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アリストテレスの言葉 ― 経営の天啓 (古我 知史・日高 幹生)

能動的な構え

 アリストテレス哲学を経営学と結びつけた指摘は、以前読んだ野中郁次郎氏の「美徳の経営」にも詳しく紹介されています。
 その著作の立論において重要なコンセプトは、「フロネシス(賢慮)」です。
 野中氏の定義によると、賢慮とは「個別具体の場において、その本質を把握しつつ、同時に全体の善のために最良の行為を選び実践できる知恵」とされています。

 本書の著者たちの主張も、この野中氏の指摘と軌を一にしています。
 ギリシャの哲学者は考察のスタイルは、ソクラテス・プラトンをはじめとして「対話」を重んじるものでした。今日の企業でいえば「コミュニケーション」の重視です。

(p108より引用) 組織における共通の利益を実現するために、個人としての独立性、自律性を持ち、自身内での問答的推論の対話ができる個人が組織内の同じく主体的な他者と問答的推論の対話をしながら、一所懸命努力することが、住みやすい組織風土や文化を創造するのである。

 このコミュニケーションの活性化はイノベーションに繋がっていきます。

(p109より引用) さらに大事なことは、これが組織内部から発して、外部とのネットワーキングに拡張していくことである。・・・
 多様性の深い交錯によって、異種交配による革新が生じる。これが一企業の組織内に留まらず、広く外部を巻き込み、それに目標のベクトルをうまく合わせることで「オープンイノベーション」が実現するのである。

 コミュニケーションにより、組織内に知識が集積される同時に、それらの組織間交流により知識の有機的化学反応が発現するのです。

 もうひとつ、アリストテレスの哲学の中核には「中庸」の理論があるといいます。この「中庸」は「適度」とか「中間」とか「足して二で割る」といった概念とは全く別ものです。

(p197より引用) 「中庸」とは、あらゆる手だてを尽くして情報を収集したうえでの正確な情勢判断と、それに基づく果断な意思決定という意味を内包するような概念であり、ギリギリの現実に直面しその打開のための判断基準とは、というところから導き出されたものであると感じる。単に自分のわかっている範囲、見えている範囲での判断、というレベルを超えたハイパーな想像力の発動が必要である。

 変化への対応を前提とした柔軟ではあるが考え抜いた構えというイメージですね。
 この概念を組織論に敷衍するとドラッカーのメッセージと軌を一にします。

(p115より引用) 「組織設計とは唯一の最善の方法の探究ではなく、リスクをいとわない意思決定の連続だと結論づけることができる」・・・
 組織体制に正解はないし、絶対もない。軸足を明確にした変化への適応力、すなわち「中庸」をビルトインすることから始めることしかないのだ。

 著者は、この「中庸」という概念をリーダーシップ論においても展開しています。

(p197より引用) 「発意」がリーダーシップの必要条件だとしたら、「中庸」をいくための手立てを尽くすことこそがリーダーの十分条件、と言えるかもしれない。「人事を尽くして天命を待つ」という言葉もあるが、知的活動という意味においても組織として、あるいは個人としてとことん考え抜かれた結果の決断と、安直な準備による安易な妥協としての決断の差は「納得性」という形ではっきり出るのである。

 この能動的な姿勢としての「中庸」という捕らえ方は、とても新鮮です。

観照的な知

 アリストテレスは、師のプラトンに比較して実践を重んじる哲学者とされていました。しかし、この点は短絡的に考えてはいけないようです。

(p119より引用) 「経験家より技術家(理論家)のほうがいっそう多く知恵あるものだとわれわれは判断している。すなわち経験家のほうは、物事のそうあるということ(事実)を知ってはいるが、それが何ゆえであるかについては知っていない。しかるに他方(理論家)は、この何ゆえかを、すなわちそれの原因を認知している」と語っている。・・・経験を単なる経験としてしかとらえない行動に対しては批判的であるということである。

 このアリストテレスの姿勢は、とても参考になります。
 この点を捉えて、著者はこう指摘しています。

(p119より引用) 顧客の声を聞け、イノベーションは現場から、という掛け声は確かに多くの企業の共感を呼ぶ。それは、経営者にとっても時に心地よい響きである。しかしそれがいま、「思考停止」的スローガンの性格を持ち、経営上の大きなリスクファクターとなってはいないだろうか。

 若いうちに現場を経験させる、CRMの仕掛けで現場からの情報を吸い上げる・・・、そこまでで、何かパラダイムシフトした気になっていないかというのです。

(p121より引用) これからの日本企業にとって、現場の知を扱うことの意味は極めて大きい。・・・コミュニケーションがとれているから、あるいは報告はあがってきているから、というレベルの問題ではない。確かにことの始まりは現場に現れる。しかし、そのことが何を意味するのか、どんなリスクや可能性が内包されているのか、このことを突き止める仕組みを本当に持っているのか。実はこれが、いま厳しく問われている。

 かつて、日本企業の現場は強かった、商社もメーカーもです。
 しかしながら、昨今の日本企業の衰退、それに代わる韓国をはじめとするアジア諸国の台頭を鑑みるに、「現場は強いが戦略構築力あるいは大きな構想力で劣る」という日本企業に対する評価が、今、定着しつつあります。
 新たな「知的生産の方法」を作り上げるべく、まさに「観照知」の出番です。

 さて、最後に、アリストテレスからは離れますが、私の興味を惹いた孟子に関わるくだりも書き止めておきます。

(p27より引用) 仁斎は、有徳の人間になるために孟子の「四端拡充」の考え方を参考にした。「四端」とは、「惻隠(あわれみの心)」、「羞悪(自分の欠点を恥じ、他人の悪を憎む心)」、「辞譲(譲る心)」、「是非(善悪を判断する心)」という四つ、すなわち生来の善の心の在り様だ。人間の多様な個性はこれらの善の心から徳に至る拡充の道がそれぞれに異なることから生じると考えた。善のおおもとは普遍的だが、善の志向とその道のりは個性的だという意味である。

 普遍的なものと多様化を是認するものとの関係性の整理が明確です。



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