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Q.二俣さん、デザイナーの立場から、今の福岡はどう見えていますか?

 

二俣さんに最初に会ったのは10年以上前の雑誌《BRUTUS》の取材の時だったと思う。その頃のブルータスとしては珍しく地方都市を取り上げる特集でその巻頭を福岡が飾るということになり、担当もしてなかった僕はなぜか同行していた。福岡の今を作っている新しい顔ぶれのひとりとして、彼はそこにいた。その時はプロダクトデザインで頭角を表した福岡のいちデザイナーという印象だった。しかし、その後、空間、建築と多くの印象的な仕事を世に送り出し、今や、“福岡の“の前置きがそぐわない存在になっている。彼が今の福岡をどう見ているのか。主観、客観入り混じる彼らしい福岡への思いを聞くことができた。

もっと厳しい環境の中で
自分が出せるようになりたい。


伊藤 二俣さんは福岡と東京に事務所があって、2拠点で活動しているけど、福岡と東京の比率は?

二俣 週のうち3日か、4日が東京って感じですかね。金曜日か土曜日に福岡に戻ってきて、火曜日あたりに東京へ行くを繰り返しています。

伊藤 毎週なんだ。毎週だとぼーっとしない?僕も同じようなスケジュールで動いているんだけど、なんだかずっとぼーっとしている(笑)。

二俣 疲れていないと言えば嘘になりますね(笑)。

伊藤 今、《CASE-REAL》には何人いるんですか?

二俣 12人です。福岡が僕を入れて7人、東京が5人です。

伊藤 案件はどれくらいの数を回しているんですか?

二俣 細かいものも入れると、同時進行で20~30くらいですかね。

伊藤 地域的には福岡が多い?

二俣 実は福岡はそんなに多くなくて、東京が半分、それ以外の地域が半分って感じですかね。

伊藤 仕事を受ける基準はありますか?

二俣 基準はないんですが、大前提としてあまりにスケジュールが合わなかったらできないですね。

伊藤 得意、不得意は関係ある?不得意なものはやらないとか?

二俣 うちがやっても意味がなかったり、他でやった方がうまくいく案件は積極的には受けません。すべてはできないし、不得意なものを受けると依頼主も僕らもお互いにとって良くない結果になってしまうので。

伊藤 逆にスケジュール的には厳しいけど、どうしてもやりたいということはある?

二俣 ないとは言えないです(笑)。でもスケジュールを最も重要視しています。時間がない仕事は、僕だけじゃなくて、スタッフにもすごく負荷をかけてしまうので。

伊藤 二俣さんの場合、プロダクトから空間、建築まで様々なものをデザインしているけど、自分の中で重きを置いている仕事の種類はありますか?

二俣 ないですかね……。どれもすべて真剣にやっているけど、自分にとって刺激を受ける仕事をやっていきたいですね。

伊藤 《CASE-REAL》として、これからはどういう仕事をやっていきたいとかありますか?

二俣 それは昔から変わっていなくて、いろんなことをやりたいと思っています。今まで通りの仕事もしていきたい一方で意外と思われるかもしれないですが、企業案件だったり、行政案件だったり、今までうちのような事務所が参加できなかったものもやってみたい気持ちが生まれています。今までは歯が立たない感じだったのですがちょっとずつできていけそうになって来ていると思うので。

伊藤 今って、二俣さんの得意なディテールを詰める仕事はできていると思うんだけど、そんな中、今まで歯が立たなかったような相手とあえてやるってことにはどんな意味があるんですか?

二俣 変な言い方ですけど、企業や行政の仕事を取り組むと自分たちの都合ではどうにもならない決まりやルールがあって、自分たちがそれに合わせなくてはいけない。それに加えて、自分たちのやりたいことを筋道立てて、よりきちんと伝えないといけなくなる。でも最近はそれをきちんとやれば企業だろうが、行政だろうが動くこともあるってことがわかってきて、それを経験すれば、どんな案件でももうちょっとちゃんとやれる気がしているんです。

伊藤 でもちょっと違う労力がかかっちゃうじゃないですか。それもあえて受け入れて?

