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Q.平川さん、糸島でやり続けている理由は何ですか?

糸島半島の突端に《またいちの塩》の製塩所《工房とったん》がある(平川さんが一から手作りしたこの工房を”平川さんのユートピア”と僕は勝手に呼んでいる)。時々、僕は福岡市内から車を走らせ、平川さんに会いに行く。会うと決まって、平川さんは「今度、あそこにあれを作るんですよ」と次の構想を楽しそうに教えてくれる。今、平川さんの構想は糸島で次々と実現している。それもユートピアと同様、自分たちの手で。僕は平川さんから構想を聞き、のちに実現されたものを答え合わせのように体験する。それを何度も繰り返した。その一連の流れは僕の刺激となっている。

誰かに喜んでほしいからやっている。


伊藤 《おしのちいたま 塩そば》ができたのはいつですか?

平川 2021年10月ですね。

伊藤 準備を始めたのは?

平川 2020年のコロナに入ってすぐくらいですかね。

伊藤 コロナに入ってから始めるのは、なかなかの決断だと思うんですが、この場所でやろうとは元々思っていたんですか?

平川 このメディアで鈴懸の中岡さんが「都会に行っても時間がつぶせない」みたいなことをおっしゃっていて、僕も本当にそうだと思うんです。

買うもの、ほしいものが段々なくなってきて、そんな中で「じゃあ、街に行って時間をつぶそう」って言っても全くつぶれない。僕らの世代にとって“街”というものが本当にそういうものになりつつあって。今、僕がポイッと街中で解放されても何もできないんですよ、コーヒーを飲むくらい(笑)。そして、コロナがあって、ますます動かなくなってしまった。でも、自分の中でだんだん溜まっていくものがあるじゃないですか。それを解消する術を何か作りたいなと思ったんです。糸島市は10万人規模の小さい街ですけど、大半の人は仕事をしに福岡市に行っています。だからその人たちがここにいるのは土日くらい。と言っても、コロナ前だと、みんなは買い物で福岡市に出ちゃうから、結局、みんなはここにいないわけです。いるのは老人くらい。でも、ここに何か行くところがあれば、みんなここにいるはずだと思ったんです。だから、そういう場所を作りたいと思って、ここを作りました。

伊藤 平川さんが代表を務める新三郎商店は《またいちの塩》で有名ですが、その製塩所《工房とったん》、そこから少し内陸に入ったところに《またいちの塩》を販売する《新三郎商店》、釜戸で炊いたご飯の定食が食べられる《ゴハンヤ「イタル」》、塩を使ったデザートが楽しめる《sumi cafe》、そして、今日お邪魔している《おしのちいたま 塩そば》と次々と糸島を中心に展開しています。塩を作ろうと思って、塩を作りはじめた20年前には今のような展開は想像していましたか?

https://mataichi.info/tottan/

https://mataichi.info/shoten/

https://mataichi.info/itaru/

https://mataichi.info/sumicafe/

平川 もちろん、想像していませんよ(笑)。最初は塩を作りたいという気持ちだけでしたから。でも塩を作っていく中で、本当にしたいことはなんだろう?と自分に問いかけてみたんです。すると、結局は誰かに喜んでほしいからやっているんだということに気付いたんです。僕は料理人から出発しているんですが、料理を作るということは誰かに喜んでもらうことですよね。その時からずっと誰かが喜ぶことを広げていきたいと思ってやっている気がします。

伊藤 塩を作りたかっただけだと思っていたら、本当にやりたいことが見えてきて、広がっているこの展開自体、自分自身では面白がれているんですか?

平川 うん。すごく面白がれている。塩をただ作って、売っているだけでは誰も買ってくれないので、ネットでの販売を始めてみたりして、常に試行錯誤しています。どうやったら売れるだろうとみんなで考えて、作業を見せた方が作っている情景を感じてもらえて、買いたくなってもらえるかな?と工夫したり。今って、世の中にはいろいろな塩があるわけです。味で選んでいるという人も多いと思うんですが、ここが好き、この会社が好き、この作り手が好き、と思って、購入している人も多くて、ある種のその塩のファンになって、使い出すとその塩を変えなかったりする。だから、積み上げてきたものをさらに積み上げられるように、ちょっとした驚きを提供し続けたいと思っています。新たな商品であっても、ただ塩を作りましたとかそういうありがちなものではなくて、ちょっとひねりの効いたものを作ろうとした結果、プリンができてみたり、そのプリンが受け入れられたと思ったら、プリンの新しい味を出してみたりとか、自分たちも面白がって、いろんな商品を展開していっています。

伊藤 《またいちの塩》のプリンはもうブランドですよね。《工房とったん》や《新三郎商店》に来た人みんながプリンを食べたり、お土産で買って帰っている。あの光景は想像していたんですか?

