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職業は武装解除 (瀬谷 ルミ子)

(注:本稿は、2015年に初投稿したものの再録です)

 何かの書評欄を見ていて気になった本です。とても興味をひくタイトルですね。

 著者の瀬谷ルミ子さんは、国連をはじめ幾多の国際的組織で活躍している「武装解除」のプロとのこと。本書は、その瀬谷さん自らの手による半生記であり、活動ドキュメンタリーです。

 著者の専門は「DDR」と略されているジャンルです。
 この3つの頭文字は、“Disarmament”=兵士の武装解除、“Demobilization”=動員解除、“Reintegration”=社会復帰のことですが、より実際に則した活動内容を著者はこう説明しています。

(p39より引用) 和平合意が結ばれて紛争が終わっても、それだけで人々が安全に暮らせるわけではない。紛争が終わるということは、兵士にとっては、明日から仕事がなくなるということだ。

 このフェーズで兵士の意識や行動がうまくコントロールできないと、武器が野放しになった非統制状態が出現し、再び紛争状態に逆戻りしてしまう恐れがあります。

(p39より引用) それを避けるため、兵士や戦闘員から武器を回収し、除隊させたうえで、一般市民として生きて行けるように手に職をつける職業訓練や教育を与える取り組みが、DDRである。

 著者がこういった仕事に取り組もうと決意したきっかけは17歳のときに見たルワンダの母子の写真でした。そして、学生時代のルワンダでのホームステイを皮切りに、ボスニア・ヘルツェゴビナ・アフガニスタン、シエラレオネ、コートジボワール・・・、と次々に紛争地域に自らの意思で飛び込んでいったのですが、そういった現場で著者が経験したショッキングな気づきは「和解」という言葉の本質でした。

(p45より引用) 私は、現地を訪れるまで、「和解」とは良いことだと信じて疑わなかった。でも、その言葉を口にした時の現地の人々の表情を見て、自分が間違ったことをしているとやっと気づいた。・・・私が家族を失った立場だとして、ある日フラッとやってきた外国人に、加害者と和解しない理由を問い詰めたら、どんな気分になるだろう。・・・たとえ私がどれほど有能な専門家でも、人々が自発的に望んでいないことを押し付けるのは、ただの自己満足なのではないか-
 この時の経験から、平和をつくるプロセスとは、当事者が望んでからはじめて行われるべきであるということ、部外者が興味本位でかき乱すことがあってはならないことを痛感した。そして、皆が手を取り合って仲良しでなくても、殺し合わずに共存できている状態であれば、それもひとつの「平和」の形であり得ることも。

 こういった数々の「現場」において著者が直面した認識のギャップや自らの活動への疑問は、まさに「本質的」なものであり、その解決に向けての道のりは一筋縄ではいかないものばかりでした。

 たとえば、元兵士に対する “Reintegration(社会復帰)”支援において、著者が感じたジレンマ

(p82より引用) 加害者が優遇され、もてはやされる風潮が長引くと、「無罪になって恩恵がもらえるなら、加害者になったほうが得だ」という価値観が社会に根付いてしまう。手厚い支援を受ける元子ども兵が新品の制服と文房具を持って学校に通う一方で、一般の貧しい子どもたちは鉛筆ひとつ買えないような状況があった。それを見て育った子どもたちは、将来、争いの芽が再び生じたとき、果たして加害者側に回らず踏みとどまることができるのだろうか。

 DDRは「絶対的に正しい施策」ではなく「紛争終結のための政治的妥協案」に過ぎないというのが著者の認識であるだけに、この状況は、看過できない、とはいえその解決案が浮かばない忸怩たる思いがつのるものでした。

 そして、もうひとつは、アフガニスタンで取り組んだ “Disarmament(武装解除)”活動の果たした役割への疑問

(p105より引用) 当時のタリバーン復活の勢いは、アフガニスタン南部の農村部に浸透し始めていた。武装解除された地域に代わりの治安部隊がいない「治安の空白地帯」は、タリバーンや他の民兵の格好の標的になる。武装解除だけでは、地域の安全を守ることはできないのだ。このまま武装解除だけを進めることは、結局アフガニスタンの不安定化につながるのではないだろうか。

 著者たちの努力は、それだけですべての課題が解消されるものではなく、それに続く押さえの打ち手が必要不可欠なのです。ですが、これが難しい・・・、問題が国際政治のダイナミズムの中で扱われるレベルになるとなおさらです。

 この最終的な課題解決のフェーズにおいて最も重要な要素は、「現地の人々の意識と行動」です。これが変わらなければ、いくら著者たちが誠心誠意種々の取り組みに汗水垂らしたとしても、結局、日が経つにつれ“元の木阿弥”に落ち着いてしまうでしょう。
 著者は、何より現地の人々の能動的な「自主性」を重んじました。

(p147より引用) 私たちは、基本的に住民たちをあまり被害者扱いしない。・・・私たちができるのは、彼らが自力で歩き出せるようサポートすることだ。・・・だから、その日に感謝されることよりも、数年後に振り返ったときに、「あのときは難しいことを言う人たちだと思ったけど、あれでよかった」と思ってもらうことを目標にしている。

 さて、本書を読み終えてですが、久しぶりに、“できるだけ多くの人に、この本を手にとってみて欲しい” という気持ちを抱きましたね。
 老若男女誰でもOKですが、今後の進む道を模索している(若い)皆さんには特にお勧めです。自分の将来を考えるうえで、素晴らしい刺激になるでしょう。

 経験の舞台は全く異なりますが、「ボクの音楽武者修行」という本で語られた小澤征爾さんの若いころの姿に重なる “チャレンジ精神”と“躍動感” を感じることができます。



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