二俣 個人のレベルでやっているとそれはそれでなんとなくできちゃうんです。でももっと厳しい環境の中でも自分たちが出せるようになった方がいいなあと思っています。僕らがやれるならやってみたいなと。そうやって、僕らがやれることをやって、良いものを世の中に生み出したいと思っています。

伊藤 日本中のものを全部やれるわけではないし、やっても微々たるものかもしれないけど、でも、自分たちがやって、ちょっとでも良くした方がいいよねみたいな気持ちって、僕も少なからずある気がして……、あの気持ちって何でしょうね?(笑)

二俣 何だろうね(笑)。

伊藤 名声とかではないでしょう?

二俣 そうですね。大変なことが多いけど、そろそろそういうところにもちゃんと目を向けて、自分の身を置かないといけないと思っているんですよね。これ、言葉にするのは難しいなあ(笑)。

福岡だから良いってことは、
実は何にもないかもしれない。


伊藤 今、《CASE-REAL》はどういう状態なんですか?

二俣 事務所は変わらず、下がることなく、ずっと淡々と。仕事の依頼はちょっとずつ増えていますかね。

伊藤 きっとちょっとじゃないでしょ(笑)。事務所をもっと大きくする選択肢はないんですか?

二俣 もっと大きくするのは僕が無理かも(笑)。あと、増えても、総勢15人ぐらいまでかな。

伊藤 そのリミットはどこから来ているんですか?

二俣 これ以上、人を増やして、仕事を増やしても、僕もクライアントもお互いが満足できる結果にはならないと思っています。僕が細かいところもちゃんとやりたい人なので、単純にそれが難しくなってくるから。

伊藤 なぜ、福岡に居続けるんですか?二俣さんは東京にいた方が仕事はしやすい気がするのだけど。家族がいるからという理由以外はありますか?

二俣 そもそも福岡で仕事がしたいと思って、鹿児島から出てきたわけじゃない。大学を卒業したら鹿児島で就職すると約束して家を出てきたから。

伊藤 そうなんだ。それ、初耳かも。

二俣 僕が一人っ子だったこともあって、親が鹿児島県内で進学してほしいという希望があったんだけど、僕はサッカーもやりたかったし、とにかく出たかったっていうのがあって、僕の中で背伸びしたのが福岡だった。で、そのまま大学を出て、就職もせず、そのまま福岡に居着いただけなんです。

伊藤 でも今は福岡にいる。家族で東京に行くみたいな選択肢はなかった?

二俣 僕はあまりフットワークがよくないし、自分の動きを変化させることが苦手なんです。不器用といえば不器用。福岡にいてちょうどいいなって思った瞬間から変えないままいくってなったんだと思います。

伊藤 デザイナー、建築家の視点から見て、福岡ってどんな良さがありますか?

二俣 福岡だから良いってことは、実は何にもないかもしれません。京都みたいな古い街は別として、他の地方都市と変わらないかも。

伊藤 例えば、二俣さんは兵庫県の城崎の仕事も長くやっているけど、外から見ていて、二俣さんがやりやすそうだなって勝手に感じています。あの地域は福岡と明らかに違うでしょ?

二俣 確かに違うかもしれない。単純にすごく小さなエリアってことがある。その上でずっと地場にいる人たちが自分たちで作っている街。僕らを利用してくれているけど外に頼り切っているわけじゃなくて、基本は彼らが自分たちで作っている。小さなエリアの中で生活もカルチャーもいろいろあるって感じですごく理想の高さを感じるエリアです。

伊藤 施主が強そうだね。すごいぶつかったりする?

