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僕を、ボロボロにも、幸せにもした「人を雇う」経験について

編集者、ライターとしてシンガポールで仕事をしていた2014年、僕は初めて「人を雇う」経験をした。その前後で、僕の身に起こったことを振り返る。

人を雇ってみたかった

 正社員を雇うことを考えた背景には、まず以前から、「経営」というものへの漠然とした憧れ、人を雇うことを経験してみたいという思いが、ずっと根底にあった。そのことが、現実的な状況――僕がライターとして抱える仕事を一人ではカバーしきれなくなったことと重なり、思い起こされた。

 あのころはシンガポールを拠点に、一国だけでなく、東南アジアを面でとらえて情報を発信する仕事をしていたが、徐々に自分一人では情報を追いきれなくなっていった。出張すれば、シンガポールが手薄になる。それに現地にいる人に発信してもらうほうが、情報の質は高くなり、効率的でもある。

 移住して一年が経ち、僕はようやく一人で活動することの限界を認めた。各国のライターに業務を委託するようになり、おかげで仕事はまわるようになった。それでも――物足りなさのようなものは消えなかった。そんなとき、僕は知人に、時事通信シンガポール支社のとある記者を紹介された。

自分一人の枠を超える出会い

 彼は、嘘のようなキャリアの持ち主だった。中卒で、バイトで食いつなぎながらジャズミュージシャンを志し、その傍ら、独学で通訳術を習得。どんな伝手があったのか、オリンピック選手の通訳を務め、その後、大検を通じて日本の大学に進学。卒業し、イギリスの大学院に留学した。いまだに謎は多い。

 なにより彼には、独学と実践の中でライターとしての腕を磨いてきた僕とは違い、通信社というメディア業界のど真ん中で培った型のようなものがあった。僕には書けないような記事、できないような仕事をしていた。何度か食事をするうちに、こうありたいと思える仕事の質、働き方への共感も生まれた。

 知的好奇心を刺激してくれる存在、互いの強みを掛け合わせて、よりよい、より大きな仕事をしていくことへのコミットメントや信頼感、友情にも似た仲間意識、将来への期待感のようなもの――そのすべてが入り混じったような感覚だった。「この人となら自分一人の枠を超えられるかもしれない」――。

リスクと高揚感の中で、決断

 ちょうど、彼も通信社での仕事に飽きを募らせていた時期だったこともあり、僕の会社で一緒に働くという話はトントン拍子で進んだ。合流する前にもすでに、翻訳など小さな仕事は始めてもらった。後から考えると、この「一緒にやっていきたい誰かがいる」ということが、正社員を雇う一番強い動機だったかもしれない。

 現実的にお金を回していくイメージも湧いた。その時点で僕は、自分1人で通常の1.5人分ぐらいの仕事を抱えていたので、0.5人分の仕事が余っていた。この余った仕事だけでは彼の給料を賄いきれないが、協力していけば、仕事は2倍、3倍になるはず。貯金も多少はあったので、それでなんとかなるだろう、という見込みもあった。

 よくよく考えてみると、以前の僕らのような「記事を書いてナンボ」という労働集約型の仕事だと、社員が1人から2人になったところで、こなせる仕事の量が劇的に増えるわけでもない。それに、シンガポールのライターの給与水準は日本の約1.5倍であることを考えると、人を雇ってお金を回していくリスクはかなり高いはずだった。

 それなのに、彼を雇うことにまったく迷いがなかったというところに、当時の僕の高揚感がうかがい知れるだろう。しかし――僕と新入社員の蜜月時代は、まもなく破綻し始めた。

「お金、返してくださいよ」

 その理由は、彼のパフォーマンスが出なくなったこと。また、その “ほんとうの” 原因に僕が気づかなかったことだった。

 僕は企画や提案で新しい仕事を生み出すこと、人に会うことが好きだった。それで、彼によくこんな声をかけていた。「○○さんも新規事業のアイデアを考えてもらえませんか?」「執筆のじゃまをして申し訳ないですが、今から少しブレストに付き合ってもらえませんか?」・・・。

 だが、彼は対照的に、一人でリサーチに没頭したり、記事のクオリティを上げたりすることに長けていた。一人の時間が多いほうがパフォーマンスを上げられるタイプの人だった。それなのに、僕は自分に合う役割、やり方を押し付けてしまっていたのだ。「どうして、仕事をしてくれないんだ――」。

 それで、僕は管理を強化した。毎朝朝会を開いたり、エクセルで執筆本数を可視化したり、ノルマを課したり・・・ 僕はいたって真面目に経営をしているつもりだった。それが経営者の仕事だと思っていた。しかし、管理されながらする仕事は、創造性に悪影響を与える。彼はますますパフォーマンスを出せなくなっていった。

 僕は僕で、本来企画や提案に当てるべき時間を、経験もないマネジメントの仕事に割かれてしまっていた。つまり、求めるパフォーマンスが出ないから、管理を強化し、その管理のせいで本来パフォーマンスを出すために割かれる時間が少なくなり、パフォーマンスがさらに悪化する――という悪循環に陥ってしまったのだ。

