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失われたTOKIOを求めて (高橋 源一郎)

(注:本稿は、2022年に初投稿したものの再録です。)

 いつも利用している図書館の新着本の棚で目についた本です。

 高橋源一郎さんの思い出に紐付いた “東京のスポット” をテーマにしたエッセイ集。他の本を読む合間にパラパラとページをめくってみようと読み始めました。

 今から15年以上前に読んだ中沢新一さんの「アースダイバー」での記述がところどころに引用されていましたが、確かに似たようなテイストも感じられる著作ですね。

 本書で取り上げられた都内の9か所のうち7か所は私も訪れたことがありました。ただ、(当然ではありますが、)その土地に対する想いや記憶のインパクトが全く違うので、どこも高橋さん流の深い感慨を抱くには至りませんでした。
 とはいえ、それゆえに新鮮な気づきも数多くあって、なかなか興味深く読むことができましたよ。

 御茶ノ水の「文化学院の歴史」、新国立競技場の「学徒出陣と1964年の東京オリンピックの記憶」・・・、その中で「渋谷」を扱った章から、一部、覚えに書き留めておきます。

 明治29年、田山花袋が渋谷に国木田独歩を訪ねたときのようすです。

(p153より引用)
 「国木田君は此方ですか。」
 「僕が国木田。」
 田山花袋と国木田独歩、近代文学の巨人たちの最初の出会いである。そして、「好い処だ」という花袋に、独歩はこう答える。
 「武蔵野って言う気がするでしょう。月の明るい夜など何とも言われませんよ。」
 花袋が訪れた「丘の上の家」は豊多摩郡渋谷村上渋谷一五四番地、現在の渋谷区宇田川町、NHK放送センターの前、道路をはさんだ歩道の脇に、小さく「国木田独歩住居跡」の標示が見つかるはずだ。・・・
 独歩が歩いた「武蔵野」は渋谷のことだった。そして、渋谷はその頃、深い林だったのである。

 なんとも、これは意外でした。武蔵野の林は今の渋谷あたりまで迫り出していたのですね。
 当時の街の広がりを思うと、その後の急激な街域の拡大スピードは驚異的です。瞬く間に、「武蔵野」はコンクリートとアスファルトに埋め尽くされていきました。



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