二俣 施主はそれぞれ芯が強いと思うけど、だから反って、ぶつからないかも。

平面図を見ながら、
自分たちの頭の中では立体を組み上げる。


伊藤 二俣さんが仕事を受けて、必ずやるルーティンとか、大事にしている作業工程は何ですか?

二俣 絶対守っているルーティンや工程ではないけど、施主が何を考えてるか、何をほしがっているか、そこを僕は一番気にしています。常にそこが出発点だと考えています。

伊藤 それって、とにかく聞きまくる?

二俣 やたら聞くわけじゃないですね。どちらかと言うと、雰囲気で聞く。

伊藤 正直、二俣さんは話上手ではないでしょ?

二俣 はい(笑)。でも、接していたら、なんとなくわかってくる。逆に無理矢理は聞き出さないですね。

伊藤 そこからすぐにデザインに落とすんですか?

二俣 必要な機能をきっちりと詰めて行って、それと同時に施主がそこにいて似合うかなとか、使っていていい感じかなみたいなことを想像し続けます。

伊藤 自分の手元で考える時間は長いほう?

二俣 スタッフとは話をしますね。うちは平面図を眺めたりしながら、打ち合わせする時間がめちゃくちゃ長いんです。CGとか、模型も作るけど、それを見ながらってよりは、二次元の平面図でずっと見ながら、やりとりする。

伊藤 その作業には理由がある?

二俣 平面図を見ながら話している時、自分たちの頭の中ではもう立体を組み上げていないと話ができない。それがいいんです。だから最近では模型を作ったりはあまりせず、ほとんど平面で、検討しています。

伊藤 それってスタッフは緊張感があるよね。「お前の想像力はそのくらいか」って言われちゃいそう。

二俣 僕の場合、プロダクトでも何個も模型を作ったりしないんです。頭の中で考えている時間の方が圧倒的に長い。絵も描かずにずっと頭の中で考えている。うちのスタッフも二次元の平面図を見ながら、考える。うちはみんな、平面でディテールを決めたり、寸法決めたりする。まあそれがいいかどうかわかんないですけど。模型を作りすぎると、僕はかえってわからなくなってしまうんです。

伊藤 頭の中で組み上げられちゃうと、外から見ているだけでは技を盗めそうにないですね(笑)。

二俣 目に見える形で手順を踏んで、こうなったからこうなったんですってことが伝わらないから、みんなにとって本当に良いことかわからないですよ(笑)。

伊藤 施主によっては検討したものを全部見せてほしいって言う人もいるでしょ?本当に全部検討した?みたいな感じで。

二俣 平面図の検討はたくさん見せることはありますね。これはこうだからダメだったとかって話をすることはよくありますよ。でも、あくまで平面ですね。工程として、模型やCGは作るんですが、それ見て微調整することはあっても、大きく変えることはほぼないかもしれない。

デザインの暴力にならないように。
だから、住宅はより慎重に取り組む。


伊藤 二俣さんは《Aesop》《ARTS&SCIENCE FUKUOKA》《ヨーガンレール》などの世界観がしっかりしているブランドの意向もしっかりと受け止めて、自分の色を出すじゃないですか。そこには自分なりの考え方や組み方ってありますか?

二俣 世界観を持っているブランドの場合、何を考えているかはっきりとしているので、そういう面ではやりやすいというのはあります。あと、クリエイティブに対して感度が高い人が多いと思うので、一緒に良いゴールに向かっていける感覚はありますね。

伊藤 今の話を聞いていると、二俣さんのことが好きでお願いしたい見ず知らずの方の個人邸って、実は難しそうだね。

二俣 「お任せします」って言われたら、どうにでもできるんだけど、ちょっと間違えると、“デザインの暴力”になってしまう。その人たちは信用してくれているから、受け入れてくれるんだけど、僕がきちんとその人たちのことを熟知してからデザインしないと危ないんですよね。今はいいけど、10年後、それを良いものと見てくれるか?と考えるとそれはわからない。暴力になるような可能性があるから、本当に怖いなあと思いますよ。

伊藤 その危険性はあるよね。

二俣 だから、住宅を受けるとなるとそれは真剣ですよ。うちもそんなにたくさんは住宅をできないから。

伊藤  年にどれぐらい?

