり続けます。現在は少しばかり沈静化をしていますが、新種567に対してさらに恐怖をあおり続け、失業者、生活保護者はさらに拍車をかけています。さらに2022年まで引っ張ろうとしているかのように騒ぎ続けます。

おかしいですね!

何かが狂っていませんか?

恐怖心は、恐怖心を呼び込み、巨大なモンスターとなります。世界中がその渦に巻き込まれ、人々の本性も現れます。それは「我、先に」「自分だけは」というように同じ人間同士なのに冷たい世界に変貌しつつあるように思うのは私だけなのでしょうか?

それとも私が変なのでしょうか?

とてもおかしいですよね!

人って本当はとても優ししい生き物なのに…。

恐怖ってそれだけ恐ろしいものですね。
心を失わせてしまうのですから。

私は、令和2年6月より準備に取りかかり、令和3年6月の1年間かけて悪戦苦闘の上100冊の電子書籍を刊行しました。しかし、世の中は1年間過ぎたのに何も変わらないのです。さらに酷くなったような気がするのです。くすりを打つ者と打たぬ者、打てぬ者の差別も激しいものです。567にかかった人たちの差別も酷いものです。

そして、2年目の令和3年(2021年)7月6日に再びパソコンの前に座ることにしました。この日が私のnote記事のデビュー作です。
私はこの世界で1年間365日(365作品)を自分の第2章として作品を書き続けています。もちろん、家族や生活もありますし、生きるために、お金も稼がなければなりません。

しかし、私には新しい「創作文化」「表現文化」となるnote記事の世界と出合い、おかげさまでnote記事6か月目(180日目)、186作品目。PV40,000人、スキ5,300人となりました。
このことが私の人生においてとても「素晴らしき、哉、人生!(私の大好きな映画)」としての大きな励ましとエールに感じるのです。よくぞ、note記事に相応しくない私の長い話ばかりを読んでくれて、開いてくれたたけでも感謝です。

そして、第1作から読み続けている人がいます、信じられないことですが私には奇跡のなにものでもない、まさに奇跡です。

こんなにも嬉しいことはありません。

私には二つの名前があります。それは亡き父が付けてくれた名前と、もう一つの名前があります。

私には、もう一人の父がいます。
現在、90歳。
その父が、私に名前をくれました。

その名前はcoucou(こうこう)といいます。カウカウではありません。
造語です。日本名は「考弘(こうこう)」と呼びます。「考(こう)」考えること、考え、考えをめぐらす。父や母を表し、「弘(こう)」は、広い、広める、広まる。弘報、弘報、弘法(ぐほう)といいます。

私はかけがえのない父や母とともに新しい名前を使うことにしました。

私のことをcoucouさんとお呼びください。

みんな、あけました!
おめでとう、ありがとう、カウントアップ!

今年もよろしくね!

みなさまには、7397文字という長い旅におつきあい感謝いたします。

では、またあした!
みなさんごきげんよう!

令和4年(2022年)1月1日元旦の朝。

皆さまにとって素晴らしい年でありますように、心から願い、祈ります。

coucouでした。

©NPО japan copyright association Hiroaki&ナオミ


©NPО japan copyright association Hiroaki 


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