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奇想遺産‐世界のふしぎ建築物語 (鈴木 博之 他)

 建築関係の本は、安藤忠雄氏の「連戦連敗」をはじめとして、中村好文氏による「意中の建築」古市徹雄氏による「世界遺産の建築を見よう」等々を読んでみています。

 今回の本は、朝日新聞日曜版「be on Sunday」の同名《奇想遺産》という連載コーナーで紹介された建築物の中から「77作品」をセレクトしてまとめたものです。
 個々の紹介文はそれぞれの建築物の解説にとどまらず、その建築物に触発された著者たちの主張が垣間見られ、そちらの方も興味深いものがありました。

 たとえば、パリのラ・ビレット公園の紹介での松葉一清氏(朝日新聞社編集委員)のコメントです。

(p20より引用) 米国は20世紀の建築を、超高層という極点化と密集のシンボルに集約させた。それへの実作による批判である。
 広大な敷地に機能を分散し、ちりばめられた施設群が呼応し合う相互の関係性を重視するチュミの手法は、多様な価値観が平準化され同居する21世紀の姿を先取りしていた。それはインターネット時代の社会のありかたにも通じる。

 また、隈研吾氏(建築家)が説くシュレーダー邸(オランダ・ユトレヒト市)にこめられた想いについて。

(p152より引用) なにしろ、すべてが小さくて、すべてが軽いのである。・・・
 設計したのは建築家リートフェルト。・・・1924年完成という年にも注意する必要がある。19世紀までの暗く重いヨーロッパを捨て去って、すべてを軽く、明るくしようという空気が、このころ頂点を迎えていた。・・・
 この家の住人、シュレーダー夫人もユニークであった。彼女は住宅を機械のように軽やかで合理的なものにすることで、女性は家事から解放され、社会に進出すべきだと主張し、「働く女性」という雑誌を発行していた。
 しかし、リートフェルトの独創も、シュレーダー夫人の主張も、世界をすぐに変えることはなかった。石やれんがでできた建築が、コンクリートと鉄とガラスの建築に置き換わったにすぎなかった。
 だからこそ彼らの大きな夢は未完で、そしてその未完さが我々を惹きつける。
 この家は世界遺産に登録され、世界一小さな世界遺産と呼ばれる。その小さい中に、世界を変える大きな夢が生き続けている。

 最後は、ムッソリーニが目指した古代ローマを再現させた街、エウル
 その街に残る当時の建築が今日在る意義について、山盛英司氏(朝日新聞西部本社記者)はこう語ります。

(p156より引用) 週末、エウルのオフィス街からは人影が減る。がらんとした街路を歩くと、突然、古代遺跡のはりぼてのような巨大建築が、行く手をふさぐ。
 ここは、ファシズムの記憶が刻印された街だ。それをこの国の人々はしたたかに残し、活用する。古代ローマの皇帝たちの偉大な遺産に比べれば、ファシストの夢など、ちっぽけな妄想だといわんばかりに。

 「奇想」であるということは、ありきたりではない、大勢におもねらないということです。そこにあるのは、建築家の強烈な個性の主張であったり、為政者の信念であったり、また、その時代の潮流・趨勢に対する反発・反逆であったり・・・。と、この本に紹介されている建造物には、それに関わった人間の何がしかの強い意志が込められているようです。

 本書に収められた77の建築物。サグラダ・ファミリア教会ロンシャン礼拝堂といった世界的にも有名な定番といってもよい建築物もあれば、ノルウェーのキージ島の教会やアフリカ、マリ共和国の泥の大モスクのように世界遺産として登録され広く世に知られるようになったものもあります。

 そういった中で、特に私の目を引いたのは、大阪はミナミのシンボル「通天閣」でした。さすがにコテコテのオーラを発散していますね。
 本書で紹介されていた「新世界」のウェブサイトは、さもあらんというノリで、なかなか楽しいものでした。


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