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小説『丼とバーガー』草稿④

金沢④

 加能まいもん軒。マスターに料亭大伴楼でのくだりを話した。老舗料亭の主人が乗り気なことにマスターも驚いていた。
 「何を丼とハンバーガーにするのです?」
 鰆の西京焼き、鯛の唐蒸し、松茸と白子の天麩羅、鴨の治部煮。四つの料理をあげた。
 大伴楼の主人からは、それぞれ奥が深いので郷土料理の代表の唐蒸しと治部煮に絞ってみることをすすめられた。
 「では、予習のお勉強しましょうか」マスターは微笑む。
 「鯛の唐蒸しと治部煮の歴史くらいは知っていますか?」とマスター。
 もちろん、「知りません。」
 マスターが教えてくれた唐蒸しは、
 唐というだけあって、ルーツは中国の精進料理。長崎に渡って卓袱料理にトランスレートされた巻繊(けんちん)が加賀に伝わったもの。
 巻繊(けんちん)とは崩した豆腐と根菜類の野菜を炒めたもの。それを地として春巻きの皮や湯葉で巻いて蒸したり揚げたりした卓袱料理。
 けんちん蒸しは、湯葉の代わりに魚の身や鳥肉で挟んで蒸す。もはや精進料理ではない。
 金沢の唐蒸しでは、豆腐の代わりにおからを使っている。挟むのはお頭付きの鯛だ。金沢では、結婚式の披露宴で鯛の腹にいっぱいに詰められ、雄と雌の鯛を腹合わせにして祝儀として提供される。
 「エロいですね。」僕がつぶやく。
 「エロいですか。確かに、これから夫婦となる二人が向き合う。たくさんの子宝を願うように、いっぱいに詰めたお腹を合わせた雌雄の鯛をいただく。結構あからさまな生殖行為の暗喩だよね。でも、これによって、鯛を殺して食べるという、生臭い殺生から生き生きとした生殖の物語になる。これも精進。エロースのロマンが立ってくる。だって本人にとっては随分とロマンチックなことじゃないかな?当事者となってその場面を想像してみて下さいよ。一緒に横になって彼女を見つめる自分を。」
 当事者?鯛になれってこと?違うか。ああ、夫婦になる男と女か。
 途端、恥ずかしくなった。少し赤面したかもしれない。元カノとのことをリアルに思い出した。恋してる時は、ドラマの主人公の様で、確かにロマンチックな役を演じるのに必死だったな。いま思えば、恥ずかしくもなく、ある意味何でもありだった。確かにロマンを張っていた。
 しかし、このマスター、相変わらず難しいことを言う。
 披露宴で鯛の唐蒸しを出された客は、目の前の若い男女のこれからのことを想像するのか。それはいやらしい。それとも自分の過去のことを思い出すのだろうか。これは恥ずかしいな。
 ひとつの料理に対してそんなこと思うなんてこと、今までなかったな。それも美味しいとかじゃなくて、恥ずかしいなんていう感情を持つ。料理が物語りをしている。それは、わかる。
 それから、いやらしいと恥ずかしいについて考えていた。そんな気持ちを察したかの様に、マスターは哲学者の顔になって、少し饒舌にエロスについて話をする。要約するとこんなことだ。
 キリスト教OSの西欧文化で文明開花した明治以降、愛に序列を付け、エロースをエゴイスティックな性的欲望ととらえ、エログロナンセンスなんて言って、エロースを低俗とする未だ鹿鳴館時代を生きている我々は、江戸時代以前のこの辺りのロマンチックな感覚は理解できないだろう。マスターは微妙に笑う。
 マスターはエロスをエロースと伸ばして言う。言っていることはわかるけど、そもそもエロじゃない、江戸時代のエロースのロマンがリアルにはわからない。あれ?マスターの受け売り?自分も何言ってるのかわからないので、しばしの沈黙の時が流れる。
 たまらなくなって、治部煮は…
 一方の鴨の治部煮の方は、今は椀のものになって高級感いっぱいだけど、元はとても庶民的な冬の料理、と待っていたようにすぐ返してくるマスター。
 鴨南蛮や雀焼と言ったら、江戸時代のファストフード。小腹が空いた時にちょいと食べるもの。
 鴨や雀はそれだけ普通に獲れて食べられていた鳥で、特に鴨は加賀に多く飛来しポピュラーな食べ物だった。出汁をとって根菜や椎茸で煮汁を作っておいて、食べる時に温め直して、小麦粉を軽くまぶした鴨を入れて火を入れる。まぶした小麦粉が鴨の旨みを閉じ込め、汁にトロミをつける。ここにさらにすだれ麩というお麩を入れて、汁の旨みを吸い込ませて食べる。トロミで保温効果があり、農作業の間でもめいめいが自分の時間で食べられる。炭水化物は蕎麦やうどんの代わりにすだれ麩が入っているというわけだ。

