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ナオコライフ103 持続可能なうつわとの暮らし

2023.4.4人生がアートだ

6時前起床。あわてて起きる。緑茶を淹れる。朝陽が差していて、鳥の声がさえずっている。いつだって、一日ははじまってゆく。今日は清々しい。前に進むのみ。お寺の鐘の音がする。

母は病院で検査のため朝ごはんを食べないので、ひとりで食べる。アコースティックギターが流れる、やさしい朝。わたしは生きていく。前を見て、生きていく。母が出かけたので、部屋へあがる。日向へ。二階から眺める庭には、柿の木の新緑が目に入る。

昨日はずっと出かけていてふらふらしていたから、それなりに疲れている。でも、気分はすっきりしていて、新鮮さを感じる。いくらでも、新しい一歩を踏み出せる。この春感じていることは、ひとりひとりの人生がアートなんだということ。どんな人生かは、そこのところはその人の感じるままによるけれど、どう意識するかは自分次第。自分の人生は自分の意識が作り上げている。もちろん、運も才能のうちだという。そう考えると、今までに数々の出会いがあり触発されながら生きてきた。そんな出会いに感謝するばかり。さよならをすることもあるけれど、それは今の人生の中でその関係を全うしたところでの結果でしかない。そこから先は、新しい道が待っている。

母に呼ばれ、昼ごはんにタンメンをいっしょに作る。二人で食べる。今日は味濃いわね、といいながら。こんななんでもない食事の時間は、どれだけ心と体に栄養を与えてくれているだろうか。これこそリフレッシュしてるのがわかる。

それから16時半までずっと、寝たりうとうとしていた。よっぽど疲れているのだと自覚した。好きなだけ休めばいい。夕ごはんのたけのこごはんをつまみ食いする。こんなときはお米を食べる、ゆるゆる糖質制限だけど、効果は出はじめている。わたしには合っている。



2023.4.5持続可能なうつわとの暮らし

5時起床。すっと起きる。コーヒー淹れる。今朝は気分がすっきりしてる。早々にコーヒー飲み終わり、白湯を飲む。白湯を飲むのにいい湯呑がいくつかあるが、どうしても同じものを使ってしまう。うつわを使うとき、純粋な愛着でないと気持ちよく使えない。何か不純な記憶が張り付いていたり、単純に形の使いやすさの問題、そんなことで使うものが決まってくる。なかなかうつわ選びも奥が深い。しばらくして、緑茶を淹れる。萬古焼の急須に砥部焼の湯呑はもうこれでなくてはの組み合わせ。使えるのなら一生使いたい。それくらい、暮らしの中に馴染んでいる。湯呑はもう10年ほど使っている。丈夫で持ちやすい面取り、飽きのこない絵付け。これ以上のものはないというくらい。飲むものによってうつわを変えて、それにぴったりな感覚のものを使いたい。

母が起きてきて、一日の打ち合わせをする。そんなことも、女同士大事なこと。とくに食についてのこと。朝ごはんを済ませ、台所に二人でいる。母が咳き込んでいるので疲れているのがわかる。心労だ。だからといって打ち明けるタイプの人ではないので、声はかけるがあまり深い話にはならない。

うつわを長い年月をかけて使ってゆくことについて。これはまさに持続可能なあり方ではないかとおもう。大切に、愛着をもって、代用品ではなくこれでないとという意識で、まるで友だちのようにうつわと接すること。これは時をあたためる行為に値するのではないか。手の内に収まる大切におもうものをえらぶこと、使うこと。そんな暮らしのあり方でいたい。

母が出かけた。ひとりきりで家にこもるのは好き。静けさの中を満喫する。マグには白湯の中に月桂樹の葉を入れて香り付けする。こんな自然な香りを好む。隣の美容院からは香害があって、換気扇から何かの美容液からの香りが立ち込めて、窓を開けられない日がある。今日もそんな日。仕方ないけど植物にまで影響あるのではないかと気になってしまう。香害は困る。

昼ごはん食べ終わったところで、母が帰宅する。世間話をする。昼寝。目が覚めて、コーヒー淹れる。障子越しの光の中でしみじみと飲む。心がやさしく立ち上がる、やわらかい光。谷崎潤一郎『陰翳礼讃』が奥底でいつもわたしを刺激するのは、高校生のとき読んで以来ずっと。18歳までに出会ったものを一生求めるとは本当のことだろうか。

連日のたけのこごはん。母の友だちからのギフトで旬の味を喜ぶ。




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