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〈こころ〉はどこから来て,どこへ行くのか (河合 俊雄・中沢 新一・広井 良典)

(注:本稿は、2016年に初投稿したものの再録です)

 いつもの図書館の新刊書の棚で目に付いたので手にとってみました。

 ちょっと前に「心はすべて数学である」という本を読んだということもありますが、著者たちの中の中沢新一さんの名前も気になりましたし、河合隼雄氏のご子息である河合俊雄さんの論述にも興味を抱きました。

 内容は、2015年に開催された「京都こころ会議」でのレクチャーを採録したもので、5つの切り口からそれぞれの専門家が “こころ” を語っています。

 しかし、最初に採録されている中沢新一氏の章は難解でした。
 シュールレアリズムの詩 “解剖台の上での、ミシンと雨傘の偶然の出会いのように美しい(ロートレアモン『マルドロールの詩』” を材料に、こんな感じで論が展開されます。

(p34より引用) ここに、ニューロ系ホモロジーとこころ系ホモロジーの本質的なちがいがあります。どちらも「ゼロ空間」の働きなしには、活動できません。ところがニューロ系「ゼロ空間」には内部構造がなく、したがって生産性や増殖性を持ちません。それにたいして、こころ系「ゼロ空間」は内部構造を持ち、独特の結合律を持つことによって、新しい意味の生産・増殖を起こすことができます。ものとこころのちがいは、主にここにおいてあらわになります。

 んんん、苦行ですね、全く「ちんぷんかんぷん」でした・・・。

 実は、それに続く心理学系の講演内容もほとんど理解できず、最後の人類学・霊長類学の専門家山極寿一氏の講演の部分になって、ようやく少しは議論について行けた気がしました。(あくまでも「比較して」ということですが)

 その中でちょっと興味をいだいた部分を2・3、書き留めておきます。

 まずは、人類の進化の過程での「脳の大型化」のプロセスを火の使用や調理と関連づけて説明している部分。

(p178より引用) 人間は食物を加工することによって、咀嚼や消化にかける時間とエネルギーを大幅に節約できるようになったのです。そして節約したエネルギーを増大した脳に用い、余った時間を社会交渉に当てる。この社会交渉がまた、脳の大型化を促進する。

 面白い着眼だと思いますね。

 「着“眼”」という点では、本章の中で、サルや類人猿と比較してなぜ人間の目にだけ「白目」があるのかを考察しているくだりも興味深いです。

(p183より引用) 白目があると視線の方向がわかるし、その微細な動きから相手の気持ちを察知できる。おそらく、向かい合って言葉を交わすだけではなくて、相手の目を見ることによって、相手が自分に対して下している評価や、相手の気持ちをモニターしている。それが実はコミュニケーションをとる上で非常に重要なのではないでしょうか。

 「目は口ほどにものを言う」と言われるように目の動きは人の感情を図らずも表面化させるのものです。
 この指摘のように、もしこういったコミュニケーションの深化という目的のために「白目」の面積が増すように人間の目が変化していったのだとすると、「進化」の深遠さに驚嘆せざるを得ません。

 そして、興味をもった指摘の最後は、原初的な共感社会から規範性をもった倫理社会への移行プロセスを簡記した部分です。

(p199より引用) 食物分配の拡大や肉食という食の革命に端を発して、脳の大型化から家族を組織するに至り、共同保育をすることによって共同体をつくり、その共同体を維持する手段として音楽的なコミュニケーションが登場し、そして、それが言語として発達していく過程で、罰則を伴う倫理という新たな規範が人間社会に生まれたのだろうと思います。

 この記述に続き、山極氏はこれはまだ進化の途上であると指摘しています。
 この集団内に生じた倫理性が集団間において紛争の要因になる、それを解決していくのが「心の問題」として今後の人間社会の課題となると結んでいます。



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