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中世芸能講義 「勧進」「天皇」「連歌」「禅」 (松岡 心平)

(注:本稿は、2020年に初投稿したものの再録です。)

 久しぶりに歴史関連の書物を手に取ってみました。

 著者の松岡心平さんは東京大学名誉教授で、能楽の専門家です。
 本書は、日本中世芸能の世界を「勧進」「天皇」「連歌」「禅」という四つの切り口から論じたものですが、講義形式で語りかけるような文体で書かれているので、素人でも入り込み易いですね。(内容が理解できているかは別物ですが・・・)

 まずは、最初の「勧進」の章で書き留めておくべきくだり。

(p56より引用) とにかく、勧進聖たちが切り開いていった、日本における聖と俗の中間にあたるような、勧進の領域ーそこに大量のお金が集められ、それがまた一般に還流していくようなシステムが中世にあって、それが芸能を含み込むことによって、日本の中世の芸能全体が、勧進聖たちの活躍のなかでも活性化していく。そして、最終的には夢幻能のような日本の能の原型が、そのような磁場から生み出されてくる。勧進聖たちはそういう影響を与えております。中世という時代は、勧進の時代といってもいいくらいですけれども、そういうなかで中世芸能自体が大きく変容して発展し、その一つの成果として、世阿弥の複式夢幻能の美しい達成を迎えることができた、といえると思います。

 勧進聖による新たな芸能ダイナミクスの創造です。

 もうひとつ、初めて知った「早歌」について。
 「早歌」というのは、武士の時代、鎌倉から全国に向けて発信された「歌謡」です。松岡氏は、この「早歌」を “日本の歌謡史上革命的”な歌謡 だと指摘しています。

(p217より引用) 早歌で初めて日本の歌謡が一字一音になるということは、長編歌謡が可能になることでもありました。多くの情報量を、七五調のリズムのなかでコンパクトに観客に伝えることができるような長編歌謡がここで可能になりました。それを演劇に仕組んでいったのが観阿弥であり世阿弥でありまして、そこで能が成立するわけです。早歌というベースがなければ能の謡も可能にならなかったというくらいの大きな革命です。

 京都ではなく「鎌倉」発の文化が、京都にも大きな影響を及ぼしたという点が極めて画期的でした。

 さて、本書は「中世」が舞台なので、松岡氏の論考のところどころに網野善彦教授の指摘が登場します。
 今での記憶に残る、中世の経済活動において「海」が果たした役割、「百姓」の実態等々、初めて網野教授の著作を読んだときのインパクトは大きかったですね。

 今度は、久しぶりにそちらにも手を伸ばしてみましょうか。



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