《酒井商会》《創和堂》《SHIZEN》と話題の飲食店を生み出してきた酒井英彰さん。今や、東京の飲食業界のキーパーソンのひとりとも言える酒井さんは実は生粋の福岡人である。帰省した酒井さんを福岡で押さえて、店をハシゴしながら、酒井さんの今とこれから、そして、どうしても聞いてみたかった福岡の飲食店のことを話した。 若いチームを作って、 自分のレストランをやりたい。 – 伊藤:福岡はいつぶりですか? 酒井:1年ぶりです。大学卒業した1週間後には海外に行って、その後もずっと関東な
福岡のライフスタイルを築き上げてきたのは誰?と聞かれると、僕は迷わずに石井風子さんの名前を挙げると思う。昨年30周年を迎えた福岡の道具や雑貨のセレクトショップ《B・B・B POTTERS》のディレクターとして、福岡の人々の暮らしを支え、暮らしに彩りを加え続けてきた。風子さんの存在は福岡の文化、生活を語る上で欠かせない。そんな風子さんが今、何を思うのか。石井さんが今、全力で取り組んでいるという《bbb haus》でお話を伺った。 自分たちができることの中から、 福岡に必要なこ
料理家の広沢京子さんが、福岡・糸島に移住してからずいぶん経つ。東京の第一線で働いていた広沢さんが福岡に移住すると聞いた時、僕は詳しいことも知らずに「なぜ?」と思った記憶がある。移住や2拠点ブーム前夜の話である。あれから13年。今や福岡で食の相談ごとがあれば、まずは広沢さんに連絡をするほど、僕にとっては“福岡の広沢さん“となっているが、広沢さんにとってはどうなのか?福岡市内の広沢さんのアトリエ《kichi》を訪ね、広沢さんの今、福岡の今を聞いてみた。 積み重ねてきたことを、
永吉さんは国内初のデジタルバンク《みんなの銀行》の頭取である。頭取だけど、足元はスニーカー。そんな永吉さん自身が《みんなの銀行》をよく表している気がする。旧態依然なイメージのある銀行業界にあって、福岡から国内初のデジタルバンクを立ち上げ、注目を浴びる永吉さんに“今”を聞いてみた。 銀行はこのままでいいのか? という危機感と焦燥感。 - 伊藤:永吉さんとは以前お仕事をご一緒させていただいたこともありますし、高校の先輩ということもあって、勝手に親近感を持って、連絡をさせていた
「ようやった」とは思っている。 しかし、イケてるかはわからない。 - 伊藤:まずは自身のブランド《FUJITO》の話を聞かせてもらってもいいですか? 藤戸:今日はブランドの話からでいいんですか? 伊藤:藤戸さんはいろいろやっているけど、まずはブランドでしょ? 藤戸:そうですね。 伊藤:福岡でブランドをずっとやって来て、コロナもあったし、アパレルは大変だって聞くし、まずはその話から聞かせてください。 藤戸:大変だったんですけど……、今年20周年を迎えまして。 伊藤
夕日が綺麗な場所で過ごしたい。 - 伊藤:なんで福岡だったんですか? 佐渡島:僕は自然がすごく好きで。自然が味わえる場所に住みたいなあと思いつつ、かと言って、やっぱり人と会うのも必要だし、文化的な感度みたいなものは、僕がずっとこの会社をやっている限りは必要で。東京との移動のこと、自然が近いこと、そして文化的であることを考えると、札幌、仙台、名古屋、金沢、大阪、京都、神戸、広島、福岡に絞られるんですよね。でも、札幌は冬がしんどいし、北海道は自然を楽しめる場所が札幌から遠くて
誰かに喜んでほしいからやっている。 - 伊藤:《おしのちいたま 塩そば》ができたのはいつですか? 平川:2021年10月ですね。 伊藤:準備を始めたのは? 平川:2020年のコロナに入ってすぐくらいですかね。 伊藤:コロナに入ってから始めるのは、なかなかの決断だと思うんですが、この場所でやろうとは元々思っていたんですか? 平川:このメディアで鈴懸の中岡さんが「都会に行っても時間がつぶせない」みたいなことをおっしゃっていて、僕も本当にそうだと思うんです。 買うもの
ユニークであること、すなわち、 ソニーらしい。だから成功した。 - 伊藤:福岡の話をお聞きする前に、まずは僕も参加させていただいているソニーパークの話からお聞きしたいです。というのも永野さんのソニーパーク的視点が街づくりに大事だと思っていたりするので。 《Ginza Sony Park》は2018年8月にオープンして、約3年間の活動を経て、2021年9月に一時閉園。今は2024年の新しい《Ginza Sony Park》へ向けて、準備中です。今はどんなお気持ちですか?
