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経済学的思考のセンス ― お金がない人を助けるには (大竹 文雄)

成果主義

 本書のようなコンセプトの経済学入門書は最近よく見られますね。経済学の「実社会への適用例」を説明して、経済学の位置づけ・意味づけを再認識させようという狙いのものです。
 似たようなコンセプトの本としては、以前読んだ「これも経済学だ!」「ヤバい経済学」といったものがあります。

 著者は、「経済的思考法」として2つの概念を重視します。
 ひとつは「インセンティブ」

(p xiiiより引用) 社会におけるさまざまな現象を、人々のインセンティブを重視した意思決定メカニズムから考え直すことが、経済学的思考である。貧しい人を助けなければならない、容姿に基づいた賃金差別は許してはならない、というだけで思考を停止するのではなく、その発生理由まで、人々の意思決定メカニズムまで踏み込んで考える。こうした思考方法を身につけることは、さまざまな日常の場面でも有益なのではないだろうか。

 もうひとつは「因果関係」です。

(p xivより引用) もう一つ、経済学で重要な概念は、因果関係をはっきりさせるということである。これは、経済学に限らず学問全般にいえることである。

 単なる「相関関係」に止まるのか、方向性のある「因果関係」まで成り立つか・・・。
 経済学的思考にもとづくと、因果関係を明らかにし、その方向性を強めるインセンティブを与えるような制度設計をするようになります。

(p58より引用) 経済学者は人々の価値観を変えるよりも、金銭的インセンティブによって人々の行動を変えるほうが確実だと考えている。・・・制度設計上は、金銭的なインセンティブと非金銭的なインセンティブのどちらで人々はより影響を受けるのか、非金銭的なインセンティブの設計がどの程度容易であるかをうまく見極めることが重要だろう。

 著者は、インセンティブを踏まえた制度設計の実例として「成果主義」を取り上げています。
 ただし、「成果主義」に諸手を上げて賛同しているわけではありません。むしろ、その導入の難しさを指摘しています。

(p79より引用) そもそも成果主義的賃金制度の導入は、(1)どのような仕事のやり方をすれば成果が上がるかについて企業がよくわからない場合や、(2)従業員の仕事ぶりを評価することが難しいが成果の評価が正確にできる場合、に行われるべきものである。

 どうも、近年、「プロセス」の評価がしづらくなってきたようです。

(p79より引用) 近年の成果主義的賃金制度の導入は、人件費抑制の手段としてだけではなく、技術革新の進展や経済環境の激変のために、企業にとっても従業員がどのような仕事をすれば成果が上がるのかがよくわからない時代になってきたことを反映している。

 もし、「プロセス」による評価ができず、半ば止むを得ないものとして成果主義が導入されているのであれば、やはり問題が出てくるでしょう。
 「成果主義」を標榜する限りは、成果の把握方法や成果にもとづく評価の納得性が担保されていることが必要条件です。そうでないなら、「成果主義」というのは名ばかりの歪んだものになってしまいます。

年功賃金

 本書で取り上げられているテーマで、なかなか興味深かったのが「年功賃金」についてでした。
 「年功賃金」は、昨今は「成果主義」との対比概念として語られることが多く、日本特有の守旧的制度の代表格のように扱われています。

(p142より引用) 年功賃金制度は、日本特有のものであると考えられることが多い。・・・一方で、日本独特のものであると考えられてきた年功的な賃金制度は、ホワイトカラーにおいては世界共通に見られることがさまざまな研究で明らかにされてきた。

 著者は、世界のあちこちで見られる「年功賃金制度」を「経済学的」切り口からとらえ、その存在理由として4つの説を紹介しています。

(p142より引用) 第一は人的資本理論で、勤続年数とともに技能が上がっていくため、それに応じて賃金も上がっていくというものである。

 この考え方は、経験を積み熟練することにより技能が向上するような仕事では納得感があったかもしれません。ただ、最近はそうもいえない状況が増えてきています。むしろ「年齢を経るに従い、新たな仕事のスタイルに追いつけなくなる」というケースが多く見られるようになりました。

(p143より引用) 第二は、インセンティブ理論で、若い時は生産性以下、年をとると生産性以上の賃金制度のもとで、労働者がまじめに働かなかった場合には解雇するという仕組みにして、労働者の規律を高めるという理論である。

 これは、若いときの取り分を年をとってから取り戻すということですから、働く者の立場、特に若い世代からの納得感は今一です。

(p143より引用) 第三は、適職探し理論である。企業のなかで従業員は、自分の生産性を発揮できるような職を見つけていくのであり、その過程で生産性が上がっていくと考えられている。

 これも企業実態からいえば、「?マーク」です。この考え方が幅広く適用されるほど、企業内に多種多様な「職」があるとは思えませんし、常に適材適所が実現されるほどの「人材の流動」が図られているとも言い難いでしょう。

(p143より引用) 第四は、生計費理論で、生活費が年とともに上がっていくので、それに応じて賃金を支払うというものである。

 これは、企業活動外に制度の因果関係を求める考え方であり、実態的にこういう傾向があるにしても、それこそ「相関関係」に過ぎないでしょう。これが主要因であるとは到底考えられません。

 著者は、これらの点から、

(p149より引用) つまり、年功賃金制には合理性がある。そういう意味では、この制度がなくなることはないといえる。

と主張していますが、どうも、上記の4つの理由をみる限りでは、著者がいうほどの「合理性」があるとは思えません。
 まあ、強いていえば、「インセンティブ理論」が結構企業実態には合致しているかも・・・という感じです。
 この理論による場合は、従業員に対する「効果的なインセンティブ」をどう考えるかが最大のポイントとなります。特に、金額的な価値観だけでない多様な価値観をもつ従業員に対して、どういう制度設計で対応するか・・・。

 著者もエピローグで、こうコメントしています。

(p222より引用) 税制・社会保障制度・人事制度などの社会制度の設計が難しいのは、金銭的インセンティブをきちんと考えるだけでも難しいのに、非金銭的インセンティブの影響まできちんと考える必要があるからだ。

 最後に、本書を通読した感想ですが、全般的に「インセンティブ」についての説明は、事例も豊富で確かに充実していました。
 ただ、著者の立論の納得性という点ではどうでしょう。立論の根拠が、「『相関関係』による実態」に止まっているのか、「『因果関係』まで証明された実態」に基づいているのか、そのあたり正直、ちょっと気になりましたね。


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