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設計事務所で独立して年収2000万になった体験談!どうやって年収2000万になったか解説します。

私の年収一覧

地方設計事務所勤務時代 残業代が60万
23歳 給料260万 残業込 激務
24歳 272万 残業込 激務
25歳 284万 残業込 激務
26歳  296万 残業込 激務

個人事業主時代(2005〜2015)
27歳 年商50万 独立 6ヶ月分
28歳 262万 年商(収入ではない)
29歳 333万
30歳 427万
31歳 342万
32歳 479万
33歳 331万 自邸建設
34歳 511万 RC住宅初受注
35歳 718万 
36歳 820万
37歳 394万 工務店との付き合いを辞める
       収入激減

法人時代 (2016〜2023)
38歳 年商661万 年収360万
39歳   735万  360万
40歳 987万 600万
41歳  964万 600万 東京支店開設
42歳 1486万 1080万
43歳 3307万  1440万 初スタッフ採用
44歳 5000万?1700万? 年収を年商の1/3程度
  大阪支店、名古屋支店開設 スタッフ2人目

文章の構成

文章の大半は、私の体験談です。学生時代の話しを少しした後に、27歳で独立してから、どのように年収が上がっていったか実例で紹介します。

最後に私自身が自分の人生を振り返り、どうやったら最短で年収2000万になるか、考え方のサンプルを提供いたします。

注意
年収2000万になる方法は、あくまで考え方の大枠を示すものです。具体性がある訳ではありません。
人それぞれ、自分の武器は違います。自分の武器を使い、自分で事業を考え年収を上げる事になります。

この文章は、独立したての設計事務所の所長や、将来、設計事務所で独立したい学生や会社員の方に向けて作った文章です。

■挨拶

将来、設計事務所で独立したい皆様はじまして。
株式会社RC design studio(建築設計事務所)の所長で一級建築士の澤田友典と申します。

私は現在、関東圏を中心に全国で、高級RC住宅の設計を受注する事で収益を上げています。

関東圏を中心にといっても、銀座に打ち合わせスペースがあるだけで、本社は富山にあります。

2022年に工事金額7億、会社の売上が3300万になり、私は会社から1440万(120万✖️12ヶ月)の年収の他、出張手当、その他、諸々合わせて、会社員の給料換算すると2000万程度の金額を、会社から支給出来ています。

年間100日以上出張しているので、出張手当がそれなりにあります。2023年度は、売上が5000万円程度と会社の業績は上昇中で、業績に合わせてさらに年収を上げていく予定です。

実質年収2000万まで行ってないと思うけど、大体2000万付近にいるので、2000万と言う事で許して下さい(^^)

この実質年収2000万という数字は、勤めていた時の年収200万円台と比べると10倍近い金額ですし、独立当初には、まさか自分が年収2000万円になるなんて、想像もつきませんでした。

でも、時には収入を減らしながらも会社のビジネスの仕方を変える事で、ここまで辿り着く事が出来ました。ですが、いまの状態で満足している訳ではありません。さらに成長させていきます。

当社の事には興味ないと思いますが、私がどう考えて会社を経営してきたか、時系列で見て頂く事で、会社の状態に対しての打ち手が見えてくると思います。

文章的には長くなりますが、エッセイ形式の方が、どのような背景があって、私がどう考えたかを学び、あなた自身に生かしやすいと思います。お付き合いください。

簡単に知識を得て、それを実行すれば成功出来るなんて甘い話は、起業にはありません。市場を分析し、自分が提供出来る事は何なのか、来る日も来る日も考えて、実行して失敗する。失敗の中から次に繋がるヒントを探して、それを又、実行する。この繰り返しの日々が起業です。

