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日本人の感覚 ハワイ,アメリカ

ロサンゼルス、ニューヨークに行った後、旅行の最後はハワイで過ごした。

ロサンゼルスで西海岸の開放的な雰囲気を、ニューヨークでは世界の最前線の空気を感じた。

その雰囲気や空気を作り出しているのは、気候や建物だけではなく人であることも言うまでもない。


周りに流されることなく、好きな格好をして、歌いたかったら歌って、話したい人には躊躇なく話しかける。

そういう人たちがマジョリティーであるアメリカの空気は息がしやすい。

マーケット


ハワイに着いて感じたのは日本人が多いことだ。

ロサンゼルスやニューヨークでも日本人を見たのは見たが、自分のピントが彼らに合うことはあまりなかった。

でも、ハワイに着いて街当たりの日本人割合が増えた途端、そこらへんを歩く日本人にピントが合いだしてしまう。

逆に彼らのレンズもこちらを向いているように感じてしまう。


北アメリカ大陸を離れて太平洋の島に着陸し日本列島に近づいたことで、それまではニューヨーカー気分だった自分がニッポンジンに戻されていくような感覚になる。

その感覚はつくづく自分が日本人であることを認識させる。

同調圧力という言葉で表現できるような、周りに合わせて協調して、輪から外れる行為は基本的に避けたい。奇抜な格好は避けるし、奇妙な発言、奇声をあげることもしたくない。

なぜなら周りの目が気になるから。

夕日


大学生になってからnoteを書き出したけど、インスタグラムのプロフィールに隠れてリンクを貼る程度が限界で、ストーリーで「お前ら俺のnote呼んでくれよな」とか言う気にはさらさらなれない。


でも、自分から外に、海外に出ていくようになってから、自分のマインドも変わってきているような気がする。

韓国で生活していたときに思ったのは、韓国人は良い意味で他人に興味がないように見える。心の中心にはちゃんと自分を据えているように見える。

インスタグラムは所詮インスタグラムだが、韓国人のインスタグラムを見ると自分自身が主人公になっている。相対的に見て日本人よりも主人公が多い感覚。

韓国で過ごしていたときは、自分も周りの目があまり気にならなかった。街を歩いていても、目線が気にならない。見られている感覚もない。

ただ、韓国人とかアメリカ人が周りを気にしないと思っているのは自分の肌感でしかない。それを証明する論文とか読んだことはない。

だから、結局は自分の意識の違いによるのかも。

日本人として日本流教育を受けてきて、日常的に同調圧力を体現してきた自分だが、その意識が変われば行動も変わっていた。

周りを気にしなくていいことに気持ち良さを感じる。その周りの人を意識するかしないかは自分次第である。

これからは日本で生活する。いつかは海外に行きたいと思いつつもそれがいつになるかは分からない。けど、空気の美味しさや息の苦しさは自分の意識で変わるとわかった。

noteにはたまにイタイことも書いている。他人から見たらいつもイタイことを書いていると思われているかもしれない。

今だって、「自分はイタイことを言っているときもある」と書いて、これまでのイタさには自覚があると、不特定多数に対して弁明している。

こんな意気地のない性格も日本人っぽいかわいさと勘違いできれば、もっと息がしやすくなりそう。

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