 土曜日の午後。料亭の厨房に通していただく。
 「さっそくですが、これをおたべ下さい。」
 カメラの前に稲荷寿司が置いてある。
 一口、かじる。あれ?
 「おからですか?」
 「そうです。おからを出汁で炊いたものをお稲荷さんの揚げに詰めています。」
 「この稲荷寿司がヒントです、今日お伝えしたいことの。料理をお見せしながらご説明します。少しお勉強になりますがよろしいですか。」
 なんだろう?おからの稲荷寿司と丼とバーガー。おからには、人参、ごぼう、れんこん、しいたけ、銀杏、木耳などの具が入っているようだ。それと…細かい繊維状のもの、すごく旨みがある。
 ご主人が話し始める。
 唐蒸しと治部煮、それぞれの歴史を辿ってみましょう。
 まず、唐蒸しです。
 見ててくださいね。
 ご主人の前には、まだ蒸す前の背開き鯛とおからがある。
 「この鯛の腹に入れるのが、おからのけんちん地です。披露宴の鯛の唐蒸しから、夫婦の子作りの物語を外してみます。」分けて並べられた鯛を手に取ってまな板に置く。鯛の皮を剥いて白身だけにする。
 おからのけんちん地を挟んでいるこの鯛の身は、長崎の卓袱料理では、湯葉や春巻きの皮で巻いて、蒸したり揚げたりしていたものです。それが魚や鳥の開いた身で包まれ蒸されるようになった料理が伝わりました。
 ご主人が鯛を開き、その身でおからを巻いたものと湯葉で巻いたものを作って並べる。「なるほどですね。」予習していたので理解できる。
 おからは、卓袱料理では水切りして擂った豆腐。それを刻んだ根菜などを炒ったものと和えたものです。おからと豆腐の違いです。
 擂った豆腐を使った料理に、ご存知のがんもどきがあります。飛竜頭とも呼ばれるものです。
 これは精進料理の一品で、根菜やきのこ類を炒め、擂った豆腐と和え、銀杏や麻の実、栗、慈姑など実を加えて丸めてあげたものです。文献(豆腐百珍)によると、この飛竜頭の江戸時代の製法は、少し異なっていて、炒めた根菜類の中身を擂り豆腐で包んで肉饅のようにして蒸したり揚げたりしていたらしい。
 ここで注目したいのは、豆腐が生地になって具を包んでいると言う構造です。つまりは食べやすくするために具材を湯葉や春巻きの皮や擂り豆腐で包んだりして食べているということなんです。こうなるとルーツが精進料理のけんちんとがんもどきはほとんど兄弟です。
 目の前には、揚げる前のけんちん地の湯葉巻きと擂り豆腐で包まれた江戸時代のがんもどきが並んでいる。
 これを蒸したり焼いたりしたら。
 おやきや肉饅やカレーパンだ。ファストフードですね。
 そうですね。つまりは、人が物語や決まり事を作って複雑にしているものも剥がしてみれば、シンプルな食の形が見えてくるのです。
 稲荷寿司は、どうですか?
 そうか、おからの中身を揚げで包んでいるファストフードだ。複雑な披露宴の鯛の唐蒸しを削ぎ落としシンプルにして行ったら、単細胞生物みたいな存在になった。
 「でも、おぼろのような舌触りの何か旨みの強いものが入ってましたよ。」
 なんでしょう?微笑んでいる。
 なんだろう?
 近いのは、「でんぶか、な?」
 「正解です。」ご主人がうなずく。鯛のでんぶです。茹でてほぐした鯛です。
 そうか、唐蒸しの全てがここに入っているということなんですね。かつ、湯葉ならぬ揚げで包んである。
 「そうです。さあここからです。」とご主人。
 さきほどの鯛の身で挟んだおからのけんちん地を取り出して、鯛の身を小さめに切り、逆におからで包む。コロッケ型に成形して、
 これを揚げます。
 なるほど、鯛入りのがんもどきか。
 ゆっくり鯛に火を入れる。一旦出してしばらく休める。仕上げに少し油の温度を上げてさっと揚げる。