と言う事で、私が辿った軌跡を、自分事として考えながら読んで頂く事で、設計事務所の独立のヒントにして頂けたら幸いです。

この記事の価値が幾らになるかは貴方次第です。0円にしかならないのか、はたまた1億円以上の価値になるかは貴方次第なのです。

仮にこの記事を読んで、年収300万の会社員の人が独立して年収2000万になれば、この記事には1億円を超える価値があった事になります。

勿論、価値を作り出すのは貴方自身ですが、出来るだけ価値を作り出しやすいように記事を作りますので、興味がある方は購入下さい。

それでは本編スタートです。



■私のエッセイ

-学生時代-

私が高校生の時に実家を建て直しました。その時の経験から、家作りって凄く面白い仕事だなと思い、将来建築家になる事を決めました。

大学は千葉工業大学になんとか合格し、4年間で無事卒業しました。大学では人気のある意匠系ね研究室に無事に入る事が出来、鎌倉を舞台に卒業設計を行いました。

いよいよ卒業となった時は、就職活動なんて全くしていなかったので、卒業後は千葉から地元の富山にUターンして、実家に転がりこみました。とりあえず、ハローワークに求人を見に行ったら設計事務所の求人が出ていました。

ハローワークの担当者がその設計事務所に電話すると新人は募集していないと言う事で、設計事務所から断られそうになっていました。私は、このやる気のないハローワークのスタッフに任せていたらどうにもならないと思い、電話を変わってもらいました。

正直、電話の内容は全く覚えていないのですが、そこまで言うなら会っても良いという事になり、会社に伺って話をした結果、採用頂く後になりました。

あの時、電話をハローワークのスタッフから変わらなければ今の私はありません。おそらく、このような分岐点は人生に幾つもあり、目の前を泳いでいく魚を反射的に掴み取る力が成功には必要です。

ポイント1:目の前の魚を掴み取る

ちなみに、この時は一緒に受けた大手ハウスメーカーの採用も、ほぼ決まっていたのですが、大手ハウスメーカーの半分の給料しかない設計事務所を迷わず選びました。

お金なんかじゃない、やりたい事をやれる人生にしたい!この考え方はこの当時から今まで変わっていません。とにかく私は、電話を交代してもらう事で建築家人生をスタートしたのです。



-会社員時代-

勤めていた富山市の設計事務所は、社員6名程度の地元の中堅企業でした。

その会社で5年間お世話になり、工場、病院、事務所、店舗、住宅、集合住宅等、幅広く経験させて頂く事が出来ました。

初めて事務所を設計した時に、歪な敷地でその歪な形を生かしてデザインしたプランが採用され、色々手直しはあったものの、自分でデザインしたものが形になりました。

自分の想像したものが形になるなんて、なんて面白い仕事なんだろう、私は心の底からそう思いました。毎日、会社帰りに現場に寄って、こっそり覗いていました。

こうやって、図面にしたものが形になるんだ!

私は、図面が形になっていく様に魅了されました。建築家ってなんて面白い仕事なんだ!
絶対に独立してやる!
独立した方が面白いに決まっている!
そう強く思いました。



-会社員時代の私の年収と働き方-

会社員時代の私の年収は手取り12万円からスタートしました。少ないとは思いましたが、実家にいたので、どうとでもなると思っていました。
残業は忙しい月は100時間くらい普通にしていました。今でいうブラック企業でしたが、当時は修行に会社に来ているという認識でしたので、忙しいのは気になりませんでした。

残業代が50時間まで時給1000円出ていたので、12万+5万=17万がだいたいの月収でした。

会社が実家から車で5分の所にあり、通勤時間がほとんどなかったので助かりました。夜中24時に家に帰って、朝8時半に起きて、8時50分に家を出る。そんな生活でした。

昼ご飯は、母親が作ってくれたお弁当でした。夜も、母親が作ってくれた夕食を食べていました。思い返すと、本当に母親の世話になっていたと実感します。

私は独身だったので大丈夫だったのですが、家族がいる人は本当に大変だったと思います。新しく入ってきた人が女性で結婚されていたので、こんなのやっていけないと、泣きながら相談されて