二俣 年間に2、3ですかね。それ以上はこの人数で住宅をやるのは無理ですね。

伊藤 そんなに少ないんだ。もっとやっているかと思った。オーダーのルールは決まっていたりする?人気の旅館やレストランみたいに竣工希望日の2年前から受けつけるとか。

二俣 さすがにそれはないけど(笑)、来年以降でもいいから、それまでは待っていると言ってくれる方とかはいらっしゃいますよ。

伊藤 どちらにしろ住宅を二俣さんにお願いできるのは相当狭き門だね。

二俣 どの物件もそうだけど、住宅は特に大変なんですよ。家族みんなが希望に胸を膨らませて、対峙するでしょ。かなりの確率で、目の前でご夫婦の意見が割れる場合もありますし……、とにかく、いろいろと考えることが多い。

伊藤 住宅をやらなくなることはない?

二俣 今のところはやっていたいですね。楽しい部分ももちろんあるんですよ。住宅って、人の営みのすべてが集約したようなものだから。そして、人の日常というリアリティが面白い。

僕のやっている仕事は
すべての関係性を整える仕事。


伊藤 仕事の中で多いのは商業空間?

二俣 商業、ギャラリー、オフィスが多いですね。

伊藤 住宅とそれらはアプローチや手法、大事にしている部分は違う?

二俣 重なる部分は多いと思います。華美になったり、派手に振る舞うことは僕は嫌いです。見えない部分でもきちんと設計して、息が長いものが作れるようにしたいと思っています。

伊藤 二俣さんにお願いしたいって、施主が思うのは、二俣さんらしさがほしいと思っているからでしょ。そう考えると時としてわかりやすい部分を求められたりしないですか?そこはどう折り合いをつけている?華美になったり、派手に振る舞うことと表裏一体な部分もあると思いますが。

二俣 空間や建築って、総合芸術みたいなところがあると思っています。ひとつの部分だけで成り立っているものではない。素材や機能を始め、いろんな要素があって、それでいろんな空間が生み出せる。うちが得意なのはそれを無駄なく一番ベストな状態に構成してプランしていくことだと思っています。だから、「これのここがいい」みたいな感じで“部分”で見ている施主よりは、“全体”、その空気感が気に入って仕事を依頼してくれる人が多いんじゃないかという気がしています。

伊藤 考える時は、全体を見て、大きく作っていく感じ?それとも小さなものを積み上げていって作っていく感じ?

二俣 小さいと大きい、どちらの方向も同時に見て、手直ししていく感じですかね。

伊藤 部分が変われば、全体も変わる。全体が変われば、部分も変わる。

二俣 その繰り返しです。

伊藤 小さい部分ってどれくらいの単位?

二俣 ミリ単位でやっていると思います。3ミリの角Rを5ミリに変更すると決まったら、全体の整合性を取るために直接関係ないように見える部分も触っていかないといけないです。

伊藤 じゃあ、ちょっと動いたら、すごい手直しが必要だ。

二俣 すべては関係性なので。空間で関係性が成立していないのが気持ち悪い。モノとモノとの関係性、物質の関係性。形状、色、素材、距離感とか。その全部の関係性が良くなっていかないといけない。言い換えるなら、僕のやっている仕事はそのすべての関係性を整える仕事みたいな感じです。

伊藤 スタッフも大変だ。二俣さんが小さな部分でも「やっぱりこっちがいいな」って言ったら、すべてが再度調整だもんね。

二俣 簡単な思いつきではやっていないから、無闇なことはしないですよ(笑)。でも、その意識はみんな身についています。

伊藤 基本設計や構想の段階から、そこまで見ていく感じですか?今の話はだいぶ進んでからですか?