 当然、職場の雰囲気も険悪になっていった。シンガポールの給与水準が高いため、僕には「こんなに払っているんだから」という思いがあり、現実に貯金はどんどんと減り、時限爆弾を抱えているような状態に・・・相手への不満が噴出し、思わず「お金、返してくださいよ」という言葉まで出てしまったほどだった。

 手を変え、品を変え、新たな組織運営のティップスを見聞きしては、あれこれ試行錯誤したものの、状況は一向に変わらない。相手の意向を聞き出そうと気を遣ってみても、ただただ相手に時間を奪われているような感覚にさいなまれた。僕はもう、「彼を切ろうかな・・・」というところまで追い詰められた。

負のスパイラルを逆回転させる

 ギリギリの状態で、僕は精神的にボロボロだった。だが、実際には彼を切らなかった。というか、切れなかった。

 まずは、彼がかわいそうだと思ったから。シンガポールの就労ビザを僕の会社で出していたため、これがなくなると彼は苦労するだろう・・・と思うと、簡単に切ることはできなかった。それに、「人を切る」というのは、自分が人を育てられなかったことを認めてしまうような気もして、それも一つの歯止めになっていた。

 そこで、僕は彼を切らずにやっていくためには、どうすればいいかを考えた。「切る」「切らない」で悩んでいるうちは、「相手に責任がある」と思っていたのだが、これをようやく自分の問題として考えるようになったのだ。

 とはいえ、半分は「もう好きにしろ。どうにでもなれ。その代わり、いつかはどうにかしてくれよ」、そんな気分でもあったのだが。

 いずれにせよ、僕はこの悪循環、負のスパイラルを巻き戻すため、なにはともあれ、彼の創造性を引き出すことを最優先することにした。

 管理を減らし、ノルマで相手を縛るのをやめた。オフィス勤務を止めて、それぞれ自宅で勤務するスタイルに切り替えた。自宅の作業環境を整えるための経費を出したり、朝会を止め、ミーティングを極力絞ったり、彼が気持ちよく働けるように配慮した。

 彼の得意な仕事しかやらせないようにもした。僕が企画や提案でパンクしそうになっているときも、その仕事は彼には振らない。一方で、彼は自分の書きたい記事の企画や執筆、研究作業に徹する。僕らは完全に分業することで、パフォーマンスを上げるように努めたのだ。

 このやり方が正解かは、今でも分からない。しかし、そのようにしてからは、実際にうまく行きだした。顧客も増えたし、仕事の単価を上げることにもつながった。今うちの会社には、彼が入ってくれたからこそ生まれた仕事であふれている。やはりボトルネックは、経営者の僕にあったのだ。

同じ苦労、買ってでもやりたい

 海外で働くことについて語り合ったり、彼を切ろうとした前日に、彼のこれからを思い、涙して、踏みとどまることにしたり・・・ 「人を雇う」ことで、こんなに浮き沈みを味わうことになるとは思ってもみなかった。しかし、それが味わえるなら、またその苦労を買ってでもやりたいと思う。

 僕らは、プロジェクト、報酬、条件・・・それだけでつながっているような人間関係ではない(と、少なくとも僕は思っている)。相手やその大切な人になにかあれば助けたい。自分や自分の大切な人になにかあったときには頼りにするだろうと思う。安心感というか、家族的な依存関係と言っていい。

 次に人を雇うタイミングはまだ分からないが、そのときは前回よりも、もう少しうまくやれるだろうと思う。だが、互いのやりたいことやその方法についてぶつかることを、僕は怖れてはいない。むしろ、ぶつかって乗り越えることこそ、いちばん大切なことだと思っている。

編集者/Livit代表 岡徳之
2009年慶應義塾大学経済学部を卒業後、PR会社に入社。2011年に独立し、ライターとしてのキャリアを歩み始める。その後、記事執筆の分野をビジネス、テクノロジー、マーケティングへと広げ、企業のオウンドメディア運営にも従事。2013年シンガポールに進出。事業拡大にともない、専属ライターの採用、海外在住ライターのネットワーキングを開始。2015年オランダに進出。現在はアムステルダムを拠点に活動。これまで「東洋経済オンライン」や「NewsPicks」など有力メディア約30媒体で連載を担当。共著に『ミレニアル・Z世代の「新」価値観』。
執筆協力:山本直子
フリーランスライター。慶應義塾大学文学部卒業後、シンクタンクで証券アナリストとして勤務。その後、日本、中国、マレーシア、シンガポールで経済記者を経て、2004年よりオランダ在住。現在はオランダの生活・経済情報やヨーロッパのITトレンドを雑誌やネットで紹介するほか、北ブラバント州政府のアドバイザーとして、日本とオランダの企業を結ぶ仲介役を務める。

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