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戦災で焼失した熱田神宮の海上門を、ARで復元。「調査のプロ」が明らかにした歴史の事実とは?

戦災で焼失した史跡などを、AR(拡張現実)の技術を使って再現する。そんな歴史的意義のある取り組みが、名古屋市熱田区の事業として進められています。2022年、「熱田歴史探訪」の一環としてナカシャクリエイテブが手がけたのが、旧国宝に指定されていた熱田神宮「海上門」の復元です。このプロジェクトがどのようにして進められたのかを、文化情報部の森翔大に聞きました。

文化情報部 ソーシャルイノベーション課 森 翔大

旧国宝の海上門をARで復元せよ!

――熱田神宮にかつて、海上門という立派な門があったんですね。

■森:そうなんです。旧国宝に指定されていた門で、1945年(昭和20年)5月の戦災で焼失しました。この海上門は織田信長が寄進した「信長塀」とつながっていました。信長塀の実物を見られたことがありますか?

――あります。少し前に、映画で信長役を演じたキムタクが信長塀を見学に来たというニュースも見ました。

■森:そうみたいですね。まさにあの場所にあったのが海上門です。
今回、熱田区の観光・周遊を促進するための事業の一環として、海上門をAR(拡張現実)で復元しました。イベントでブースを設け、復元した門を紹介する仕事も当社で担当させていただきました。

――どんな流れで復元が行われたのでしょうか。

■森:大きく4つのプロセスで復元を行いました。1番目が資料の調査で、2番目が設計図の制作、3番目が3DCGの制作。そして4番目が、AR空間上での再現です。
その中で僕が担当したのは、1番目の「資料の調査」です。図面を描くために必要な情報を集めたり、歴史的な文献を調べたりしました。

――図面を描くにあたって、分かっていないことがいろいろあるということですね。

■森:そうです。いきなり図面を描くことはできないので、必要な情報を集める必要があります。今回、復元するにあたり2つ幸運なことがありました。一つは写真や絵などの資料が残っていたこと。もう一つは「礎石」が残っていたことです。
門自体は焼失してしまっているのですが、柱を置いていた礎石は残っているんですよ。その配置が分かるのが、こちらの写真です。

海上門跡の礎石
上から見た海上門跡の礎石

――確かに! 建築物の跡であることが分かります。

■森:熱田神宮に行って普通に「これが礎石です」と言われても「柱が立っていたんだな」と思うだけかもしれませんが、こうして上から見てみると門の跡であることがちゃんと分かります。割れている礎石もありますが、おおよその中心位置を割り出して柱間寸法を出すことができました。

江戸時代の資料から分かったこととは?

■森:海上門の場所が分かって規模が分かったら、今度は「どういう形の門だったんだろう?」と思いますよね? そこで次に、参考資料を探していくことになります。こういう時は、論文や書籍など身近なものから順に調べていきます。
すると、昔の写真がちゃんと残っていたんですね。

――旧国宝ともなるとさすがに写真があるんですね。

■森:はい。しっかりと記録が残っていて、「屋根の下はこういう形状だったんだ」など詳しいことが分かります。

――あとはもう、図面を描くだけですね!

■森:そう思われるかもしれませんが、復元のためには形状だけでなく色の情報も必要です。この時代の写真は白黒なので、門の「色」が分からないんです。なので、色を調べるために、さらに資料をさかのぼっていくことになります。
戦前に発行された『熱田神宮参拝のしおり』という資料を見ると、色は全部「丹塗」であると書かれています。京都でよく見るような真っ赤な柱だったということが分かるわけです。

そこからさらに古い情報はないかな、ということで江戸時代に突入です。調べていくと、やっぱりあるんですね。尾張藩の資料なのですが、確かに海上門が赤く描かれています。
また、門と信長塀がつながっていたことも分かります。このような感じで、昔の資料を収集して復元の参考にしていきます。

――図面はどなたが描かれたんですか?

■森:広島大学の名誉教授をされている三浦正幸先生です。三浦先生は城郭建築研究の第一人者で、当社はこれまでも桑名城の復元(3Dでの復元)を行う際などに三浦先生の監修を受けてきました。
今回三浦先生には、僕が調べた古い資料や、関係する写真などをお渡しして、全部で14枚の図面を描いていただきました。

三浦先生に描いていただいた復元図をもとに制作したのが、海上門の3DCGです。当社の3DCGクリエイターが、屋根の形状など細かい部分も正確に再現しています。

復元した海上門

そして最後に3DCGをARで再現し、スマートフォンなどで表示できる仕組みを作りました。こちらも、制作を担当したのは社内のプログラマーです。

現地にARで海上門を表示

――3DCGを制作する人やプログラマーも社内にいるんですね。

■森:はい。最後まで自社で一貫して制作できることが、ナカシャクリエイテブの特長です。資料調査から、実際に3Dのモデルを作ったりアプリに落とし込んだりすること、それをイベントで紹介することまで、トータルにできる会社は珍しいと思います。

「背景」や「ストーリー」まで調べる

――改めて、森さんのお仕事について質問します。普段はどのような時に資料の調査を行いますか?

■森:たとえば、自治体の方々が「地域にある古い資料を活用して何かをしたい」と考えられているケースです。その資料の内容をARなどの新しい技術で表現しようとしても、そもそもどんな資料で、何が書いてあるかが分からないこともあります。そういう時に資料の調査を行うのが僕の仕事です。

また、歴史的な資料をデジタルアーカイブで公開する際、ただデジタル化するだけではなく、文献などを参考に背景やストーリー(由来や関連する情報)を調べたりすることもあります。それに付随して、文化財の解説や紹介文を書くこともあります。

――「背景」や「ストーリー」まで調べるためには、踏み込んだ調査が必要ですよね?

■森:そうです。やはりざっくり調べた程度では、どの資料に書いてあることも似ているんですよね。熱田神宮の海上門の場合なら、「屋根はこういう造りで・・・」ということはいろんな資料に書いてあります。その場合、「同じ内容だな」「新しい事実は出てこないな」などと思いながら資料を集めていくわけです。
でも、そこから踏み込んで、「そういえば、お祭り関係の資料はまだ見てなかったな」とか「熱田のまちの記録(地誌)も見てみようかな」と視点を変えて調べてみると、新しい発見を得られることがあります。ちなみに、祭礼や儀式の記録を調べた時に見つけたのが、『熱田祭奠年中行事図会』です。
この絵を見つけたことによって、海上門の下で実際に儀式が行われていたことが分かりました。こういう事実は、熱田神宮に関係する人以外はあまり知らないことだと思います。資料を見つけた時は、「おー、あった!」という感じでうれしくなりますね。

――森さんの調査によっていろいろなことが明らかになったわけですね。ちなみに、こういう古い資料はどこで調べるんですか?

■森:資料のあたりをつける段階では、データベースを使うことが多いですね。図書館や博物館などのデータベースがあるのでまず調べてみて、資料がネットで公開されていれば中身を確認します。ネットで見られないものは、実際に図書館や博物館に見に行くこともあります。

(次回に続きます! 実は森さんは、博士号を持つ現役の研究者でもあります。森さんが取り組む意外な研究テーマや、熱田区で進めている新たな取り組みについても聞いていきます)

文:堀場繁樹
写真:奥村要二

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