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センス・オブ・ワンダー (レイチェル・L. カーソン)

(注:本稿は、2022年に初投稿したものの再録です。)

 いつもの図書館の新着書リストを覗いていて目に留まった本です。

 環境問題にいち早く警鐘を鳴らした書物として有名な「沈黙の春」の著者レイチェル・カーソンの遺作ということで手に取ってみました。

 幼いロジャーとともに自然溢れるメーン州の海岸と森を散策した様子を綴った小品です。
 エッセイのような体裁で、とても大切なレイチェルからのメッセージが穏やかな語り口で綴られています。

 そのいくつかを覚えに書き留めておきましょう。

 まずは、本書のタイトルでもある「センス・オブ・ワンダー」に触れているくだり。

(p33より引用) 子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。
 もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。
 この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。

 そして、レイチェルは “この感性(=センス・オブ・ワンダー)の大切さ” についてこう続けます。

(p36より引用) わたしは、子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭をなやませている親にとっても、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。
 子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。・・・
 消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうがどんなにたいせつであるかわかりません。

 こういったメッセージを綴ったレイチェルによる小文のあと、4人の方々が、それぞれに「センス・オブ・ワンダー」をテーマにしたエッセイを寄せています。

 その中から、まずは生物学者福岡伸一さんが語る「センス・オブ・ワンダー獲得仮説」。
 その母体は、「こどもの遊び」にありました。

(p91より引用) しかし、なかなか成熟せず、長い子ども時間を許された生物(つまりヒトの祖先のサル)が、たまたまあるとき出現した。彼はあるいは彼女は、・・・世界の美しさと精妙さについて、遊びを通して気づくことができたのだ。センス・オブ・ワンダーの獲得である。もともと環境からの情報に鋭敏に反応できるよう、子どもの五感は研ぎ澄まされている。これが人間の脳を鍛え、知恵を育み、文化や文明をつくることにつながった。こうして人間は人間たらしめられた。これが私の仮説である。遊びをせんとやうまれけん。人間以外にセンス・オブ・ワンダーの感受性はないはずだ。

 そして、もうひとり、東北大学教授で神経科学者の大隅典子さん
 「子どもの教育では “知ることより感じることが大切”」というレイチェルの考え方を受けて、こんなコメントを記しています。

(p125より引用) 子どもの「これは何?」という問いに、親が直接その答えを知っていなくてもよい。「何だろう?おもしろいね!あとでしらべようか」と共感し、応答することが大事だろう。「なぜ?」という質問に対して、「あなたはどうしてだと思う?」と 問い直しても良いし、「お母さんはお父さんはこう思う」と自分の意見として伝えるのでもよい。疑問を共有すること、認めることが大切だ。大人になってからも、本当に大事なのは、既存の問題に素早く答えを出すことではなく、「問い」を立てられることである。そのようなタレントこそが、将来のイノベーションや起業に大切であろう。

 最後は “正解信仰” の否定というちょっと現実的な言い様ではありますが、“豊かな感受性” を育むことの大切さを説く姿勢は同根ですね。

 本書を読んで、早く「沈黙の春」にトライしなくてはと改めて思いました。


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