澤田さんは、こんなに大変なのどう思っているんですか?と聞かれ

好きな設計して遊んでいるようなものなので、全然大丈夫です。と言ったら

え?遊んでいるって、どういう事?と言われました(笑)

会社員時代は、基本的に忙しかったのですが、それでも休日や連休には良く建物を見に旅行に行っていました。合コンやデートなんかも、たまには出来ていたし、それなりに楽しい会社員時代でした。



-独立したキッカケ-

基本的に独立しようと考えていましたが、問題はいつ独立するかです。正直よくわかりません。

毎日、建築の勉強をしていたので、4年目くらいには図面を一通り書けるようになり、ある程度の規模の建築基準法も解るようになりました。プランも社内で私のものが採用されるケースが多く、そろそろ独立出来るかも!と、独立を考え出しました。

ですが、周りで設計事務所で独立している人がいなくて、相談も出来ず、会社の残業に追われて、ただ時間だけが過ぎていきました。

基本的に、私は色んな所に顔を出すのが刺激があって好きなので、デザイン系の講習会や面白そうなイベントに顔を出していました。

ある時、知り合って仲良くなった人に、ノリサなんで独立しないの?と言われました。*ノリサは当時の愛称です。

: え?僕って独立して大丈夫なんですか?
相手: そんなんしらんちゃ!でもやってみたら良いねか!失敗したらそん時考えれば良いんぜ(富山弁です)

私は衝撃を受けました。ああ!独立ってしてみれば良いんだ!確かに、失敗したら再就職すれば良いだけだな、オレぐらい実力があれば何処でも就職出来るだろ!

仲良くなった人のこの言葉に押されて、私は独立する事が出来たのです。

ポイントは、この言葉をくれた人は当然起業しているという事です。内装関係で独立された方でしたが、20歳で起業されていました。20歳で独立している人がいるという事は当時の私からすると、想像だにしなかった事で、だったら27歳の私が独立しても、何とかやって行けるのではないかと素直に思えました。

独立しようか考えていると言うと、周りは皆んな反対します。親や友達は、そんなの成功するはずがない、辞めておけの一点張りです。

そんな反対意見しか言われない環境では、独立するなんて無理なのです。つまり、会社の中にいるだけではなく、独立している人が集まるような場に出て行って、独立している人の話を沢山聞く事が、独立するのに重要な事なのです。

ポイント2:独立している人の話を聞く



-HPを作る-

僕が独立する数年前に、会社の担当者として会社のHPを作る事になりました。2003年くらいの事です。

当時、HPが一般社会に普及し出した頃で、勤めていた会社としてもこの波に乗ろうという事で、HP制作ソフト(ドリームウィーバー)の講習会に、HP担当者として参加しました。その後、色々調べながら無事に会社のHPを制作しました。

会社のHPを制作した後に、HPを作れるようになったので自分の個人HPも作ってみようと、富山の建築という富山県の建築を中心に、日本や世界の自分が訪れた事がある建築を紹介したHPを制作しました。

そのHPは地元では少しは有名で、地元の雑誌のHP紹介で取り上げられたりもしました。イベントなんかに参加すると、あのHP作っている人なんですね!と、特別な目で見てもらえ、HPの事が話す話題にもなって、イベントに参加しやすい状態でした。

何か他の人と違った事をしていると、面白がって仲良くしてくれる経営者の人がいます。今、経営者側になったから解るのですが、何か、率先して活動している若い人と絡んで、刺激をもらったりしたいと思う経営者は、案外多いのです。