もっと厳しい環境の中で 自分が出せるようになりたい。 - 伊藤:二俣さんは福岡と東京に事務所があって、2拠点で活動しているけど、福岡と東京の比率は? 二俣:週のうち3日か、4日が東京って感じですかね。金曜日か土曜日に福岡に戻ってきて、火曜日あたりに東京へ行くを繰り返しています。 伊藤:毎週なんだ。毎週だとぼーっとしない?僕も同じようなスケジュールで動いているんだけど、なんだかずっとぼーっとしている(笑)。 二俣:疲れていないと言えば嘘になりますね(笑)。 伊藤:今、
自分が関わっている風景が 思い浮かぶ仕事に興味がある。 - 伊藤:中原さんはいつも自由に動き回っているイメージがあるんですが、最近はどんなことをされているんですか? 中原:会社(株式会社ランドスケーププロダクツ)の代表を抜けてからは、個人で動けるようになったので、個人でかなり動いていますね。 伊藤:会社のことはもうやってないんですか? 中原:やっているけど、前ほどいろんなミーティングに出なくなったから。 伊藤:個人のことって、具体的に言うとどんなことされてるんですか
一升瓶が動かなくなることからわかる、 今の時代のこと。 - 伊藤:やっぱり、コロナは大変でしたか? 轟木:商売していて、考えないといけないことが多かったと思うけど、考える時間もたくさんできたことで、結果としてすごく良かったなあと思いますよ。いろいろと削ぎ落ちたなと思って。 伊藤:実際に直接影響を受ける業態ですよね? 轟木:売上げが減っていないと言えば嘘になりますけど、そんなに変わらないんですよ。いろいろとタイミングが良くて。実は2020年に本店と薬院の両店舗とも移転す
変わっていいと思うことを 信じている。 - 伊藤:最初に酒井さんときちんとお会いしたのは、2015年に写真家のホンマタカシさんが太宰府天満宮のアートプロジェクトに参加した時だったと思います。その時、酒井さんは写真を撮られたり、ご自身の写真館《ALBUS》でホンマさんのワークショップを開催されたりして。お名前は知っていたのですが、その時、やっとお会いできた感じでした。 酒井:そうでしたね。ホンマさんの世界観が大好きで、展覧会をさせてもらった時は写真って何なんだろう?と問い
今だからこそ、九州って面白いかも。 - 伊藤:今日はよろしくお願いします。急に中岡さんのお話が聞たくなって、ショートメールしてしまいました。 中岡:大丈夫ですよ(笑)。なんでも聞いてください。 伊藤:中岡さんが今の福岡をどう見ていらっしゃるのかお聞きしたくて来ました。福岡のことを聞く上で、まず鈴懸の話からお聞きしていいですか。2023年で創業100年、3代目である中岡さんから見て今の鈴懸はどういう状態なんですか? 中岡:だいぶ肩の力が抜けて自由にやれている感じですね。
僕が今、話をしたい人と、”福岡”をテーブルの真ん中に置いて、ただただ話をする。そんなことをやってみたいと思ったのには、少しだけ理由がある。 ー 僕は、今でこそ東京と福岡の二拠点生活を送っているが(東京6:福岡4ぐらい)、僕と福岡が疎遠だった期間は長かった。 そんな僕と福岡との間を刻む時計の針が再び動き出したのは10年前の夏前のことだったと記憶している。 大学に通うために19歳で上京した僕と福岡との関係は、2年に一度ぐらいのペースで形式的に実家に顔を見せるためだけに帰る