二俣 もちろん、最初は大きく考えていて、中間くらいから意識して進めます。でも、みなさんが思うよりかなり早めから精度を上げて考えていると思います。僕自身もひっくり返るのが怖いんですよ。全部やり直しになるみたいなことはしたくないから。外から見たら「ここだけ入れ替えればいいじゃん」みたいに感じると思うんですが、僕らにとっては「これを変えるんだったら、ここ全部変えなきゃいけない」みたいな感じになるんです。それを防ぐために、かなり早めから時間かけてやっています。

伊藤 僕の仕事でも、デザインの戻しで「ここの字だけを大きくしてよ」って簡単に言う人がいたりします。こっちは全体のバランスで見ているんだから、それだけ大きくはできないよって説明するのはよくありますね。

二俣 後から「ああしたい」「こうしたい」って言われる時もよくあります。誰にでも新たに思いつくことはあると思うので、言ってはいけないとは思っていません。それを受けて、「確かに」と思って、戻る場合もありますから。ただ文脈に全くなかったり、無関係なことが急に出てくると苦労しますね。全体からほぼやり直しになるので。そういう時は空間それぞれの関係性をもう一度説明するようにしています。

伊藤 二俣さんの建築らしさってどこにあると思いますか?

二俣 自分で言うのは難しいですね……。

伊藤 素材とかは?

二俣 特殊なものを全然使わないんですよ。木とか、鉄とか。強いて挙げるなら、色でグレーを結構使う。

伊藤 あの有名な二俣グレーだね。

二俣 いやいや(笑)。全体を調和させる調整役という感じです。本当に材料も普通のものがいいと思っていて、特殊なものをやみくもに使いたくないんです。

伊藤 デザインのきっかけは向こうにあって、素材は普通のものを使って……、それでなんで、二俣さんらしさって出てくるの?

二俣 それは自分ではわかんないですよ(笑)。でも全体のバランスだと思います。余白と密が明白だったり、素材の重さのバランスだったり、色の主張のバランスだったり、とにかくすべてにおいて関係性を大事にしている。あとは機能的であることを追求している。それは徹底的にやるんで。人の動きをめちゃくちゃ考えていることも大きいと思います。

相手の思いや考えがないと
僕は作れない。


伊藤 二俣さんは今の福岡の街をどう見ていますか?天神ビッグバンを始め、再開発が真っ盛りですが、福岡の街づくりや都市のあり方ってどう見えてますか?

二俣 ちょっと乱暴な感じがしますね。容積率を始め、いろんなことが緩和されたりして、建築的にプラスなことがあるから、じゃあ、箱作ろうってなっていると思うんですが、それだと中に入っていく人やモノが居着かない気がします。箱づくりではなくて、中身として、これをやりたくて仕方ない、こうしたい、みたいなことがまずあるべきなのになあと勝手に思っています。

伊藤 天神ビッグバンだけでなく、天神大名界隈も様変わりしようとしています。福岡の真ん中で起きていることなのに、外から見ると、二俣さんは興味がないように見える。福岡に住んでいるのになんで興味が湧かないと思う?これ、僕が勝手に決めつけて、勝手に理由を聞いてるんだけど(笑)。

二俣 (笑)。なんでだろう……。天神や大名周辺って、別に利用しないわけじゃないんだけど、自分にとってすごく必要な場所ではなくなっているからかな。リアリティがないというか。活用をしようとか、利用をしようとか、最近は特に、あまり頭の中にないからかもしれない。

伊藤 僕と二俣さんは共通の友人も多いけど、会話の中にも出てこないよね。

二俣 大きなビルがいくつも建つけど、緑がたくさん増えるといいなあと思うぐらいですかね。こんな仕事をしていて、なんなんですがビルが建つこと自体には興味がないんですよ。

伊藤 そもそも起きていること自体の話だよね。その興味のなさはなんだと思う?世代?時代?趣味嗜好?