若しくは、頑張っている若い人を見ると、若い頃の自分と重なって見えて、教えてあげたり、助けてあげたりしたくなります。

つまり、まだ独立していなくても、若さと行動力と知恵で、経営者と出会って仲良くなる事は可能なのです。

ポイント3: 新しい事にチャレンジする



-さあ独立だ-

そういう事で、数人の起業している知り合いに背中を押され、私は独立しました。

といっても、仕事がある訳ではありません。親や友達の家の設計をキッカケに独立したと言う話は、良く聞きますが、仕事の当ては全くありませんでした。

それ所か、25万円そこそこの退職金を全てインド旅行にぶち込み、インドから帰ってきて、本当に裸一貫からのスタートでした。

ですが、実家の一室からスタートしたので、よく考えて見ると、野垂れ死ぬ可能性はありません。結婚もしていないので、割と気軽にスタートしました。

所が、独立した状況だけ考えると、対した事はない気軽な状況なのに、何故か不安が襲って来ます。

オレの人生どうなってしまうのだろう

全く仕事が取れなかったらどうしよう

と、不安で押し潰されそうになります。

状況を考えると、別に死ぬ訳でもないし、今振り返って考えると対した事ないのですが、当時の私は、精神的に追い詰められていました。

くそ!この程度で精神的に追い詰められるなんて、なんて小さいやつなんだ、こんな事で弱気になっていたら、成功なんて出来るはずがない!死ぬ気でやるしかないだろ!

私は、自分自身を逆に追い込みました。すると、どうでしょう!気持ちがぐっと楽になったのです。

ようは、覚悟が足りなかったのです。独立当初は勿論、経営していれば不安になる事も沢山あります。

その時に重要なのが、覚悟なのです。

私の場合、死んでも成功してやると、自分を震え立たせていました。

ポイント4: 覚悟をもって起業せよ

なんでもそうですが、覚悟があるやつに覚悟がないやつは勝てません。

格闘技の試合で、命がけで試合にのぞむやつに、スポーツとして試合にのぞむ奴が勝つのは、極めて難しいでしょう。

建築も同じです。命がけで、お客様の幸せを作り出そうとしているやつに勝つのは、なかなか難しいでしょう!

ビジネスの現場は弱肉強食。家作りの場合、お客様にとっては、一生に一度の夢のマイホームです。お客様の多くは、必死に家づくりについて、勉強されています。

その夢の家作りのパートナーに選ばれるには、同じように覚悟を持って、家作りにのぞむ必要があるのです。

あなたに、その覚悟はありますか?
無ければ、覚悟を持っている競合先に負ける事になるのです。



-ビジネスをスタートさせる-

設計事務所ビジネスの場合、覚悟があれば、成功しやすいのは前述したとおりなのですが、独立した当初はそんな事、知る由もありません。

ツテも人脈もなく独立した私は、どうしようか考えました。

ん〜よく分からないけど、とりあえず富山県内の建設会社に営業メールしてみよう。私は手探りで、営業用の書類を作り、県内中のゼネコンや工務店にメールや手紙を送りました。

建築市場の事が、よく分からないなりに、過去の実績や、自分が出来る事と価格を提示して、県内の50社くらいには送ったと思います。

同時に、設計事務所に勤務した時に関係が出来た、ゼネコンにも挨拶に行きましたが、こちらは

分かりました。何かあればお願いしますね!

と、直ぐに仕事になるのは難しそうな感じでした。仕事を貰う事の大変さをいきなり痛感しました。
*このゼネコンには、将来的には、私が前の会社で担当した医院建築の増築の仕事を貰いましたが。

ポイント5: 営業に慣れていない

今思うと、所詮、数社営業周りしただけなのですが、当時の私としては、初めての営業が上手く行かず、焦り出していました。

仕方ないので、バイトをしようと考え、チラシのポスティングを始めました。しかし、ここで私が皆様と違うのが、バイトのチラシを配布しながら、一緒に自社の広告チラシを配りました。

一文にもならない、自社広告チラシのポスティングを、バイトと兼ねる事で、バイト代を貰いながら、自社の広告活動を行っていたのです。

私は効率化が好きです。いかに効率よく成果を出せるか考えるのが好きです。ポスティングの話は一例ですが、良く考えてみると、自社のブランドを作って世の中にアピールしているのも、効率良く仕事を受注する為にしている事です。

