誰かが囁き合っているのが聞こえる。 私が声の方を振り返ると、声の主の一人がこちらに向かってきて、笑いかける、 「悪かったな。」と聞こえた気がした。 「ううん。大丈夫。」今度は恐れずちゃんと話すことができた。 「大きな者よ。済まなかった。」今度は、先ほどとは別の、金髪でネルシャツの人が言った。 大きな者って、私は女性の中でも背は低い方なのに、と思うが、 確かに彼らは私よりはるかに小さかった。 「悪気はなかったんだ。」と少し俯き気味に続ける。ただギターが弾きたか
長いこと眠っていたように思う。 ベット上の天井に記憶のないシミを見つけて、 少しずつ見え方が変化していくのを眺めては、 しっくりする答えを出そうと目を閉じて、頭の中をほじくりさぐっていた。 脈絡もなく目の前に金色に輝くシンバルが現れて、誰かがそれを思い切り叩こうとするので、 危機感を感じて、必死になって止めようとしていた。 ―やめて、終わっちゃう。 はっと目を開けると、何かの音の余韻が部屋にはあった。 私が声を発したのか、それともシンバルが鳴らされてしまった
あれから、 バンドメンバーからの連絡はなかった。 今となっては私も含めもう元メンバーか。 なんだか報道で使われる蔑称みたいで、奇妙なおかしみを感じる。 まだ何者にも成れなかった私たちに そのような社会的地位も与えられてはいないのだが。 一緒に集まって何かしてるだけで、よかった。 絶えず溢れ出てくるエネルギーを持て余していたし、 声に出して言うには恥ずかしい何かをどうにかする方法が 私たちには思いつかなかった。 だから、たまたま私が持っていたギター
お父さん。悪魔はいたよ。 初めて悪魔と会ったその時のように 私は心底恐怖していたが、 今度は悪魔の演奏をしっかり見届けようと思った。 天使でも、悪魔でもなんでもいいから、 私にロックを与えてほしい、 世界を魅了する力を私にください。 ギターが空気をふるわせていく。 私をベットから連れ出した曲は、絶望への向きあい方を歌う、 あの時父が歌ったように、悪魔が好まなそうなやつ。 私がその曲を知ったのは、テレビのニュース番組の中で、バンドはもう解散していて、そ
その晩、早めに寝た私は、11時半にセットしたアラームを鳴り出す前に止め、 両親が寝ているのを確認し、ギターを担いで家を出た。 それが間違いだった。 空は黒雲が立ち込め、切間から月が私を覗いている、 いかにもな夜だった。 こんな時間に外に出るのは初めてだったし、 誰ともすれ違うことのない通学路は、新鮮な空気を発している。 陰の世界が私を魅了していく。 父の部屋から持ってきた時計を確認する、0時まであと二十分程だった。 二曲演るとして、一曲4、5分
「音楽には悪魔が宿ってるんだ。」 父は私にギターを教えながら、そんなほら話を始めた。 当時中学2年になった思春期真っ只中の私が父親と話しているのは、 紛れもなくギターがあったからで、 興奮気味に語る父親の自慢話などは、 正直鬱陶しかったが。 タバコ臭い、靴下が臭い、シャツの襟が黄ばんでる、 シャンプーを勝手に使う、トイレの鍵をかけない、録画したビデオに勝手に上書きする、 嫌いになる理由を挙げればキリがない。 徐々に二人で会話は交わさなくなり、
ロールが死んだ。 みたいなことを言っていたのは誰だったっけ? ロックが死んだと叫んでいたのは、父だった。確か2009年の5月の初め。 私のロックは今日、死んだ。 いや元から、ロックがなかった、ようだ。 いけすかないやつだな。と思った。 何かにつけてロックが、ロックは、ロックに、ロックのさぁ、と偉そうにいう。 とにかくうるさいフぁ××野郎で、こんな審査員は嫌だ、と私は思った バンドのみんなが不安そうな顔でこちらを見ている。 見せつけてやろうよ、私たちの
お父さんが出かけたのを見計らって、 私は古ぼけたギターをひっぱり出す。 押し入れの奥の方、 母さんに見つからないように、 ちょっと匂いそうな革ジャンがつまれた、その下。 黒いケースは擦れて、中の木材が剥き出しになって、 鍵ができる仕様の止め金具は、錆びて取れかけている。 ムッとした臭気が鼻を突く、 革ジャンから漂ってくるのと同じ種類の タバコとカビの、褪せた匂い。 すぐに匂いも気にならなくなった、 あまりにそれがきれいだったから。 初めてみるそれは、大
昔から、庶民の楽しみってのは、「呑む打つ買う」つって、夜だけやってりゃまだマシな方なんだが。昼までやり始めちまう、しまいにゃ、着物や商売道具なんかも質に入れてもまだ足りねえ、なんて、どうしようもねえのがいまして。困っちまうのは、それを支えるかみさん。 蕎麦打ちの勝五郎また、腕はいいが、どうしようもねえ。蕎麦屋を持つのが夢だなんて言ってはいるが、夜も昼もの道楽者。そんな旦那を細く長くと支える奥さんがおりました。 「ねぇ、あんた。あんた、早く起きてくれよ。お天道様