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連戦連敗 (安藤 忠雄)

連敗の誇り

 建築関係の本は初めてです。

 著者の安藤忠雄氏(1941~)は、大阪市生まれの建築家です。
 高校卒業後、世界各地を旅行しながら独学で建築を学び、1969年(昭和44年)建築事務所を開設しました。その後、1985年には、建築家の国際的栄誉といわれるフィンランド建築協会のアルバ・アールトー賞を日本人として初めて受賞し国際的な評価を得ました。

 本書は、そういう輝かしい実績を持つ安藤氏が、自身の建築に対する姿勢を学生に対して講義したその講義録です。
 タイトルは「連戦連敗」。数々の国際的コンペに挑戦した足跡の記録です。

(p22より引用) 何しろコンペはほとんど連戦連敗といっていいほどの惨憺たる状況なのである。常に競争状態という緊張にさらされるし、その上その労苦もなかなか報われない。・・・
 しかし、そのようなギリギリの緊張状態の中にあってこそ、創造する力は発揮される。・・・条件の整った仕事よりも、かえってコスト的・条件的に苦しいときの方が、意外によい建築が生まれることが多い。

 安藤氏は、コンペが、設計の優劣だけではなく、外交関係や利害関係さらにはそのときの政治状況等多くの外部要因が深く関わる舞台であることを熟知しつつも、挑戦し続けています。
 それは、建築家としての極めて実践的な判断に基づくものでした。

(p65より引用) 建築とは本来、社会を相手にしなければならない、きわめて泥臭い部分を内包する仕事です。・・・さまざまなしがらみの中での闘いなのです。だから、短期決戦で勝負の決まるコンペは、そういった諸々の制約の中で状況を組み立てていかねばならない建築の、この上ない実践的なトレーニングになるのです。理想を追い求める一方で、そういった戦略的な部分を含めて楽しんでやっていけるくらいでないと、建築家として生き抜いていけません。

 安藤氏は、建築を自己表現の手段とは考えていません。時間と空間の中で、それらとの関わりを意識したうえで構想を練り上げるのです。

(p77より引用) 建築を単なる自己主張、あるいは自分の方法論の利己的な表現の手立てとするのではなく、常に現実の社会の関わりの中で、既存の都市空間との関係を測りながら、出発点となるプログラムの設定にまで踏み込んで考えていくこと、このあたりが、これからの建築と建築家に最も期待されるところだと思います。

 そのための「発想力」「構想力」の源は「リアリティ」だと言います。建築予定地を訪れること、そこで実際に見たり、聞いたり、感じたりすることが、決定的な違いを生むのです。

(p178より引用) 結局、発想する力、構想力とは、建築にリアリティをもって臨めるか否か、この一点に大きく関わってくるのだと思います。情報メディアを駆使してどれほど膨大なデータを集めようとも、ただ1回の実体験にはかないません。

 建築は、ただそれだけでは存在し得ない、環境の中の構成物のひとつだということでしょう。

 本書は、建築を志す学生への闘いのメッセージです。
 「あとがき」には、こう書かれています。

p222より引用) モノをつくる、新たな価値を構築するという行為の大前提が、この闘い、挑戦し続ける精神にあるように思う。
 ・・・ル・コルビュジエもカーンも、決して諦めなかった。妥協して生きるのではなく、闘って自らの思想を世に問うていく道を選んだ。与えられるのを待つのではなく、自ら仕事をつくりだしていこうとする、その勇気と行動力こそ、彼らが巨匠といわれる所以なのである。

 「挑戦」の価値は普遍です。

過去を活かす現代

 建築物はいつかは老朽化します。そういう老朽化した歴史的建造物をどう生かすか。可能な限りそのままの形を存続させるという考えもありますが、安藤氏は積極的な再生を目指します。

(p104より引用) 私は、建築は機能をもつことで現代に適応してこそ生命をもち得るものだと考えています。歴史的建造物もまた博物館的に保存するだけではなく、現代に生き生きと機能させてやらなければ、残す意味はない。・・・過去を現代に生かしてこそ初めて、残すという行為が意味をもってくるのです。

 建築物は生きて機能するものでなければ存在する意味がないとの考えのようです。
 かといって、機能的でありさえすればよいという功利主義的な考え方でもありません。

 安藤氏は大阪の出身です。阪神淡路大震災後の神戸の街の復旧を複雑な想いで見ています。そこには、無秩序・無計画な街の姿がありました。

(p94より引用) 同じ瓦礫の山からの復興事業でも、ポーランドのワルシャワやドイツのフランクフルトなどでは、第二次世界大戦で徹底的に破壊された旧市街を、困難を充分承知の上で忠実に復元し、その歴史的な風貌をもって都市のアイデンティティとするのに成功しているのですが、日本では戦争や大災害による街の破壊が逆に再開発の絶好の機会として処されてしまうのが常です。ときに前進をやめて立ち止まること、これもまた未来に対する積極的な発言の一つとなり得るのですが、日本人はいまだその行為の価値を見出せないままでいます。

 建築の未来のとの関わりは、多くの場合、都市問題・環境問題というissueとして捉えられます。
 最近の安藤氏は、これらの問題についても積極的に発言しています。

(p168より引用) 環境を考えるときには、このように単に自然環境だけでなく、社会的・文化的な環境についても、それぞれの相互作用関係を踏まえて考察することが不可欠なのだと思います。自然的・生態的な環境も非常に重要ですが、それもあくまで諸条件のうちの一つなのです。

 都市問題・環境問題に関しては、建築はしばしば問題を深化させる要因のひとつとして挙げられます。これに対して安藤氏は、「建築の負を正に転換する試み」にチャレンジしています。
 たとえば、大谷石の採掘跡の地下空間をそのまま劇場とするとか、地下設備をつくるために掘り出した土砂を活用して埋立地を築くといったアイデアです。

(p166より引用) 一つの建築のプロセスで生じる負の部分を、別の方向性を与えることで正に転じさせてしまおうという、何とも欲張りな試みです。

 安藤氏によると、建築家の将来形のひとつの姿は「環境プロデューサー」だと言うのです。

(p171より引用) 複数の領域を横断しながら社会の中に一つの状況を組み立てていくという意味では、その環境再生のプログラムの設定は、建築を組み立てるプロセスと非常に近いところがあります。環境の時代にその存在意義を否定されつつある建築家ですが、このような環境プロデューサーとしての役割こそ、もしかすると次の時代の建築家の職能として求められるものなのかもしれません。

 建築を学ぶ学生にとっては、安藤さんは、自分自身の将来設計をイメージするうえでの素晴らしく貴重な“ロールモデル”ですね。


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