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反省させると犯罪者になります (岡本 茂樹)

(注:本稿は、2014年に初投稿したものの再録です)

 かなりショッキングなタイトルの本です。

 著者の岡本茂樹氏は立命館大学産業社会学部教授ですが、刑務所での累犯受刑者の更生支援活動にも従事しています。
 本書は、その岡本氏の実現場での豊富な経験を踏まえ、犯罪者を更生に導く心のケアについて熱く説いたものです。

 まずは、「裁判と反省」についての岡本氏の見解です。

(p36より引用) 私は裁判において被告人が「反省していること」を考慮することに疑問を感じないではいられません。
 誤解がないように言っておきますが、私は何も被告人に対して「反省しなくてもいい」と言っているわけではありません。言いたいのは、裁判という、まだ何の矯正教育も施されていない段階では、ほとんどの被告人は反省できるものではないということです。・・・なぜなら、裁判という場でどんなに反省の弁を述べたとしても、被告人は自分の犯した罪と向き合っていないからです。自分の罪と向き合うのは、長い時間をかけて手厚いケアをするなかではじめて芽生えてくるものなのです。

 犯罪者は、刑務所や少年院等で矯正教育を受けることになっています。そのなかで定番の矯正手法として行われているのが「反省文」の提出です。しかし、これについて岡本氏は “百害あって一利なし” と断じています。

(p63より引用) 反省文は書かされた人の「本音を抑圧させている」ということです。そして、抑圧はさらなる抑圧へとつながり、最後に爆発する(犯罪を起こす)のです。

 ここで岡本氏がイメージしている「反省」は、人に強制された反省です。あるいは、真の要因に行きあたる前の教科書的表現に止まっている「反省」です。
 それゆえに「反省文」は本質的な解決に導く手段にはなり得ていない、むしろ逆効果だというのです。

(p76より引用) 反省は、自分の内面と向き合う機会(チャンス)を奪っているのです。問題を起こすに至るには、必ずその人なりの「理由」があります。その理由にじっくり耳を傾けることによって、その人は次第に自分の内面の問題に気づくことになるのです。

 続けて、岡本氏はさらに重要な点を指摘しています。

(p76より引用) この場合の「内面の問題に気づく」ための方法は、「相手のことを考えること」ではありません。・・・最初の段階では「なぜそんなことをしたのか、自分の内面を考えてみよう」と促すべきです。問題行動を起こしたときこそ、自分のことを考えるチャンスを与えるべきです。周囲の迷惑を考えさせて反省させる方法は、そのチャンスを奪います。

 この途上では、加害者であるにもかかわらず、被害者や周囲の人々に対する反発の気持ちも吐露されます。しかし、そういった否定的感情が外に吐き出されないと、かえって孤独感やストレスが溜まり、再び犯罪という形で爆発する恐れが消えないのだというのが、岡本氏の主張です。
 そういった否定的感情を出し尽くし、それを他人に受け止められて初めて、自分のやった過ちに向き合えるのだと言います。そこからが、本当の「反省」の始まりです。

 犯罪を犯す多くの人々は、社会の中で“孤立”した存在です。周りの人とのコミュニケーションが極めて不得手です。

(p199より引用) 自分のことを受け入れてもらったり認めてもらったりしたときは、「ありがとう」「うれしい」と言葉でちゃんと相手に伝えましょう。そして、自分のことを受け入れてもらえなかったり認めてもらえなかったりしたときは「寂しい」「悲しい」といった言葉で自分の気持ちを素直に表現しましょう。

 言葉に出して素直に自分の気持ちを表すのは、決して恥ずかしいことではありません。

(p200より引用) 「沈黙は金」という言葉があります。しかし、言葉で言わなくても分かり合える時代は終わりました。黙っていても、相手の気持ちを察することは美徳と考えられてきましたが、今はちゃんと自分の気持ちを言葉で伝えていかないと、良い人間関係はつくれません。

 社会における最後のセイフティネットは、自分の「理解者」の存在だと思います。自分の気持ちを吐露でき、それを澱むことなく受け入れてくれる相手がいることが、犯罪の発生を防ぎ、また再犯を防ぐ鍵なのです。

 「更生」は「更正」ではありません。「更に生きる」、“生まれ変わり、よりよく生きる”ということです。



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