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#フードエッセイ 記事まとめ

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食べ物に関するすてきなエッセイnoteをまとめていく公式マガジンです!主にハッシュタグ「#フードエッセイ」や「#エッセイ」が付けられている記事を自動で追加し、紹介していきます。
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#コンテンツ会議

1人で美味しいに溺れる解像度を楽しめ

一人でスイーツを食べに行く時のハードルの高さって、なんとなくの恥ずかしさもさながら、「食べている間どう過ごせばいいのか分からない」ということもあるだろう。 なんのことはない、ただ、食べればいいのだ。 だって食べに来ているのだから。 最近の私の投稿はちょっと時間が経ってからのものが多いので、そうするとやはり記憶の要約化が十二分以上にあって、結局「美味しい」その一言に尽きてしまう。 しかし食べている最中にはもっと色々なことに思いを考えを巡らせているのである。 少し、直近の

仕事中にカフェに行ったっていいじゃないか

事務職だった時と異なり、今は一日中仕事で外に出ているよという日も時々ある。 そういう人は、まあ多いだろう。 スタバとかルノアールとかでPCを叩きながら取引先に電話をしている人なんてざらにいる。 どこでやるのはOKで、どこならNG? そんな細かいマニュアルあるはずないしね。 他人からの評価も意識はしつつ、結局は自分の理屈をどのように置くかを決めておくことが大事だと思う。 大概のカフェチェーンはアリと見て良いだろう。充電やWiFiが使えたりするから普通に便利だし、トイレが

新幹線にはチキン弁当が必要だ

 東京駅と京都駅を、新幹線で行き来する日々が続いている。仕事の関係で西日本に行く機会が増えた上、忙しさが歳末にかけてピークを迎えつつあるためだ。  少年時代を振り返ってみる。旅行で新幹線に乗ろうものなら、それはもう舞い上がるような心地になったものだ。二人掛けのシートを回し、車窓を眺め、両親と弟の四人で旅路を楽しむ……。懐かしい記憶が脳裏に蘇る。  しかし社会人となった今、新幹線の用途は旅行より仕事が主になっている。重い荷物を座席の上に押し上げ、隣接する人々に気を遣い、硬いジャ

鬼のように食べるのが仕事

好きなことを仕事にできるって、幸せなことだと思いますか? >はい、紛れもなく幸せですよね。 じゃあもうひとつ。 会社のお金でお菓子を食べる仕事って楽しそうだと思いませんか? >そりゃあ楽しいです、美味しいです、最高だぜ☆ そう、そうなんだよ、その通りだよ。 あ~~~毎日が楽しいな♪ それでハッピーなだけで居られたら良かったんだけどな。 出張で北海道に行った。 私にとっては初北海道。ずっと夢だったので超嬉しい。楽しい! 柳月で食べて、六花亭で食べる。 クランベリ

ずっと言葉を探している

ずっと、何か特別な言葉に焦がれている。 それなのに案外簡単な言葉に救われるし、殺される。 最近は忙しさを言い訳に全然時間を確保できていないのだけれど、本を読むのが好きだ。想いが溢れ過ぎた粘着質な愛憎の表現、レトリックのきいた奇跡みたいに芸術的な言葉。絶対に自分からは生まれ得ない文字の羅列に出会うと、静かにゾクリと変な気持ちになる。お酒を飲んだ時よりも酔ったみたい。あの感覚が、人生の充実感そのものなのではという気さえしてくる。 きっとこういうの部類の人間は、俗世を嫌悪し孤独

「鬱病だから絶望している可哀そう」ではないんだよなあ、という話

以前はただの根暗なだけだったのでは?と思えるくらいには明らかに今は、典型的な鬱病だと言えてしまう。 別に特別な理由なんて無いんだ。 「こんな幸せなはずなのに心がしんどいの、私弱すぎでは?」の無限泥沼暗黒のループから抜け出せた訳では全くもってないのだけれど。 でもさ、沢山考えて行き着く先は、結局いつも「とはいえ、しんどいもんはしんどいんだから、仕方がないじゃんね」である。 そもそも、比較するものではないという議論は置いておくとしても比較する対象すらおかしいのだ。 「私は幸

この日、私は世界一自分を甘やかした

自分を大事にしていない、と言われた。 え~、そんなことないよ。 美味しいもの食べてるし、「自分をもっと大事にして」と言ってくれる人もいる。幸せじゃん。 あぁでも、幸せであることと自分を大事にすることはイコールじゃないのか。 とはいえ別にそんな自分を無下に扱ってるわけでは…そんなことを考えながら、なんとなく涙が出た。 あ、あれ~~~これメンタルやばくない?というか全身痛……バキバキじゃん。 …自分を労わってやるかと、マッサージ120分コースを予約した。 なんとなく行く

