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遺書

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端的に幸せになる方法とは...。。。

端的に幸せになる方法とは、これほどに僕は滑稽なタイトルを知らない、だからこそ、あえて僕はこのタイトルを付けた。

何故ならば、端的に幸せになる方法とは存在しないからである。もう少し噛み砕いて言えば、端的に得られるものは幸せになりえないからである。

だから、このタイトルを見て、好物に飛びつくようにクリックした君は既に幸せには永久になりえないことを証明している...。。。(笑)

そもそものこと、「

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冷静なる怒り、と理不尽な怒りの違いについて...。。。

私は、いつの日だったか知らないが、親のせいで「怒り」というものを憎むようになっていた、と少し前の投稿で言った覚えがある。

昔には、「怒り」が今より充満していたように確かに思える、いや、それが顕在化していたといったほうが正しいであろうか?

学生運動であったり、教師が今よりカンタンに怒りを顕にして暴力に走ったり、怒りというものは確かに昔においてはある種、顕在化していた印象が否めない。

だが、今は

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衝動的自殺と、冷静的自殺の大きな隔たりについて...。。。

ここ最近、全く衝動的な自殺の観念にとらわれることが少なくなったように思う、その代わりに、「冷静的」な死の観念に襲われるようになった。

いや、冷静である観念は、襲われるという表現に適してはいないのだろうか...。。。冷静な死の観念は、想起するという手段のほうが近いと思う...。。。

衝動的な自殺はまずもって、非常に不快だ。完全なる悔いを残すであろう...。。。(遺書の長さにもそれが表出している)

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男性嫌いとは...。。。(あるいは、父親の影響、権威的な面について)

突然だが、僕ははっきり言って、男というものが苦手である。その主たる原因が何であるかは、大体自分の中でも、予想がついている。

父親である。僕は物心ついた頃から、父親というものにまったく愛情を感じなかった。全くの好感すら感じなかった。

僕の父親は、はっきり、一言で言えば、「権威的」である。権威とは、副次的なものに、常に暴力や、隷従が従うものである...。。。

僕が運の良かったのは、そこに「肉体的

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人生とは

人生とは非常に不思議なものだなぁ〜と、しみじみ思うときがある...。。。

どう考えても、自分の力でどうしようもない時もあれば、何かの力が働いて、突然物事がコトコト、と、音を立てて動き出す場合もある。

僕の場合は、死にたいと思った時がそれである。僕は今までに何度も僕が関知しえない事象に生き延びさせられてきた。

1度目は芸術に目覚めた時。僕は高校の時に小説を描き始めたのだが、その時もドン底だった

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死の先見性

ハイデッガーが言うように、死の先見性を持つことは、死の先見性を持つことを放棄した人間、あるいは死の先見性を放棄することなどなく、死など垣間見ない幸福な人間よりも全く人間的な、人間的である生活をおくれるという。

私は死の先見性を持ったつもりでいた。そして、分かったつもりになっていた。つい先日まで。

私は、ついこの間、本当に自殺しようとした。だが、死にきれなかった、ある人の顔が思い浮かび、その人に

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ああ...死よ...絶望よ...。。。

最近、僕は死を振り解けない。

マラソンランナーはただひたすらに、走り続ける。遠いゴールでなく、近くの電柱を目指すという。

それは体力があればの話である。

マラソンランナーと、一般人がもし約42kmを競えば一般人は完走することすらままならないであろう。

僕にはそのたとえ同然に、そしてマラソンランナーよりも、一般人よりも、体力が衰えていくのを感じる。

ここでいう体力とはただの生きる気力、活力

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よく分からなくなる...。。。

僕にはよくわからなくなることが一つだけある...。。。それは「生きている意味」である...。。。

僕には未だによくわからない、生きているだけでも僕は精一杯なのに、働いたり、生きる上でめんどくさいことが重なったり、嫌な人間とも会わなければいけなかったり、話さないといけなかったり、その上、僕は発達障害なので特別変わっており生きているだけでやることなすこと人から嫌がられる。

まずは僕の病気、これも生

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結局、何者にもなりきれなかったのかもしれない。

仕事を終えて、部屋に帰ってくると、寒々しい風が木々やその梢、葉っぱを揺らしているような、物寂しい音が聞こえてきた。僕は天井を見つめて、またいつもと同じような考えを頭の中にめぐらせていた。

あ、またモードだな。と何となく分かった。

僕の言うモードとは「生きる意味」を考えはじめて堂々巡りに入ることである。

話は変わるが、僕は中学のころから表現者になりたかった。陰湿なクラスの雰囲気も嫌だったし、そ

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