美徳の経営 (野中 郁次郎・紺野 登)
絶対的価値
「美徳の経営」という目新しいタイトルだけあって、多くの経営書・ビジネス書とは一線を画す思索的テイストの本です。
本書において、「美徳」は「絶対的価値」のメルクマールと位置づけられています。著者は、今後の企業は「絶対的価値」を提供する創造的経営を推し進めていくべきだ、と説いています。
(p5より引用) 競争に明け暮れる相対的価値の経営から、絶対的価値や独創性に基づく創造的経営への変化は、とくに日本企業にとって必須である。単にモノづくりに強いだけでない、コモディティ(標準品)化競争を超えた高付加価値の製品やサービスの提供、あるいは、経済原理や技術だけによらない人間的な価値や環境問題などに目を向けた社会的な事業、製品・サービスの提供は、その重要な成分である。
また、よく言われる「イノベーション」についても「絶対的価値」創出を求めます。
(p9より引用) イノベーションとは、製品の観点からいえば相対的な価値比較優位ではなく、独自のコンセプトを持ち、並ぶところのない魅力をユーザーに伝えていることである。また事業という面からいえば、モノが売れた、売れないというだけでなく、持続的な価値創出の仕組みを呈示し構築していることである。何よりも、本来イノベーションの源には、フォーマルな組織とは別次元の、個人や集団の思い、ビジョンが存在する。・・・強力なビジョンが製品やビジネスの仕組みになっているのがイノベーションである。
ここでの「強力なビジョン」も、「美徳」という価値観が背景にあることを想定しています。
ビジネスの世界における「美徳」は、一企業の個別的価値観ではありません。「共通善」として、社会的な関係性のなかで醸成されるものです。
(p47より引用) ビジネスにおける価値の多くは、企業体の閉鎖的なメカニズムからは生まれてこない。それは組織、社会や地域共同体、組織内の成員、さらにはかれらの背後の家族などの人々の知識(社会関係資本、ソーシャルキャピタル)をもとに生み出されているのである。
「美徳」という単語は、直感的には「ビジネス」に結びつきにくい語感をもっています。この点について、著者は、「美徳」に重きをおくような社会的意識の高い企業は、長期的な経営というリアルな世界においても発展してゆくものだと考えています。
(p51より引用) 社会的意識の高い企業であればあるほど、必然的に将来の世界や社会、市場や顧客の変化を展望して活動することになる。それは「社会知」の獲得や、顧客やパートナーとの共生的な知識創造につながっていく。こうした長期的な市場観やシナリオに基づいた顧客やパートナーとの関係性は、資産化され、同時にその企業に対する長期的な投資リスクを低減させるであろう。
本書のあとがきにおいて、著者は以下のように語っています。
(p234より引用) 21世紀になっても、とくに大企業において、そして政治の世界でも、倫理的・理念的な面で目を疑うような不祥事、不正が行われている。・・・
このように、もはやわれわれには美徳は縁遠い概念なのかもしれないが、果たしてそうだろうか。こういう時代にこそ、いかにうまく生きるテクニックを子どもたちに教えるのもひとつだが、何が美しいか、善いか、といった「判断力」や智慧について教えることも重要ではないだろうか。
絶対的価値の認識とその伝承は、ビジネスの世界に限らず、今の時代とても大事なことだと思います。
賢慮のスパイラル
本書に登場する基本コンセプトのひとつである賢慮(フロネシス)は、著者によって以下のように定義づけられています。
(p68より引用) 賢慮は、個別具体の場において、その本質を把握しつつ、同時に全体の善のために最良の行為を選び実践できる知恵である。
この賢慮について、特に「美徳の経営」との関わりに関する基本的な解説部分をノートしておます。
まずは、社会学者ベント・フリウビジャによる「アリストテレスの知の形態」の整理から始まります。彼は、アリストテレスの知を3つのタイプに集約します。
(p70より引用)
・エピステーメー(episteme)
科学的な知。
すなわち、いわゆる「学」(学問知)。一般性を志向し、時間・空間によって左右されない、コンテクスト独立的(文脈非依存)な客観的知識(形式知)。理論的知性。分析的思考につながっていく。
・テクネー(techne)
技術、芸術などの知。