心のレンズと、今と明日となんやかんや

いつまで、いつかの自分に期待し続けるんだろう。 私は、世界を2つのレンズを通して見ているような感覚で生きている。 1枚目のレンズは交換不可能。 一度ついた傷は決して消えない。傷があることを自覚して見ないと、余計に辛い思いをしてしまう。 2枚目のレンズは、状況に応じて使い分ける。 「皆やさしいな、生きるの楽しいな〜超大好き!!」ってレンズを使えば、なんとなく元の傷は隠せるし生きるのがわりと楽になる。 ただ素の自分を投影した1枚目のレンズと差が開きすぎる程に確かに減るものは

幸せになる為に、今日も思い通りに生きない

世の中、思い通りにならないことのなんと多いことか。 普通に上手くいってしまったことには特別意識を向けないからなのか、あるいはマジのマジに失敗ばかりしているからか、よく分からない。 兎にも角にも、私の人生、物凄い大コケはしていないものの、大概8割くらい後悔ばかりしながら突き進んでいる気がする。 5年以上働いてきた今の部署もいよいよラストスパートで。昨日くらいから、もう同じ所属として会うのは最後だよという人も増えてきた。 というわけで最後の挨拶を……。 皆の前で何か一言、

パンとかまぼこの、運命的な出会い

ね。今度はパンとかまぼこですよ。 先日の札幌すすきのに次いで、今度は小樽まで足を伸ばしてきました。 札幌すすきのの話はこちら。 お寿司食べたり、小樽運河を見学したりと、観光客らしく楽しませていただいたのですが。 何より印象深かったのは、小樽のローカルかまぼこ屋「かま栄」さん。 店舗に入ると、カウンターにたくさんのかまぼこがずらり。 まるでパン屋さんのような品揃え。圧巻。 その中でも一際目を引く、「パンロール」そして「パンドーム」。 いわく、どちらもかまぼこをパンで

普通の日こそ特別に生きたい

何でもない日おめでとう! 特別な日はとびきり特別に生きたい反面、特別な日にこそ普通以上に普通に過ごしたいという気持ちもある。 一方で、特に祝うことのない日こそ、普通の日を頑張って生きていて偉い!頑張った!!自分を労わろう!!!おめでとう何でもない日!!!! みたいな気持ちでいたいなとも思う。 というわけで。 祝えるような素敵な機会を見つけた時こそ、祝う時なのだ。 ザ・リッツ・カールトン カフェ&デリ ローズLOVE 一台4,500円、イートインなら5,200円。

人に渡すチョコは自分でも食べたい

バレンタインは好きな人、大切な人に気持ちを込めてチョコレートを渡す日。日頃の感謝を伝える絶好の機会。 ということも、まあ無いことも無いかもしれないけれど。私にとっては完全に自分の為にある日だ、というか最早、当日だから何ってこともないよね。前後1ヶ月のお祭りだもの。 ただ少し思うのが…自分以外の誰かに選ぶ人だって、きっとチョコレートのお店に行って「美味しそう〜!」と感じて買うのでしょう? …自分も食べたくならんの?? 今年は、昨年さすがにお世話になり過ぎた人にバレンタイ

嘘に救われて生きてきた私は悪ですか?

自分でも思いもよらぬ一言で、意外なほどに傷ついたりするものだ。 分かっていたつもりだったのに、今更になって実感して驚いた。 数日前に親を怒らせてしまって、時々嫌味なメールが送られてくる以外、こちらからの連絡は無視され続けている。電源オフにするのはやめて欲しい。 要因は私の嘘がばれてしまったことにある。 3月中に一緒に行くアフタヌーンティーを予約した。 予約の仕方によって同じプランでも値段が何パターンかあって、確認が遅くなってしまったこともあって一番高いパターンでしか予約で

ボンボンショコラを推す会

チョコ沼の人たちって、なんとなくタブレット好きが多い気がしている。 カカオの味わいがじっくりじんわりと味わえるからだろうか。 買う量がヤバイので、賞味期限的な意味合いもあるのかもしれない。 私もタブレットを買うことはあるが、圧倒的にボンボンショコラ派。それも同じのが沢山入ったやつより、全部が異なるやつがいい。 限りある人生の中で、かけがえのない一期一会の奇跡をできるだけ多く楽しみたいから。 そんな信念をもって自分の好きを定義していくことは、おかしなことだろうか。 素敵