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失敗の本質-日本軍の組織論的研究 (戸部良一・寺本義也・鎌田伸一・杉之尾孝生・村井友秀・野中郁次郎)

日本流作戦譚

 この本を読むのは、これで3回目だと思います。
 本書の著者でもある野中郁次郎先生が主催されているセミナーの課題図書に指定されたので、久しぶりに読んでみました。

 大東亜戦争における6つの作戦(ノモンハン事件、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ海戦、沖縄戦)をケースに、日本軍という組織が失敗(敗北)に至った要因を分析した内容です。

(p23より引用) 大東亜戦争における諸作戦の失敗を、組織としての日本軍の失敗ととらえ直し、これを現代の組織にとっての教訓、あるいは反面教師として活用することが、本書の最も大きなねらいである。

 本の前半で紹介した6つの作戦に共通にみられる失敗の要因を、「戦略上の要因」「組織上の要因」に分けて分析を進めます。
 その「戦略上の要因」で指摘されている点、いわゆる「ビジョン」の欠如を指摘しているくだりです。

(p274より引用) 結局、日本軍は六つの作戦のすべてにおいて、作戦目的に関する全軍的一致を確立することに失敗している。・・・
 作戦目的の多義性、不明確性を生む最大の要因は、個々の作戦を有機的に結合し、戦争全体をできるだけ有利なうちに終結させるグランド・デザインが欠如していたことにあるのはいうまでもないことであろう。その結果、日本軍の戦略目的は相対的に見てあいまいになった。この点で、日本軍の失敗の過程は、主観と独善から希望的観測に依存する戦略目的が戦争の現実と合理的論理によって漸次破壊されてきたプロセスであったということができる。

 そしてこのグランド・デザインの欠如が、戦略の「短期志向」に結びついていきます。

(p278より引用) 日本軍の戦略志向が短期志向だというのは、・・・長期の見通しを欠いたなかで、日米開戦に踏み切ったというその近視眼的な考え方をさしているのである。

 さらに、戦略遂行の基本的基盤であるバックヤードの軽視につながるのです。

(p280より引用) 短期決戦志向の戦略は、・・・一面で攻撃重視、決戦重視の考え方と結びついているが、他方で防禦、情報、諜報に対する関心の低さ、兵力補充、補給・兵站の軽視となって表われるのである。

 ミッドウェー作戦では、戦略遂行にあたっての柔軟な対応力が問われる「不断の錯誤」が生じました。

(p97より引用) 戦闘は組織としての戦闘部隊の主体的意思である作戦目的(戦略)と、その遂行(組織過程)の競い合いにほかならない。戦場において不断の錯誤に直面する戦闘部隊は、どのようなコンティンジェンシー・プランを持っているかということ、ならびにその作戦遂行に際して当初の企図(計画)と実際のパフォーマンスとのギャップをどこまで小さくすることができるかということによって、成否が分かれる。

 ミッドウェー海戦においては、日米双方に生じた錯誤に対する指揮官の判断力・組織としての即応力の差が勝敗を分かつ分水嶺になったようです。
 その判断力や即応力は、ビジョン理解を基礎とした実践的応用力です。

空気の支配

 日本軍の得意な思考様式は、現実を前にした「積み上げ式」でした。
 現実をベースにしているという点では「帰納法」的といえるかもしれません。ただ、判断に供された「現実」は、都合よく主観的に歪曲されたものだったのです。

(p285より引用) 日本軍は、初めにグランド・デザインや原理があったというよりは、現実から出発し状況ごとにときには場当り的に対応し、それらの結果を積み上げていく思考方法が得意であった。このような思考方法は、客観的事実の尊重とその行為の結果のフィードバックと一般化が頻繁に行なわれるかぎりにおいて、とりわけ不確実な状況下において、きわめて有効なはずであった。しかしながら、すでに指摘したような参謀本部作戦部における情報軽視兵站軽視の傾向を見るにつけても、日本軍の平均的スタッフは科学的方法とは無縁の、独特の主観的なインクリメンタリズム(積み上げ方式)に基づく戦略策定をやってきたといわざるをえない。