二俣 そのどれもだと思いますよ。

伊藤 あるエリアに行くと、その話ばっかりしている人たちがいるんだろうね。どのジャンルにもあるけど、ある種の分断が起きているのかもしれない。

二俣 街の中心部でいろんな人の思惑でいろんなことが起きているんだけど、正直、それに振り回されたくないというのもある。あと、どっかで諦めがあるかな。

伊藤 さっきの話と矛盾しない?行政関係だったり、今まで参加できなかったものもやってみたい気持ちが生まれていますっていう。

二俣 突っ込んできますね(苦笑)。正直、それを期待されているような気がすることは何度もあるんですが……、僕自身になかなか響かない。

伊藤 だとすると、相手の思っていることを理解することが大事な二俣さんにとっては難しいよね。

二俣 それで言うと、わからなかったっていうか、その本人たちもわかってない感じがするんです。意識がない感じがする。意識がないところには何もぶつけようがないから。まあ、そんなことばかり言っているから、そもそも呼ばれないことがほとんどですけど……。

伊藤 でも、言っても、福岡の真ん中じゃない?自分の住んでいる場所の真ん中なのになって思ったりはしないですか?別に真ん中を触ったから、どうってことはないと思うんだけど。

二俣 物事が変わっていく時、それも良くなりながら変わって行く時って、時間をかけて取り組んでいく中で奇跡的にタイミングが合わさった時だと思うんです。それをある時期にやることを決めて、みんなが一気にやろうとすること自体に無理を感じてしまいます。

伊藤 すごいわかる。自然なことじゃないよね。無理は良くない。

二俣 お祭りに行きたい人と行きたくない人っているじゃないですか。どっちかと言うと、僕は行きたくない人なんですよね。お祭りの時は家にいよう。お祭りが終わったら、ちょっと行こうかなっていう感じ(笑)。

伊藤 決して対立するものではないんだけど、どうしても対立構造になってしまいがちだよね。みんな、「良くしたい」という気持ちは同じはずなのにね。

二俣 そうですね。そういう話って、大体、大きな会社がやっていますよね。大きな会社って、大きい話を大きいままにして話をしていることが多い気がします。小さなものや細かなものがひとつひとつ呼応して、大きい話ができあがっているはずなのに。

例えば、大きな空間を作ることに慣れている人たちって、空間をどう繋げていくか、どう動線を作るか技巧に回っちゃいがちだったりします。そこにどんな人たちがいて、どんな日常が生まれるかとか、賑わいが実際生まれた時にどれくらい楽しい場所になるのか、そういうところにあんまり興味がないように見えてしまう。建築とか空間とか大きくなると、人のために作っているのにどこかで人のためではなくなっている場合が多い気がします。そこで起きていることが全然見えてこない。

伊藤 でも、二俣さんの例で言うと、《GSIX》の《CIBONE CASE》は大きな話を大きいままにしなかった例と言えない?その手のものは絶対にやらないってわけではないでしょ?

二俣 相手の思いが理解できれば、僕にもやれることはあると思います。

伊藤 福岡の転換期に、二俣さんの名前が出てこないのは個人的にはちょっと寂しいなあと思うけど……、あ、これ、僕の超個人的な意見だけど(笑)。

二俣 やれることがあれば、そりゃあ、やりますよ。僕自身にはああしたい、こうしたいが本当にないから。プロダクトはちょっと違うけど、空間や建築は完全に受け身なんです。実際作っていったら、自分の思いは出てくるんですけど、最初はない。無のまま聞いて、どんな人で何をやりたいかを聞く。そこから始まるし、言ってしまうと、ただそれだけだから。相手の思いや考えがちゃんとないと僕は作れないんです。

edit_Mayo Goto
photo_ Makiko Nishizawa


 

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