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これも経済学だ! (中島 隆信)

伝統文化の経済学

 本書は、通常では経済学の研究対象にはならないような分野を対象に、経済学視点からの分析・解説を試みています。
 対象となったのは、「伝統文化」「宗教」「社会的弱者」です。

 まず、「伝統文化」の章です。
 ここでは、華道や茶道における「家元制度」を経済学の観点から「参入障壁」と捉えます。

(p55より引用) ビジネスの世界であれば、年齢や前歴とは無関係に、より多くの利益を上げた経営者が勝者として称讃される。ところが、家元制度のもとでは、どんなに能力が高い人でも入門して直ちに師範になることはまずないし、組織のトップに位置する家元が透明性のある公開試験を通じて決められるわけでもない。
 経済学ではこうした制度は参入障壁と解釈される。

 そのほかにも「将棋界の年功賃金」の功罪についても触れていますし、「相撲界の『年寄制度』」を、経済学の立場から「終身雇用制」&「年金制度」だと意味づけています。

(p65より引用) 大相撲は何といっても現役力士の活躍で成り立っている。本来、彼らが興行収入のほとんどを受け取ってもいいはずだ。しかし、人的資本が特殊であるために引退後の生活まで協会が面倒見なければならないのである。そこで現役力士の取り分を年寄に回しているわけだ。要するに相撲界の年金制度なのである。

 さて、2番目の対象は「宗教」です。
 著者は、宗教の布教活動を「営業活動」と捉えます。

(p127より引用) 布教活動はビジネスの世界でいうなら営業活動に相当する。信者のニーズを素早くキャッチした上で、自分の宗派の考えを魅力的に伝える努力が求められる。

 「営業活動」といえば、最初の「伝統文化」においても営業的要素が求められます。
 「伝統文化」から見ると、「新たな文化」は競合相手と位置づけられます。そこで著者は、伝統文化においても「文化マーケティング」とでもいうべき営みが求められると論じます。

(p83より引用) 伝統文化は次から次へと生まれてくる新しいブームとまともに競争していたのでは生き残れない。・・・生き残り策は自らが真剣に考えるべきものだ。これは文化マーケティングとでもいうべきものだろう。

 そして、著者が説く「伝統文化の生き残り策」は「差異化」です。

(p83より引用) 伝統文化を味わうことは現代人にとっての異文化体験なのである。・・・
 伝統文化が生き残る策はそこにある。現代社会では絶対に味わえない情緒、すなわち日常性を排除した空間を作り出すのである。・・・
 その点からいえば、ディズニーの文化マーケティング戦略は大いに参考になる。

経済学の目指すところ

 著者は、本書で、経済学の意味づけを行っています。
 著者によると、「経済学は、人間の欲望をうまく活用して、限りある資源を最適配分する方法を見つけ出す『ひとつの思考ツール』である」とされます。

(p191より引用) 経済学は欲望を賛美してはいない。人間の欲望が無限であることをふまえ、限りある資源をどうすれば効率よく活用できるかを考えるのだ。
 そこで考え出されたアイデアが欲の有効利用、すなわち市場メカニズムの導入である。市場経済というと欲望が渦巻くどろどろした世界という印象を持たれがちだが、その本質はむしろ限りある資源を大切に使ってくれる適任者を見つけ出す場と考えるべきである。そしてそのために用いられるのが価格である。・・・
 このように、市場経済は人間の欲望を助長するのが目的なのではない。希少性のある資源を人間の欲望の暴走から守ることが本来の役割なのである。

 そのほか、著者が示した「経済学的なものごとの考え方」の例としては次のようなものがあります。

 まずは、「経済学は『多面的な見方』を求める」と言います。

(p29より引用) 社会現象にはかならず二面性がある。・・・経済現象も同様だ。売り手と買い手がいてはじめて取引が成立する。一面だけからの観察は誤った結論を招きかねない。経済学は多面的な観察を奨励することによって真の原因の究明に迫ろうとする。

 また、経済用語に「合成の誤謬」という言葉があるように、経済学は「全体最適」を意識します。

(p29より引用) こうした現象を経済学では合成の誤謬という。個人にとって合理的な行動が必ずしも全体のためにならないという意味である。

 著者は、本書で、「経済学」による身の回りにある事象の「意味づけ」を通して経済学の素晴らしさを伝えようとしています。

(p219より引用) 経済学のすばらしさを一言でいえば、「懐の深い学問」ということではなかろうか。経済学はどのような人間の行動もありのままに受け入れてくれる。決して馬鹿にしたり感情的になったりしない。なぜなら、人間の行動に合理性があるということが経済学の考え方の基本にあるからだ。
「あいつは何て馬鹿なことをしているんだ」と思ったとたんに人間の思考は停止してしまう。「なぜあんなことをしているんだろう」という疑問に置き換えることで、考えが一歩前に進むのである。外部者にとって不思議に思える行動であっても、当人にとってみれば背後にそれなりの合理性が存在しているはずだ。・・・
 経済学的な思考方法を身につけることは人間の自由な行動を尊重することでもある。

 そういう観点で本書をみたとき、ところどころで表明されている著者のコメントが、上記の「経済学の考え方の基本」を踏まえていることに気づきます。

 たとえば、何か法律違反の事件があったときのマスコミの対応についての著者のコメントです。
 著者は、「マスコミは、関係者を追いかけてその違反行為を糾弾するのではなく、そういう行為に到った原因を追究すべきだ」と指摘します。

(p154より引用) より建設的な議論という点からいえば、なぜこうしたごまかしが発生するかを考えるべきなのである。

 また、「弱者の救済」という点については、ヤマト運輸の小倉昌男氏に通じる考え方を披瀝しています。

(p176より引用) 弱者の救済とは、社会が庇護することではない。障害があっても、特定の技能に秀でた人ならばそれをできるだけ活用する形で社会貢献に結びつける工夫が必要である。働く意欲のある高齢者ならば働いてもらった方がいい。そしてそうすることが弱者本人にとって生きる喜びにつながるような制度作りをすべきだろう。

 これは、経済学の考え方というよりも広く社会科学一般で認められる「人間尊重」の姿勢です。


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