効率化こそビジネスの本質なのかもしれません。

ポイント6 効率良く仕事をする為にアイデアを練る

ちなみに、チラシは3000枚位まいたと思いますが、反応は0、ここでも世の中の厳しさを痛感する事になります。



-工務店と付き合いを開始する-

営業資料を配布してから暫くすると、一本の電話がかかってきました。電話を取ると、営業資料を見て話を聞きたいから、一度、会社の方へ来て欲しいとの事でした。

私は、直ぐにその工務店の所に伺いました。所が初めての営業で、緊張して心臓がバクバク言っています。なんとか心臓を落ち着かせようと、深く息を吸っても、心臓は相変わらずバクバク言っています。

もう体を落ち着かせるのは無理だと判断した私は、意を決して工務店のドアを開けました。

工務店の方は優しい感じの方で、私の様な若造にとても丁寧な対応をされる方でした。色んな所で、丁寧に仕事をされている人がいるんだなと、社会の一旦に触れた気がしました。

話しの内容は、お客様がシンプルモダンな住宅を希望されているが、自社でシンプルモダンな家を作った事がないから、打ち合わせして、住宅のデザインを決めて欲しいとの事でした。

こうして、独立して初めての打ち合わせが開始しました。

工務店は、事前にお客様ひ要望シートを書いて貰っていました。要望シートは、どの部屋が必要だとか、どんなプランにしたいか等、記入するだけである程度要望が解るようになっていました。

私はその要望シートをもとに、プランを作成しました。打ち合わせしてみると、ほとんど訂正もなく、あっさり着工する事が出来ました。

初めての住宅設計の設計料は40万円でした。

その工務店からは、それから数多くの仕事を頂きました。ですが、2006年の最初の方は割と簡単に取れた仕事が、次第に競合して負けるようになっていきました。デザイン住宅の波に、その工務店も私も飲み込まれていったのです。

競合に負けると設計料は一切出ませんでした。工務店に継続して使ってもらう為に、私からも設計料は要求しませんでした。

一方で、この時に競合に負けながら、私はどうして負けたか分析していました。

分析の結果、私なりの答えは、お客様は建てたい方の会社で建てるでした。勿論、お客様によって考え方は違い、一概には言えないのですが、お客様はプランや価格の他に、営業の人となりや、どんなカラーの会社かで購入を判断されます。

建築家の人の多くは、プランや価格が大事だと考えている人が多いですが、現実は、営業の人柄やどんな会社なのかも同様に重要なのです。

ポイント7 お客様に選ばれる会社になる。

工務店との仕事は、この工務店の他にも数社付き合いがありました。中学の同級生がデザイン系のゼネコン住宅部で営業をしていて、一緒に沢山の住宅を作りました。

地下室がある住宅もその友達と一緒に幾つか作ったり、色んなご縁で30棟程度住宅を設計させて頂いたのが、独立当初の収入でした。

請負金額は30万〜70万/棟程度で、年間300万程度の売上になっていたので、工務店の下請け業務が、独立5年間は売上の柱になっていました。



-確認申請、図面作成-

工務店の下請け以外で主だった売上を紹介すると、確認申請や他の設計事務所の下請けとして図面を描く事でした。

確認申請の需要は案外多く、色んな所から申請を出して欲しいと依頼されました。

カーポートを増築するだけのものから、大規模な店舗の改修の申請まで、色んな物件の確認申請を出しました。特に、大規模物件の確認申請の難易度が高く、対応出来る会社がほとんど無い事から、お願いされる事がしばしばあり、それは、ある程度のお金になりました。

参考程度ですが、住宅の確認申請の申請業務が10〜15万円くらいが相場だったと思います。難易度が上がると40万くらいでした。難しいとは言え、申請を出す出すだけなので、他に仕事が無い時は、繋ぎの仕事としてそれなりにこなしました。

