見出し画像

小説『丼とburger』草稿 田辺篇⑥

 龍神椎茸。「ト」のマルシェで再会した、はんとぱんとさんの椎茸フライサンドの椎茸。この大きさと美味しさに驚いて、早速調べた。
 保存食材の干し椎茸。保存のためだけではなく、乾燥させることで新たな旨味成分が生まれるという。
 かつては松茸とは比較にならない、恐ろしいほどの高級品で、貴族・武家階級、富裕層以外の人が口にすることはほぼなく、中国にも輸出されていたという。同じ重さの銀と交換なんて冗談でもなく、高値で流通していた。
 その中でも名産地で有名なのが大分。そしてここ和歌山。気候があっているらしい。昔の栽培法は、ほぞ木に傷をつけて、放置しておくだったそうだから、椎茸が出てくるかは運任せ。菌が浮遊して傷口に着床するのに適した環境があるのだろう。
 今やカジュアルな食べ物になってしまったけれど、ここ龍神の椎茸は、肉厚で大きく、干してもそのままでも味がいいと評判だった。もともとは原木栽培で知る人ぞ知る名品だったけれど、菌床栽培でたくさん生産され、多くの人に食べてもらえるようになった、とある。
 「ト」の後すぐに、それがあがら丼として食べられる龍神村に向かった。
 道の駅龍神の郷。その食堂で給仕をしている女性にチケットを渡す。会話が短くはっきりして良いけれど、とてもドライでつっけんどんに聞こえる。少し怖い。しばらくして怖いのは愛想がない、表情に微笑がないからだと気づいた。誰彼と笑いかけはしない。真面目な気性なんだと考えた。
 その店のしいたけ丼としいたけバーガー。あがら丼のラインナップの一つ。山の中の道の駅の食堂で提供している、the 元祖だ。
 しいたけ丼は、とてもシンプルだった。ソースかつ丼と構造は同じ。トンカツがしいたけフライになっている。丼のご飯にキャベツが敷いてあってその上にベーコンと椎茸フライがのってる。フライはウスターソースにどぶ漬けして、衣に染み込ませているようだ。ソースは、すっきり酸味の効いたスパイシーなウスターソース。甘辛くはない。むしろ酸味が強いくらいだ。そういえば、江川のお好み焼きのソースも酸味が強いと感じた。田辺ではソースは酸っぱいのが好まれるのか?
 焼きベーコンが効いている。椎茸、ベーコン、ソースと旨み成分の大集合。ベーコンの焦げた匂いは反則級に本能に働きかけて来る。

 「太刀魚のふっくら照り焼き丼」は、あつあつのご飯の上に錦糸卵がひかれてその上に太刀魚の照り焼きが乗っかっている。すごくシンプルな丼だ。
 三菜の因数分解では、焼き物が太刀魚の照り焼きと錦糸卵、煮物が照り焼きダレ、向付は高菜漬け。
「これを食べてみてください」
 お主人が、カメラの前に出したのは、黒っぽいさつま揚げのようなもの。
 さつま揚げ、いやじゃこ天ですか?食べてみるとちょっとコリコリしている。
 ご主人が笑って、
「『ほねく』です。太刀魚なので『たっちょほねく』とも言います」
「ほねく?」
「正式には『骨くり天ぷら』です。この近くの有田という所の名物です。
 この辺では、太刀魚がたくさん漁れるので、太刀魚を使った料理が沢山あります。基本は新鮮なのを焼いてふっくらしたところを食べるのが一番ですし、うちのあがら丼は、関東の鰻のように蒸してからタレをつけて照り焼きにしています。
 でも漁れ過ぎて食べきれないと保存しました。その一つが「ほねく」という太刀魚の骨ごとすり身にして油で揚げたてんぷら、さつま揚げです。骨が入っていますので、カルシウムもたくさん摂れます」
 確かに。歯応えがある。白身の淡白な味が、骨を入れることで複雑になっている。旨味も強く感じる。
「龍神椎茸の話をお聞きして、このほねくを使おうと思いました」ご主人は言う。
「これを椎茸に詰める肉にします」
 目の前につみれのような魚のミンチを置く。
「これが揚げる前のほねくです。ただし、骨は少な目に、身は荒く擦っています。太刀魚のふわっとした感じを残すためです」
 そして登場したのが、肉厚で美味しそうな龍神椎茸。
 でかい。バンズの直径と同じか少し大きい。
 ご主人は、太刀魚のすり身、ほねくを椎茸の傘に詰めていく。そのまま油に投じる。
 ああ、言われる通り、椎茸のさつま揚げだ。
 揚げている間に、バンズのヒールをバターで焼く。
 するとご主人は、めはり寿司の大きな高菜漬けを取り出した。「高菜漬けを刻んでもいいのですが、今回はこうして…」
 ヒールのバンズをめはり寿司のようにくるむ。
「えっ?」
「ふふふ」ご主人が笑う。
 高菜漬けでパンを包むなんて聞いたことも見たこともない。けれど、よく考えてみたら、ピクルス代わりに高菜漬けを挟んだハンバーガーは、実際にある。代用品としては、たくわんやらっきょう、福神漬けと同レベルでマッチしてうまい。むしろ日本人の僕らにはピクルスよりも合う時もある。そこで、包んでみた、と言うわけだ。
 揚げたてのほねく椎茸を、タルタルソースではなく、甘辛の南蛮ソースに漬けて込んで、めはりパンにオン!確かにタルタルソースだと、美味しいけどその味になってしまう。フィッシュバーガーだからタルタルソースと決まっているわけではない。
 さらに錦糸卵を乗っけて、フタして完成。
 すごい色彩だ、な。
 緑色のベースに茶色、黄色、黄土色。
 熱いうちに大きく一口。
「うまいっ」
 これはひとつの料理、それも和食の。パンを使っているけれど、ちゃんとした和の一品だ。会席コースの中で出しても全然成立する。
 高菜の塩味と酸味、高菜で包んだケフィア酵母のバンズの甘味と酸味が効いている。それが、旨みの強い太刀魚と椎茸をしっかり受け止めている。甘辛のソースともバランスがいい。タルタルソースにしなかった訳もわかる。ポイントは酸味なんだな。
 会席で出されたら、その献立には「めはりパンで挟んだ、椎茸と太刀魚の骨くり天ぷら」なんて書かれていそうだ。

「漬けカツオの唐揚げ寒天ソースバーガー」
「椎茸ほねくのめはりバーガー」
 撮影終わっての編集で、このあがら自由に発想している料理、ふたつのバーガーの映像を何度も見た。
 片手で持てるこの食べ物に、一つの小宇宙を見るような気がした。
 料理は同じ食材をつかっていても、調理法や組み合わせ方で、いかようにも新しい宇宙が生まれる。
 ここ田辺自体がそういう場所だ…僕の動画ではうまく伝わらないかもしれない。でも…
 確かに和歌山は小宇宙だ。険しい山々の向こうに、太平洋の海を挟んでわずかに開かれた空間。この狭い空間で、だから精神的には拡散している、あがらな宇宙が広がっている。それは独自だ。
 今のありきたりで均一な日常にあって、何かリセットしたいときに、ポツンと独り訪れたい場だと、僕は思った。
 この地に導いてくれた南方熊楠に、想いを巡らせていた。


この記事が参加している募集

ご当地グルメ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?