すなわち、制作の領域の知。テクニックやアートなど、実践的でコンテクスト(文脈)依存的な、モノをつくりだす知。技能、わざ(暗黙知)。経験科学の知。
・フロネシス(phronesis)
価値・倫理についての思慮分別と、コンテクスト(文脈)依存の判断や行為を含む、実践の知、「智慧」。
すなわち、高質の暗黙知、実践的な合理性に基づく知性。
従来から、欧米企業はエピステーメーを追求し、日本企業はテクネーを追求したといわれてきました。
それに加え、著者はこう指摘しています。
(p70より引用) 日本企業がかつて発揮した卓越性には、独自のテクネーの追求から生まれる、賢慮の要素があった。そしてそれによって、エピステーメーとテクネーを、実践をつうじて統合していった。その賢慮に知が、いま美徳の経営の時代にあって、日本企業はもとより、グローバルに企業に求められていると考えられるのである。
キーワードは「実践」です。
実践により、エピステーメーとテクネーという二つの知が融合し、より高度な暗黙知であるフロネシスに止揚しゆくダイナミックなスパイラルプロセスが動き出すということでしょう。
賢慮型リーダーシップ
「高質の暗黙知、実践的な合理性に基づく知性」と定義づけられる「賢慮」を体現するリーダー、すなわち「賢慮型リーダー」の要素として、著者は、6つの能力を挙げています。
(p103より引用) 「賢慮」型リーダーシップは、実践的推論を軸として行為を現実化する次の六つの賢慮の要素(能力)からなっている。
(1) 善悪の判断基準を持つ能力
(2) 他者とコンテクストを共有して共通感覚を醸成する能力
(3) コンテクスト(特殊)の特質を察知する能力
(4) コンテクスト(特殊)を言語・観念(普遍)で再構成する能力
(5) 概念を共通善(判断基準)に向かってあらゆる手段を巧みに使って実現する能力
(6) 賢慮を育成する能力
この「賢慮型リーダー」の代表者として著者が紹介しているのが、20世紀を代表する英国の政治家ウィンストン・レオナード・スペンサー・チャーチルです。
「賢慮型リーダー」は、従来の典型的リーダー像である「戦略的リーダー」とは異なる特性を有しています。
(p136より引用) PL(賢慮型リーダー)は「変革型」「牽引型」リーダーというより、①知識のインフラづくり、②後進の育成(コーチングや動機づけ)、③知の発信(知識資産価値、セミナー)を行っており、「社会関係資本」(ソーシャル・キャピタル)に働き掛ける「知のプロデューサー」の側面を持つのである。
他方、「戦略的リーダー」は、米国のMBA出身者に見られるように、基本的には現状分析から戦略を導きだす「分析型リーダー」です。
(p140より引用) われわれの調査でも、分析型リーダーの資質が経営や業績にとくに貢献しているという姿は見えてこないのである。分析型リーダーとは、戦略計画などの技術・技能の側面に光をあてて生み出されたモデルである。こうした「理想モデル」の周辺や背後においては、現場での実践や人間的側面が軽視されてきたともいえる。賢慮のリーダーとは、資質、意識、経験を取り込んだ、より全人的リーダーシップへのアプローチでもある。
ハーバードビジネススクールのR.オースティン教授も、「分析的方法」に疑問を呈しています。
(p175より引用) かれらもまた戦略計画の分析的なありかたを批判する。不確実な経営環境においては先を読む地図が必要だが、実際われわれは将来を知ることはできない。ところが分析的方法は最初に分析によって特定の方向を定めることからしか出発しないので、うまくいかない。ではどうするか。常に創り続ける姿勢が重要である。たとえばアーティストは何を創るか(仕様)は定めていないが、その場その場で何を創りたいか、創るべきかの意志によって、環境が変化しても成し遂げていく。これが知の時代の生産システムのありかただという。
ここに、次の時代の企業観として、「知の時代の生産システム」を有する「芸術企業(artful firm)」というコンセプトが提示されています。美学にもとづく経営です。
そういった新たな企業をリードするのが「賢慮」を有する「全人格的リーダ」です。「全人的リーダーシップ」は、基軸となる価値観として「真善美」を重視し、同時に、現実の矛盾した要素において「中庸」を知るという「実践型」のリーダーシップと言えます。