設計事務所の下請けは、A1図面で、平面図が2万円程度、詳細図が3万円程度で、工場くらいの図面を丸々書けば、60万円くらいにはなっていたと思います。

会社員の時は、5年目でも手取りが16万くらいでした。一方、一ヶ月で工場の図面を書けば60万。単純に労働時間当たりの収入を見ると、独立当初でも会社員時代の収入を超えていました。

比べると工務店の仕事は、お金になるかも不透明な仕事で、金額的な採算性は悪かったと思います。

ですが、個人的に、工務店の下請けの方に仕事として魅力を感じていました。自分でデザインした住宅が次々に建っていく面白さがあったのと、なにより、自分の実績になったり(会社によっては表に出せないですが)、工務店がどうやってビジネスをしているか裏側が覗けたり、他社と競合する事もデザインのトレーニングになっていました。

購入してもらえるデザインとは何か、どうしたらお客様に購入頂けるのか、営業はどうやってやったら良いのか、経営とはどうすれば良いのか。

この様な事を私は、独立初期に色んな工務店を観察しながら学び、そうした経験があるからこそ、今、自社のブランド開発ができているのだと思います。

ポイント8 将来に繋がる下請けをする



-初めて自社で一般の方から仕事を受注した話-

独立2年目、2007年に私は一般の方から初受注を達成しました。HPからのお問い合わせで、その当時私は比べる→解る→楽しくなるのキャッチフレーズで活動していました。

これは、初回にプランを2つ以上提案する仕組で、比べる事でメリットデメリットが明確になり、お客様自身が納得しやすいやり方でした。

勿論、ただ見せるだけではなく、お客様の意見を引き出し、より優れたプランに昇華させる為にも、比較出来るプランがあるのは有利でした。

初めて来られたお客様は、その比較出来る仕組みを気に入って頂けたのと、当社の設計料が安かったのも恐らく重要なポイントでした。

当時、設計料を80万で監理まで請け負っていました。とにかく実績が欲しかった私は、設計料が安かったら誰か依頼してくれるのではないかと、とにかく設計料を下げていました。

今考えると、値段を下げて受注するなど愚の骨頂で、会社の価値をいかに作り出すかが重要なのですが、直受注の実績がないので、とにかく実績が欲しい時期でした。

実際問題、お客様の予算はギリギリで延床で40坪の木造二階建で1600万税込の予算でした。普段工務店でしている金額を軽く下回ってしましたが、設計料80万を含め、なんとか予算に合わせる事が出来ました。

今、思うと考えられない数字ですが、少ない工事金額ながらも相見積をとって、価格を抑える事に成功しました。

完成した物件は、お客様にとても喜んで頂けて、竣工時には洋服のプレゼントまで頂けました。

ガラス作家に表札を作ってもらったり、遊び心も詰め込んだ私の処女作と言える住宅が出来上がったのです。

この物件は、プランニング力も重要でした。比較的街中にある土地で、土地の幅が狭く、奥行が長い土地だったので、どうやって明るく開放的なプランにするか、設計力が問われる物件でした。

お客様は工務店が書いたプランが気に入らなくて、当社に声をかけて頂いたのです。

住宅設計において、プラニング力は相当重要です。同じお客様の要望から、全く違ったプランが作られるのが住宅設計です。

ゆえに、面白く、ゆえに実力が試されるのです。


-自社で受注出来ない話-

めでたく独立2年目にお客様から直接、受注出来たのですが、それ以降、全く直接は受注出来ませんでした。

一棟目が完成した時に地方の情報誌に広告を打って、完成見学会を開催しましたが、来店者は少しはいるものの制約までは至りませんでした。

工務店からの紹介で、設計に入る事はよくやっていましたが、いかんせん設計料が安い!やはり、少しずつ自社で直接受注出来るようにならないと、未来はないな!そう考えるようになりました。