 それに対比して米軍の思考様式は論理的な「演繹法」を基本にしていました。さらに、頭の中だけの演繹ではなく、実践の結果からの検証・改善のプロセスも組み込まれていました。

(p287より引用) 日本軍が個人ならびに組織に共有されるべき戦闘に対する科学的方法論を欠いていたのに対し、米軍の戦闘展開プロセスは、まさに論理実証主義の展開にほかならなかった。・・・
 ガダルカナルでの実戦経験をもとに、・・・太平洋における合計18の上陸作戦を通じて、米海兵隊が水陸両用作戦のコンセプトを展開するプロセスは、演繹・帰納の反復による愚直なまでの科学的方法の追求であった。

 どうも日本軍には、論理実証的思考様式が存在しなかったようです。

(p287より引用) 他方、日本軍のエリートには、概念の創造とその操作化ができた者はほとんどいなかった。

 日本軍の上層参謀と現場士官との間には、大きな組織的・情緒的な断層がありました。明確な意見表明をせず、双方で「察する」ということが期待されました。その結果、それぞれの立場にとって都合の好い手前勝手な解釈がまかり通っていったのです。

(p289より引用) 日本軍の戦略策定が状況変化に適応できなかったのは、組織のなかに論理的な議論ができる制度と風土がなかったことに大きな原因がある。

 また、上層参謀間には、論理的判断を超越した人間的つながりの判断軸が存在していました。
 こういった一種「空気の支配」といった状況は、インパール作戦の解説においても語られています。

(p176より引用) なぜこのような杜撰な作戦計画がそのまま上級司令部の承認を得、実施に移されたのか。・・・鵯越作戦計画が上級司令部の同意と許可を得ていくプロセスに示された「人情」という名の人間関係重視、組織内融和の優先であろう。・・・
 このような人間関係や組織内融和の重視は、本来、軍隊のような官僚制組織の硬直化を防ぎ、その逆機能の悪影響を緩和し組織の効率性を補完する役割を果たすはずであった。しかし、インパール作戦をめぐっては、組織の逆機能発生を抑制・緩和し、あるいは組織の潤滑油たるべきはずの要素が、むしろそれ自身の逆機能を発現させ、組織の合理性・効率性を歪める結果となってしまったのである。

戦略の進化

 日本軍の基本戦略は、陸軍は、ソ連を仮想敵国と想定した白兵主義、海軍は、米国を仮想敵国と想定した艦隊決戦主義でした。この戦略思想は、どんなに戦況が変動しようと不幸なことに戦争中一貫して不変でした。

(p293より引用) 戦略は進化すべきものである。進化のためには、さまざまな変異(バリエーション)が意識的に発生され、そのなかから有効な変異のみ生き残る形で淘汰が行なわれて、それが保持されるという進化のサイクルが機能していなければならない。

 日本軍は、日露戦争における成功体験にもとづく戦略・戦術を墨守し、それを変更するような「学習」は全く軽視されていました。

(p325より引用) およそ日本軍には、失敗の蓄積・伝播を組織的に行なうリーダーシップもシステムも欠如していたというべきである。・・・
 失敗した戦法、戦術、戦略を分析し、その改善策を探求し、それを組織の他の部分へも伝播していくということは驚くほど実行されなかった。これは物事を科学的、客観的に見るという基本姿勢が決定的に欠けていたことを意味する。

 そもそも「学習」の内実も変化を前提としたものではありませんでした。
 著者たちは、目的や目標自体を創造することよりも模範解答への近さが評価される「教育システム」も組織学習上の問題点として指摘しています。

(p332より引用) 学習理論の観点から見れば、日本軍の組織学習は、目標と問題構造を所与ないし一定としたうえで、最適解を選び出すという学習プロセス、つまり「シングル・ループ学習(single loop learning)」であった。しかし、本来学習とはその段階にとどまるものではない。必要に応じて、目標や問題の基本構造そのものをも再定義し変革するという、よりダイナミックなプロセスが存在する。