平川 プリンは味と発想は間違っていないと思っていたんですが、実際に売れるまでには 5年ぐらいかかっているんです。最初は本当に余ってしょうがなくて、近所の人にあげていて、「またこんなに余ったの?」なんて言われてたりしたんですよ(笑)。いろいろと手をかけて続けていくうちに、ちょっとずつ余らなくなって、で、今です。

おむすびを美味しく食べるために、
庭園を作った。


伊藤 平川さんは常に新しい企画を出し続けている印象があります。商品、サービス、そして、店舗も。そのアイデアはどこから生まれるんですか?

平川 いつ実現するかはわからないようなアイデアは自分の中にいくつもあって、それを妄想し続けています。それを自分の中でブラッシュアップし続けて、それを実現できそうな時が来たら、実現に向けて、動き出すって感じですかね。

伊藤 平川さんの場合、実現するにあたっては企画が先なんですか?それとも場所が先なんですか?

平川 《おしのちいたま 塩そば》もそうなんですけど、作りたいものがあるという話と、いい場所があるという話は別のところで考えていて、それがピッタリと重なった時にやりたいと思っています。

3つのお店がある向こうのエリアは、《ゴハンヤ「イタル」》でご飯食べてもらって、《sumi cafe》でデザートを食べてもらって、《新三郎商店》でお土産を買ってもらって、庭園で遊んでもらう。この一巡をしてほしいというグランドビジョンが実現しました。

伊藤 そうだ。庭園も作っちゃいましたよね。

平川 はい。作っちゃいました(笑)。

伊藤 作るよって話は聞いていたんですが、あんなに立派な庭園ができるとは……、自分たちで庭園って作れるんだと感心してしまいました(笑)。話は少し外れてしまいますが、なんで庭園を作ったんですか?

平川 レストランとカフェと商店を作るまではOKだったんです。でもそこから見える情景が美しくなかった。食べ物って環境に左右されやすいんですよね。おむすびも事務所の中で食べるよりも、自然の中で食べた方が美味しく感じるじゃないですか。だから、おむすびを美味しく食べてもらいたかったので、庭園を作ってみました。

伊藤 おむすびを美味しく食べるために庭園を作った(笑)。簡単に言いますけど、大変だったでしょ?あれだけ小山のように盛り上がった庭園に、たくさんの植物を植えて。

平川 土の量は一番でかいトラックで600台分です。

伊藤 600台(笑)。土の入手だけでも大変だったでしょ。

平川 それは幸運なことに近くで新しい道を通していたんですよ。これはちょうどいいって思って、「土と石をください」って言って、もらってきたんです(笑)。

伊藤 それはラッキーだ(笑)。思い描いた庭園ができた感じですか?

平川 そうですね。あの木々が育って行った先にどういう景色が見えるか。これから温室は作りたいと思っています。せっかくなので畑の作物がたわわになってほしくて。みかんを植えていたんですが、1期生はみんな死んじゃって、今3期生からやり直しています。

伊藤 まだまだやるべきことは残っているものの、大きくは、食事、喫茶、お土産屋、庭園であのエリアは完結して、そして、次がここのエリアなんですね。

平川 はい。まず塩そばのお店を作りましたが、実はこの後ろの土地にビアガーデンを作ろうと思っているんです。

伊藤 ビアガーデン?

平川 素材に塩を振って焼くだけで美味しくなるから、ヤマメの塩焼きとビールとか最高じゃないですか。昼過ぎぐらいから(笑)。ここだと公共の交通機関が整ってるから遠くからでも来れる。あの奥の大きな木にはツリーハウスも作る予定です。あと、この横の土地が駐車場なんで、駐車場をそのまま生かして上に物販のショップを作ろうと思っています。

伊藤 どんどん作っていきますね(笑)。

みんなが決めたところ
ではないところを攻める。


伊藤 平川さんの何かを思い浮かんだら、もう手が動いているみたいな感じって、それは昔からですか?

