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科学とはなにか 新しい科学論、いま必要な三つの視点 (佐倉 統)

(注:本稿は、2021年に初投稿したものの再録です。)

 日本経済新聞で竹内薫さんが推薦していたので手に取ってみました。

 現在の「科学の意味づけ」を論じた興味深い論考です。
 著者の佐倉統さんは私とほぼ同年齢なので、解説に登場する一般人向けのエピソードはとても親近感があり、それだけでも読みやすく感じました。

 本書にはいくつも私にとっての新たな気づきがありましたが、その中から2・3、覚えとして書き留めておきます。

 まずは “変質してきた現代の科学のあり方” について指摘したくだり。
 この点は、特に、ビジネスに直結している「生命医科学」の領域で “知財” の観点から顕在化してきているポイントです。

(p129より引用) 現在の科学者たちは、このような、まったく相反する二つの原理「公的な知識生産」と「私的な技術開発」の両方において貢献するという、とてつもない困難を外側からの要求として押しつけられている。これは、構造的矛盾といってよいのではないか。・・・二〇世紀の最後の四半期は、一九世紀後半に制度化された科学研究のあり方が大きく変質した時代であったと捉えたい。科学を駆動する原理が、知識の獲得や国家への貢献から、経済の原理へと変わったのだ。

 次に、“日本において科学的合理主義が根付かない要因” の解説の中の一節。

(P209より引用) 西洋近代科学の明確な源のひとつは、ニュートンによる統一的力学体系である。その根底に横たわる機械論的な見方は、日本にはついぞ登場しなかった。日本では、儒教や仏教を背景にした自然観が主流だったため、普遍的な法則を追求する発想が弱かったとされている。

 この指摘に加えて、日本の近代化の過程においては、普遍的法則の追求よりも職人技的な「術」を極める側面が強かったようです。
 江戸時代、「金魚」「朝顔」「菊」等の品種改良技術は大きく進歩しましたが、その根本原理たる「遺伝の仕組み」への関心には向かいませんでした。

 そして、現在、顕著な傾向となった “日本の「科学技術力」の衰退” についての佐倉さんのコメント。

(p216より引用) 2004年に日本の国立大学が法人化されて以降、科学論文の生産数は激減している。その他にもさまざまな指標が同じ傾向を示していて、日本の科学技術力が急激に衰退していることは明らかである。
 これこそが、歴史的経緯を無視した近視眼的な制度改革の結果なのだと思う。

 さて、本書を読み通しての感想ですが、タイトルの「科学とはなにか」から受ける哲学的な印象は “いい意味で” 裏切られました。

 地球環境の悪化やAIの実用化、生命科学の倫理等の課題が身近な社会問題として立ち上がっている今、改めて「科学のあり方」についてあれこれ考えてみるには、手ごろなヒントが満載の著作でしたね。
 なかなか面白かったです。



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