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小説

56
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2022年4月の記事一覧

みどりちゃん p5

みどりちゃん p5

「しかし、傷ついたんだな」

「ああ」とメビウスさんは云った。「何がってさ、すず、僕に対してなんと云ったと思うかい。つまらない、だってさ。僕はそんなにつまらない人間かな。考えてみたけれど、これはもうしょうがない問題なのかもしれない。というのも、やっぱり、どんなことに対しても、その意見の絶対性というのはないのだからね。つまり」

「つまり、つまらないというのは、メビウス、君自体がつまらないのでなくて

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みどりちゃん p4

みどりちゃん p4

 ちょうど指の名前が決定したとき、お店にある女性が入ってきた。それはあの格好いい女性であった。わたしが前に抹茶豆富をはこんだあの女性。まえと違って今回は黒いTシャツを、左肩を出すようにしてきている。彼女はメビウスさんを見つけると、一直線にこちらへ歩いてきた。

「やあ、すずじゃあないか」

「何よ、なれなれしく」と彼女は、氷のような声をだして椅子に座った。

「なれなれしくって……だって」

「ま

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みどりちゃん p3

みどりちゃん p3

 わたしははじめて大学へ足を踏み入れた。そこにもわたしにつけられた案内役があった。男の人が一人わたしを兄のいるあのコンピューターの部屋まで連れたのである。途中わたしは廊下の向こうにつちこさんがいるのを発見したが、声はでなかった。彼女はわたしのいるのにまったく気付いていない様子であった。わたしは何やらわからないまま移動して、ある建物の行った先に待ち構えていた白い半自動扉に暗証番号をうち、扉をあけてな

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みどりちゃん p2

みどりちゃん p2

 そして、後悔した。一人でくるのではなかった。

 というのも、この場所は、一人でふらっとくるような処ではなく、周りにいるのは、家族や恋人、友人などと、雑談をかわしながら歩く人々である。無料ではいれる施設ではあるが、一人で来ようとは思わない。いま通った老夫婦でさえ、一人の時に好き好んでここは散歩に使わないであろう。そういう空気のなかに、わたし一人。ふくれて歩いているのである。

 こういうことが、

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みどりちゃん p1

みどりちゃん p1

『ポリプテルス』 朝、目が覚めると、そのままであった。兄は帰ってこず、床から起き上がったわたしは、痛む背中に手を回して、洗面台へむかう。わたしはそこで顔を洗った。とくに寝苦しさは目やにとなってつもるので、いつもよりそういう些細に苦心した。それからやわらかいタオルで顔を包むと、「ぱっ」とわたしは息を吹き返す。第一意識の世界。

 さてわたしはそれから小さな詩を書いた。この世界の詩。わたしはほくほくし

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みどりちゃん a11

みどりちゃん a11

「ギンジくんに会った」

 長い沈黙の中で、わたしはそのことについて彼に報告した。けれど、謎謎くんは、「うん」とだけ云い、歩き続けた。彼もうん人間である。(うん人間とは?)

 それからいくらか時がたって、彼は口をひらいた。

「僕がある事件の第一発見者として、警察へ行ったのは知ってるよね」

「うん」

「そこで、警察に対して、僕の云える情報というのは、特になかったんだけど、逆にいろんな話を聞い

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みどりちゃん a10

みどりちゃん a10

 わたしは兄のいる喫茶店へむかった。本日の兄の予定は、学校へ行き、それがすむと今度は喫茶店で働いて、それをわたしの迎えと共に終えると、あとは家に帰って一日を終える。これからわたしが店に行き、そこで数十分待てば、兄も仕事を終える時間であるはず。

 わたしは扉の前に立つと、そのガラス戸をおしあけた。ベルの音が鳴る。照明は弱く、とたんに目が黒くなったみたいに感じる。なれるまでに、いくらか突っ立ったまま

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みどりちゃん a9

みどりちゃん a9

 それから一日たって。わたしはあいも変わらずおばばの抹茶店に働く。

 わたしはテーブルを拭いていた。そこにはメビウスさんもいて、彼はやはり何かを考えているようだった。たまにあるのであるが、彼は口に火のつけないタバコをくわえていた。くわえタバコ、と云うらしい。何のためにくわえるのか。でも多分、何か意味があるのだろう。くわえない状態とは何か違うというところの意味が。くわえるべき何かが。

 ふとした

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みどりちゃん a8

みどりちゃん a8

 公園の入り口を跨いだときから違和感はあった。というのも、いつもはない、お酒の空き缶が、いくつもころがっていたのだ。公園の中も、足跡をたどるように空き缶が並んでいる。そしてその先にいたのが、ヘンゼルでもグレーテルでもなく、蛇口の横にうずくまって、一生懸命ゲーゲー吐いている少年であった。

 わたしはとりあえず、いつものベンチに座った。それは彼のいるのとは反対側にある、アリに喰われてボロボロになった

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みどりちゃん a7

みどりちゃん a7

 わたしはすこし遅れて着いてしまった。カバンの紐が肩からずり落ち、下品に息をして中に入ったとき、おばばは無表情で椅子に座っていた。わたしは彼女の前に立ち、コクリと頭を下げて、準備をするために奥へひっこんだ。もう開店の時間であるのに、店の電気もついておらず、看板もでていない。これはひどい失態である。わたしは急ぎに急いで、開店準備を進めたのであった。

 平日の昼間、この時間に、この店に来るお客さんは

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みどりちゃん a6

みどりちゃん a6

 ・・・・・・

 ……わたしには一つの秘密がある。

 それは、わたしの命日のこと。カレンダーを見てほしい。実はきょうから四月が始まっている。そしてその日が終わった。つまりわたしの命はあとちょうど三十日なのだ。

 いったいどういうことか説明すると、こうである。

 わたしは、自分の死ぬ日を、決めているのだ。五月一日その日。その日をわたしは自分の死と決めているのだ。わたしは私を殺すのだ。だから、

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みどりちゃん a5

みどりちゃん a5

 兄はロングシャツだけ羽織って、律儀に着かえるわたしを待っていた。それから扉をあけて、音のしない外へ出た。

「体を動かすとリラックスできるんだ。もちろん過度な運動は興奮するけれどね。それともしかすると、みどりが今夜眠れなくなってしまったのは、さっき紙に何か書いていたことが関係するのかもしれない」

「どういうこと?」

 わたしたちはもうスイカの中のような暗闇の静かな町を並んで歩いた。種の代わり

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みどりちゃん a4

みどりちゃん a4

 さて、食器洗いを終えたわたしは、紙にむかった。机のまえで正座して、今度はパソコンでなく、紙にむかったのだ。神様にむかうみたいに、かみだけに、なんてね。ええっと……それで、ボールペンを使うことに決めた。わたしは、小説なら主にパソコンで書くが、その構想や、詩なんかは紙に直接書くのがいつものことで、なぜそうするかといえば、その方が空間的に考えられるからである。(という兄からの受け売りをそのまま使ってい

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みどりちゃん a3

みどりちゃん a3

 メビウスさんはわたしと同じ職場で働いている、兄とは小学校からの幼なじみの男の人である。そして全然、働かない。彼は店に来ては、椅子に座って何かの考えごとをしている。男の人は考え事が多い。そしてメモを取ったり、独り言をしたり、働いている最中のわたしに話しかけたりする。それも長い話を。

 わたしが最初におばばの抹茶屋で働いた、その日の終わりごろに、メビウスさんはわたしをつかまえて、

「人と喋るのは

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