平川 それは昔からです。やろうと思ったら、全部自分たちで考えてやってきました。

伊藤 例えば、ラーメン屋さんをやりたいと思っても、もうラーメン屋さんなんてたくさんあるし、そもそもラーメンなんて作ったことないし、挑戦する前に諦めてしまう人が多いと思うんです。でも、平川さんはそんなことは関係なく、入っていける。それってすごいことだと思います。

平川 ラーメンのことを知っていて、ラーメンを作ったら、他と同じになっちゃうじゃないですか。ラーメンの業界を知らない人が作った方が面白いものになる。いつもそんな発想なんですよ。ラーメンって言ったら、ラーメンになっちゃうから、ここで提供しているのは“塩そば”なんです。

伊藤 なるほど。だから“塩そば”なんですね。

平川 みんなが決めたところではないところを攻める方が好きなんですよね。逆発想が好きです。

伊藤 新しい取り組みは自分だけで決めているんですか?

平川 僕の中で一番信頼しているのはかみさんです。その次に20年ぐらい一緒にやっている副社長。両方に相談して決めるんですけど、だいたい意見が割れる。そこを説得できたら進む。説得できなかったらやりません。

伊藤 きっと奥さんも副社長もまさかここまで広がるとは想像してなかったでしょう?

平川 そうですね。実はここのお店に関して、最初、かみさんには内緒にしていました(笑)。コロナでみんなが内向きになっている時に何でそんなにいっぱいお金を使ってやるんだって言われそうだったので(笑)。でも今、やらなくちゃできないことだと思って、内緒で始めて、半分ぐらい進んだあたりで、やる、やらないではなくて、店舗のデザインについての意見を聞いたりして……、なんだかんだでうまく着地しました。

伊藤 行き当たりばったり的な感じですけど、3人の意見を統一させることで合理的で良い仕組みが出来上がっているんですね、きっと。

平川 みんなは「社長は運がいいんだ」って言っていますよ(笑)。

伊藤 それは運だけじゃないでしょう。生産者であることの信用もあるし。それも塩。塩を作っているって、人を信用させてしまう何かがある気がします。

平川 ずるいんですよ、塩って。何にでも変わることができるから、いろいろなことができる。楽しいですよ、すごく。大変だけど、飽きることはありません。

伊藤 どれぐらい先までの予定が決まっているんですか?

平川 5、6年先ぐらいですかね。今と変わらず、塩を中心に動いてますよ。

求められていることがこっちにある。
だから真ん中には持って行かない。


伊藤 福岡の中心地で起きていることをどう見ていますか?

平川 真ん中が真ん中じゃなくなってきていますよね。それをみんながどう受け止めているのか。でもここが真ん中だと言い続けている人がいまだにいっぱいいるんだな、と。それが“天神ビッグバン”だと思いますね。でも、ここは真ん中ではないと思っている人も増えているから、その思いを持った人はどんどん外へ外へと出て行っている。それって今までの日本のありようにまた戻っている状態だと思うと“揺り戻し”が起きているんだと思うんです。自分の手に届く範囲で生活をしようとする状態に戻ろうとしている。当然、中央に行けば全てが揃う環境だと思うんですけど、今更、それをもういっぺんこの世代で戻す必要はないんじゃないかなと思います。これだけ密になってはダメだよと言っているのに、もう一回密に帰させるような物事の考え方だったら、利害が通じる人だけが残って行って、結局、元に戻るじゃんってね。

僕はやっぱり人ありきだと思います。モノが先じゃなくて。それを忘れちゃダメだと思う。なかなか難しい話になってきてしまうんですけど、それぞれの場所においてのキーマン的な存在が本当に大事になってくると思います。

伊藤 この地域は人と人との横のつながりはあるんですか?

平川 ありますよ。このあたりだと《THINNING》、「間伐」という名前の付いた、楽しんでもらいながら、山の問題を知ってもらうイベントがあります。それの主催をしている林くんが年齢が同じくらいですぐ近くに住んでいます。林くんは太宰府での合同展示会《thought》もやっていて、僕よりもフレンドリーで人をまとめるのがすごくうまい。千葉から移住してきた人なんだけど、この地域の人たちも、来る人たちも喜ぶイベントを作ることができる。そういう人がいると地域はつながって、まとまっていくような気がします。

伊藤 福岡の真ん中では人の顔が見えないですもんね。そもそも人が住むような場所ではないですし、難しいですよね。平川さんは行かないでしょ。真ん中の方に。

平川 行かなくはないです。週に1回は出ますよ。リサーチですけど。どんな感じになっているのかな?と思いながら、ふらっとする感じですかね。

伊藤 その中で最近気になったことありますか?