 さあ、お食べ下さい。
 美味しい!中のおからに鯛の旨みが染み出している。鯛もほんの少し生の部分があってふわふわ。鯛がうまい。おからの味がほんのり付いている。
 それに周りのカリッとした部分と中のしっとりとしたおからとのコントラストが面白い。カリカリの表面は微妙に甘くて美味しい。
 うわ、そういうことか。つまり、揚がった表面のカリカリは、湯葉や揚げの様に形を保っているフライの衣だ。これで閉じ込められているので、揚げると天ぷらのように鯛が蒸されるんだ。まさに唐蒸し。
 しばしのアハ体験を堪能。
 もうこれで十分なバーガーですが、と笑うご主人。
 それでは本題の鯛の唐蒸しバーガーの組み立てに行きましょうか。ソースはとろみのある甘酢餡で。バンズで挟みますが、ソースをがんもの下に敷くか、上に載せるか、で味覚がまるで違ってきます。
 今日は、バンズのヒールに白髪ネギをたっぷり乗せて、鯛のがんもどき、甘酢餡ソースをかけて柚七味を振り、クラウンを乗せて完成です。
 いただきます。うわっ、うんまい。
 食べながら考える。
 雁もどき。鳥肉団子のかわり。もどきと鳥肉。精進と殺生。精進料理にある表裏。
 飛竜頭って、竜の頭を食べるってことだもんな。針皮牛蒡は髭、木耳は髪の毛、銀杏は目玉ってところか。竜の命をもらう。その力を取り込む。
 こうして、鯛が入って精進から再び殺生。ヒトが生きていくこと。おいしいと喜んでいること。この手にある食べ物というエネルギー。命をいただいている。片手に持つパワー。ファストフード。
 江戸時代のファストフードはスローフード。自炊できないひとり者がそこらへんで獲れたものを手っ取り早く簡便に食べる。蕎麦、寿司、天麩羅。鴨南蛮に雀焼。葱鮪に鰻の蒲焼。お膳なぞない。みんなワンハンドパワーメシだ。
 なんて考えていると、蓋つきの丼が目の前にドンと置かれた。
 どうぞお食べ下さい。
 蓋を開ける。あっ。
 フェイントをかけられた。白い。なんだろう?
 タルタルソースか。バーガーの甘酢餡だとてっきり思っていた。
 先ほどの鯛の唐蒸しがんもを1.5センチ程に切ったものが三本。その上に白いタルタルソースがたっぷり掛かっている。
 一つ、箸で揚げて口に入れる。あれ?
 ご主人が微笑んでいる。謎かけの時のいつもの顔だ。
 舌には甘塩っぱい味が。がんもの下にはタレが染みている。
 ご飯と一緒にお食べ下さい。
 タルタルソース、がんも、ご飯をいっしょに口の中に入れて噛む。ああ、美味い。タレの染みたご飯とがんもの一体になった甘くて塩っぱい味。鯛の旨み。後から来るタルタルソースの酸味と刻みタマネギの辛味。
 なるほど。バーガーとは違う食べ物だ。こっちのがむしろ洋風の料理だけれど、ちゃんと日本の丼の特徴が活かされている。ご飯の湯気ががんもの表面を蒸らして、タレを柔らかく染み込ませている。それによって一体感ができる。丼ものはこれだ。そこに酸味。タマネギの生感。
 ああ、三菜を思い出した。メインの蒸し鯛のおから揚げ、タレ(煮物)、タルタルソース(なます、向付)。思わず、ご主人に自説を披露した。バーガーの方も因数分解して話した。饒舌だったと思う。喋りすぎた。
 編集が大変だ。

 この後、治部煮バーガーも作ってくれた。とてもシンプルだった。それは丼でもあり、バーガーでもあった。
 その話は、この後に参加したマルシェの報告で紹介しようと思います。
 そこでは、この鯛の唐蒸しバーガー改と鯛の唐蒸し丼改、治部煮椀バーガーを出して大好評?を得たのだった。


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