 自己の行動を絶えず変化する環境に照らして修正していくという自己革新・自己超越的なアクションの欠如です。
 日本軍について言えば、開戦当初のノモンハン事件での貴重な教訓が何の組織学習も呼び起こさなかったということです。

(p68より引用) ノモンハン事件は日本軍に近代戦の実態を余すところなく示したが、大兵力、大火力、大物量主義をとる敵に対して、日本軍はなすすべを知らず、敵情不明のまま用兵規模の測定を誤り、いたずらに後手に回って兵力逐次使用の誤りを繰り返した。情報機関の欠落と過度の精神主義により、敵を知らず、己を知らず、大敵を侮っていたのである。
 また統帥上も中央と現地の意思疎通が円滑を欠き、意見が対立すると、つねに積極策を主張する幕僚が向こう意気荒く慎重論を押し切り、上司もこれを許したことが失敗の大きな原因であった。

学習する組織

 組織論からの日本軍の失敗の本質の分析です。

(p358より引用) 組織の環境適応理論によれば、ダイナミックな環境に有効に適応している組織は、組織内の機能をより分化させると同時に、より強力な統合を達成しなければならない。つまり、「分化(differentiation)」と「統合(integration)」という層反する関係にある状態を同時に極大化している組織が、環境適応にすぐれているということである。

 そういう観点からみると、日本軍は、当初から一貫して陸軍・海軍と「分化」しており、本質的な「統合の実態」はありませんでした。(大本営も両軍の調整機能は持ち得ませんでした)
 そもそも戦略ビジョンの異なる陸軍(白兵銃剣主義)と海軍(大鑑巨砲主義)には、軍事合理性や技術適応性の面から「統合」の必要性が生れなかったのでしょう。

 「統合」の思想はなかったとはいえ、日本軍が組織学習を全くしなかったかといえばそうではありません。むしろ、陸軍・海軍各々においては、「過去の成功体験の固定的学習」が徹底的に行なわれました。

(p369より引用) 帝国陸海軍は戦略、資源、組織特性、成果の一貫性を通じて、それぞれの戦略原型を強化したという点では、徹底した組織学習を行なったといえるだろう。しかしながら、組織学習には、組織の行為と成果との間にギャップがあった場合には、既存の知識を疑い、新たな知識を獲得する側面があることを忘れてはならない。その場合の基本は、組織として既存の知識を捨てる学習棄却(unlearning)、つまり自己否定的学習ができるかどうかということである。
 そういう点では、帝国陸海軍は既存の知識を強化しすぎて、学習棄却に失敗したといえるだろう。

 自己否定を自己変革のプロセスに組み込むための工夫のひとつが、意識的な「不均衡の創造」です。

(p375より引用) 適応力のある組織は、環境を利用してたえず組織内に変異、緊張、危機感を発生させている。あるいはこの原則を、組織は進化するためには、それ自体をたえず不均衡状態にしておかなければならない、といってもよいだろう。

 組織論の立場で日本軍の失敗の本質を結論づけるとすると「日本軍は自己革新組織ではなかった」ことに帰着するようです。

(p388より引用) 組織は進化するためには、新しい情報を知識に組織化しなければならない。つまり、進化する組織は学習する組織でなければならないのである。組織は環境との相互作用を通じて、生存に必要な知識を選択淘汰し、それらを蓄積する。
 およそ日本軍には、失敗の蓄積・伝播を組織的に行なうリーダーシップもシステムも欠如していたというべきである。

 本書ほど私が複数回読んだ本はありません。
 全体としての立論内容は、戦略・リーダーシップといったマネジメント論ですが、事実に忠実な戦記物としても秀逸ですし、明治以降の日本人論としても説得力を有しています。

 本書が解明した「日本軍の失敗の本質」の議論が、今現在、またぞろ何の進化もなく眼前で展開されているのは、心底情けなく思います。

 本書は、間違いなく昭和の“名著”のひとつでしょう。しかしながら、“現在においても活きる名著”だとすれば、その状況は日本社会にとって決して望ましいことではありません。


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