平川 本当に車で行って、少し停めて、少し歩くぐらいの感じでしか見られていないんですが……、長く持つ店かどうかわからない怪しい店がすごく多いですね。それが大きな資本の店であっても、「これ、何年持たせるつもりで建てたんだろう?」という店が本当に多い気がします。

伊藤 コロナもあって、そのサイクルが加速度的に速くなった感じがありますね。もしかしたら、その速度が上がりすぎて、逆にそのサイクルは止まってしまった感じもありますけど。見渡すと、結局、きちんと手間暇をかける人のところが残っている気がします。自ら魅力を作り出すことが本当に大事になっている。僕からすると、平川さんはその典型な気がします。どんどん動いて、どんどん人がやらないようなことをやって、魅力を作り続けている。人がやらないような面倒臭いことまで(笑)。

伊藤 もし、福岡の真ん中で何かやって、と言われたら何をやりますか?

平川 実はそれを妄想し続けているんですけど、答えが出ないんですよね。結局求められていることがこっちにあるから、真ん中に持っていってもダメだろうなって思ってしまいます。

伊藤 ちなみに今まで真ん中でやろうとしたことは?

平川 ありますよ。大名で小料理屋をやって、店先が昔のたばこ屋さんみたいになっていて、たばこではなくて、塩を売るっていうのをやりたかった。そんな時期もありましたね(笑)。

伊藤 専売っぽい感じですね(笑)

平川 やりたかったんですけど、でもそれって本当に自分たちがやる方向性じゃないよねっ思ってやらなかった。

伊藤 逆に自分たちがやる方向性とは?

平川 僕らは、塩を通じて、ニッチな部分よりも、もうちょっとだけ幅広い層に支持をされて来たので、それをきちんと売りにするべきじゃないかと思っています。自分たちがやるべき方向性を間違ってはいけない。この塩そばも、福岡はとんこつラーメンの文化なんですけど、とんこつラーメンが大好きではない人も多くいる。じゃあ、塩でその選択肢のひとつになりたいと思いました。そして、自分たちらしい提供の仕方を考えていくうちに、スープの塩加減の好みは個人差があるんで、提供する際にギリギリで止めておいて、自分たちが作っているいろいろな塩があるから、それを好きに選んで、自分の好きな塩加減で食べてくださいというスタイルにしたんです。

伊藤 買ってきた塩じゃなくて、自分の作った塩でできるんだから、それは強いよね。

平川 塩そばだけでなく、プリンにも塩を中に入れるのではなくて、外に付けていて、最後はお客さんの自分の塩加減で食べてもらう。自分のお好みでどうぞ、と、最後にそこをお客さんに投げることで喜ばれる。自分も参加している感があって、いいんでしょうね。

伊藤 でも、かけている塩は“俺の塩”ですからね。それが本当にすごいことだし、強いなあと思います。

平川 いやいや、そういうジャイアン的な発想をそろそろ脱出したいんですよ(笑)。

伊藤 いやいや、ジャイアン的でいいんだと思いますよ。平川さんには、みんな、それを求めていると思います。その感じは誰もが出せるものではない。平川さんが近くにいると何かやってくれそうですもんね。

平川 僕、政治家にはなりませんからね(笑)。

方向性の話でいくと、環境のことは考えていますね。今、うちは木と回収してきた廃油の天ぷら油を燃やして、その熱で塩を作っています。産業廃棄物の油を使って燃やすことで二酸化炭素も減らすことができると思っています。あと今、考えているのは、大学で研究されている方と一緒に自然エネルギーを使った塩作りができないかと考えています。太陽光パネルじゃなくて、風力。あと、波力。持続可能なエネルギーで塩を作ることができればと思っています。

伊藤 今も自然エネルギーで作っているのは作っていますよね?

平川 環境には配慮はしているんだけど、多くの木を燃やしたりしていますから、カーボン・オフセットという考え方もありますが、できれば今より燃やすこと自体を減らしていきたいと考えています。専門家に知識をもらいながらやっていきたいなあと思っています。

伊藤 そんなことやろうとしている人はあまりいないでしょ?

平川 僕の知る限り塩の会社ではまだそんなにいないかもしれませんね。

edit_Mayo Goto
photo_Yuki Katsumura



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