見出し画像

凄い時代 勝負は2011年 (堺屋 太一)

 そういえば、堺屋太一氏の著作はほとんど読んだことがありませんでした。今回の本は、まさに今(注:最初の投稿は2009年)を扱った内容です。

 堺屋氏によると、今回の世界的な大不況も、自らの従来からの主張すなわち「知価革命」の必然の流れだと言います。

 まず、その主張のもととなる「知価革命」について説明しているくだりです。

(p27より引用) 近代工業社会「物財の豊かなことが人間の幸せ」と信じる社会である。
 ・・・そこでは人々は、・・・「まず教育を受けて所得の高い職場に入り、貯蓄して金利を得ながら物財を消費する」のを「健全な生き方」と考えた。
 ところが、1980年代に入るとアメリカやイギリスでは「人間の幸せは満足の大きいこと」と考える発想が広まった。すべてを一変する知価革命のはじまりである。
 ここでは、所得の高い大量生産の製造業よりも自己実現や対人接触の多い職場が好まれるようになった。満足の大きさを求める人々は、「欲しい時に買い、あとで支払う」のが「利巧な生き方」と考える。このため、家計の負債が急増し、需要過剰経済が出現した。貿易赤字を必然とする構造である。

 この知価革命の先進国であるアメリカにおいて、世界的金融不況の口火が切られたのです。今回の金融危機発生の因果関係を辿ると、以下のような経過となります。

(p230より引用) 因果の関係を正確にいえば、まず石油をはじめとする商品価格の漸騰があり、これによってアメリカの景気が悪化、住宅不動産価格の下落を生んだ。それがサブプライム・ローンの破綻の原因になったのである。
 では、何が商品市場での高騰を生んだのか。その主因は資源不足の予測とマネー(ドル)過剰の見込みである。・・・
 そのため、短期の高利を求める投機に走る資金が増えた。そんな投機資金が商品市場を動かし、各種商品の暴騰を生んだのである。

 今回の金融危機は「新自由主義の行き過ぎの結果」だとの考え方が一般的に語られています。
 これに対し堺屋氏は、今回の金融危機の最大の問題を「改革の遅れ」だと指摘しています。

(p83より引用) 今日の最大の問題は、世界経済の体質と構造の変化に、人類の知識と制度がついていっていないことだ。つまり、改革の行き過ぎではなくして、改革の遅れなのである。

4 このあたりの着眼は大いに首肯できるものです。

 また、投資銀行をはじめとした金融業者に対する辛辣な言葉も堺屋流です。

(p243より引用) 金融業者に倫理を説くのは無駄だろう。金融業者があくどいことは、シェイクスピアも近松門左衛門も書いている。金融業界に望むのは、倫理よりも理性である。

 さて、最終章の「今こそ『明治維新』的改革を」の章では、公務員改革・地方分権制等、私でも同意できるような提言が示されています。が、ただ、教育改革についての以下のような認識に表れる堺屋氏の立ち位置は、どうにも納得しかねるものでした。

(p320より引用) 学校と教師の側が競争し、生徒と父母の方は選り取り見取りで好きな学校を選べるのがよい状態である。・・・
 こういえばすぐ、「それでは高い月謝の支払える裕福な家庭の子女が有利になり、貧しい家庭の子女はよい教育を受けられない」という不公平論が出そうだが、必ずしもそうではない。比較的自由な競争の認められている大学を見ると、月謝(授業料)の高い私立大学が優秀好評で、そうではない国公立が劣等不人気とは限らない。月謝の安い東京大学や京都大学は好評である。
 一流国立大学の学生に裕福な家庭の子女が多くなっているのは、競争の不十分な(官僚統制の厳しい)小中学校や高校に格差があるからである。

 やはり、このあたりのフレーズをみると、やはり「普通の人の感覚」とはズレているように思います。
 現代日本社会の大きな問題の一つである格差社会・貧困問題の現実に関する堺屋氏の理解は、あまりにも貧弱なものと言わざるを得ません。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?