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「ハングルへの旅」茨木のり子 読了

茨木のり子。

「わたしが一番きれいだったとき」や「自分の感受性くらい」など、数々の名詩を残した昭和を代表する詩人である。学校の教科書に掲載された詩も多いので、詩人としての彼女はみなさんご存知だと思う。

しかし、茨木氏が遅咲きのハングルの学習者であり、韓国現代詩の翻訳を通じてその文化を日本に紹介していた人物であることはあまり知られていないと思う。

かくいう私も、教科書の中で読んだ詩に感動して茨木氏のことを知り、しかも大好きだった祖母と同年生まれで、写真などで見るとなんとなく祖母に雰囲気が似ていることから勝手に親近感を持っていたが、ハングルとの関係については全く知らなかった。

K-POPにハマり、その流れでハングルを勉強し始めた頃、茨木氏がハングル関連の本を出していると知った。その書名が表題の「ハングルへの旅」である。池袋のジュンク堂で探すと、1986年発行の本書が文庫版13刷として去年出版されていた。ロングセラーである。最近の何度目かの韓流ブームで再び読まれているのかもしれない。


本書の中で茨木氏は、彼女が50歳になってハングルを学び始めた動機や、日本語、特に日本の方言とハングルの類似性についての考察、そして韓国を旅する中で感じた隣国の文化の豊かさや人々の気質などについて書いている。

ハングルのことわざや面白い表現なども紹介されているのだが、そのチョイスがすごくユーモラスでくすりと笑ってしまうほどだ。

読みながら、詩人である彼女の「言葉」というものへの限りない愛情と好奇心をびしびしと感じた。文章はどこまでも読みやすく、全編にちりばめられたみずみずしい表現は読者を飽きさせない。

特に韓国の地方への旅の風景描写などは本当に生き生きとしていて、その場面の色や匂いまでもが伝わってくるようだ。こんな表現力の100分の1でいいからいつか私も持ちたいと思う。

そして何より、茨木のり子という人間としての魅力が満載である。

特に何かを調べる時のバイタリティーであったり、大人の女性としてのそこはかとない色気であったりが伝わってくる。一緒に学ぶハングル教室の仲間たちに対しても、有名詩人としての気取りなど全くなくフランクにお付き合いされている様子が読み取れて、茨木氏はとても素敵な方だったのだろうなと思う。

他国の言葉を学ぶこと、理解しようと努力すること、それはその国の文化やそこに住まう人々を理解し、愛そうとする姿勢だということに今一度気づかせてくれた1冊である。ハングルを学習している人にはもちろんおすすめだし、茨木のり子の詩が好きな人にもぜひ読んで頂きたいと思う。

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