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脳・心・人工知能 数理で脳を解き明かす (甘利 俊一)

(注:本稿は、2016年に初投稿したものの再録です)

 新聞の書評欄で紹介されていたので読んでみました。
 AIは最近何度目かの脚光を浴びているジャンルですし、このところ「こころ」関係の本も何冊か手に取っていたので、興味を惹きました。

 しかしながら、この本も撃沈ですね。
 正直なところ本書での著者の解説の8割は全く理解できませんでした。「数理」でとタイトルにあったので、その段階で気づくべきでした・・・、完全に甘く見ていました。

 人工知能に関して、最近最も気になっている「ディープラーニング(深層学習)」についても、その原理の解説がこんなふうに暗号文のようになってしまうと・・・、私の頭自体が「ディープな世界」に沈潜してしまいます。

(p143より引用) 私は、数理脳科学と並んで情報幾何を研究している。その立場からすれば、パーセプトロンのパラメータ空間は曲がったリーマン空間になる。・・・そこでの長さを測る物差しがリーマン計量であり、統計学のフィッシャーの情報行列で与えられる。特異点では、この計量が縮退してしまう。
 学習で縮退の効果をなくすには、リーマン空間の立場に戻って、損失関数の勾配をリーマン空間の中で考えればよい。・・・これを用いるとプラトーは消失し、素早い学習ができる。この方式を「自然勾配学習法」というが、これはいまブームの深層学習でも有効である。

 何とか話についていける内容になったのは、本書の残り四分の一あたり、人工知能研究の歴史の解説になってからです。

(p172より引用) 自分の専門である数理脳科学を書いて、少し夢中になってしまった。そこで話を転じて、脳の仕組みにヒントを得て、これを技術として実現する人工知能について考えてみようと思う。

 さて本書を読んでですが、人工知能の基本原理についてこんな感じかという「イメージを抱く材料」は以前より少しは増えたような気がします。
 ただ、結局のところ、基本原理が理解できたわけではありませんから、それによってイメージの“もやもや感”が減ったかといえば全くそんなことはなく・・・。やはり“一筋縄ではいかない”ということを再認識させられたということでしょう。

 このテーマについて少しでも理解を深めるには、私の場合。別のアプローチを模索した方がいいかもしれないなと感じ始めています。情けないのですが、今から本書の解説についていける程度の「数学」の知識をつけるのは私にとって余りにも荷が重いようです。

 とは言え、著者のような数理脳科学の専門家が、「ロボット」の将来ついて、こう語っているところは興味深いですね。

(p228より引用) でも、ロボットが喜びや悲しみを表現しても、これだけではロボット自身が喜び、また悲しんだとはいえない。喜びや悲しみの状況の認識は、喜ぶこと、悲しむこと自体とは違う。これはクオリア(質感、しみじみとした感覚)の問題といってよく、個人の長い経験の蓄積の末に生じる。ロボット自身は一回限りの人生をいとおしみながら終えていくということはないのだから、すべての経験がそのまま役に立ち、クオリアのようなものが生ずる必要がない。人間が作るロボットは、あくまで人と協調し、人を助けるものに留まるだろう。

 このあたり、「個人の長い経験」もそれに相当する大量の時系列データを読み込ませることによって蓄積可能になるようにも思いますが、その程度のことは分かっているうえでのコメントなのでしょう。
 科学者一流の「楽観主義」のようでもありますが、私も、“完全に人生を代替するようなロボット” の登場は望みたくはありません。



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