ポイント9 直接仕事を受注するのは、かなり難しい

なにか打ち手はないだろうか、私は来る日も来る日も打ち手を考えました。そして、一つの答えに辿り着きました。

自邸を建てるしかないな

私は強くそう思いました。自邸を建てる事で、新たなデザインを市場に提案して、顧客を獲得するしかないな!と、そう思いました。いわゆる自邸をショールームとする作戦です。

ショールーム戦略は、工務店やハウスメーカーが行う、最もオーソドックスな販売促進方法です。
友達が勤めていたデザイン系住宅会社も、ショールームを一般の住宅地に建設して、時期が来たら売却するやり方で、経費をそこまで掛けないでショールーム戦略を実行していました。

私は、友達と良くそのショールームで打ち合わせしていたので、ショールームの重要性というものが嫌という程解っています。ショールームと全く同じようなデザインで幾つもデザインしました。

自邸をショールームにして営業している設計事務所も幾つか調べたのですが、自邸を機に、自邸と似た様なデザインで、住宅を受注出来ている設計事務所も結構あります。

逆に、自邸を設置しても、結局、普通の家を設計しているケースもあり、自邸をどう作るかで、その後の建築家ライフが違ってくる事は、容易に想像できました。

住宅市場には、有名建築家が手がけた、売れないショールームが散見していますが、そうなってはお終いです。住宅ローンを使える、一生に一度のチャンス、絶対に物にしなければなりません。

では、どの様なデザインの自邸を作れば良いのか、その日から自邸作りの検討がスタートしました。 



-自邸を建てる。どんな家にするか編-

まずは、どんな家にしたいのか自問自答しました。今まで見てきた多くの建物の写真を見直したり、近場にある好きな建築を、改めて見にいったりしました。

そうして、見てきた建物を振り返ると、構造体がそのままデザインになっている建物が、好きなのが分かりました。極端に言うと、森に生えている木の様に、機能性が形になっているようなデザインが、好きでした。

さらに考えると、ル・コルビュジエや安藤忠雄さんのようなコンクリート建築が好きで、コンクリート素材の迫力に魅力を感じていました。

又、コンクリート造の構造体そのものがデザインになっているような建築に共感が持てました。

ラーメン構造に比べる壁式構造の方法が、構造体そのものが、デザインとなっているように感じます。壁式RC造の、コンクリートの塊としてのデザインにも魅力を感じました。

よし!RC造の家を建てよう!価格が高いらしいけど、銀行でマックスまで借りて何とかなるっしょ!

と、勢いでRC住宅にする事を決めました。勤めていた時に集合住宅を2棟、壁式RC造で設計した事があったので、まあ、あれを小さくすれば良いんだよな?という風に簡単に考えていました。

噂ですが、勤めていた会社の取引先である構造設計事務所の所長の家がRC造で、寒くて、家の中にツララが出来たらしいという事を聞いて、ある程度は暖かいRC住宅にしようと思いました。

同時に、ショールームとしてどの様なデザイン・仕様の住宅にするべきか、考えていました。

自分の家だから、自分の好きな様にしたいと思う一方で、この自邸を使って、住宅市場にアピールしたいとも思っていたので、そのさじ加減を調整する必要があると思っていました。

ポイント10 自邸を使えば、一発逆転できるかも



-自邸を建てる。銀行編-

なんとなく、建てたい建物も見えてきたので、実際にお金が借りられるか調査に行きました。

地元の銀行に相談すると、個人事業主の場合は、直近3期のうち、一番悪い金額で判断すると言われました。勿論、売上ではなく、経費を引いた年収の話しです。

調べていくと、その当時の収入では到底、家なんて建てられない事が分かりました。夢のマイホーム、甘くはありません。

このままでは家が建てられないので、収入を上げる事にしました。

これを言うと、怒られるかも知れないのですが、本来かかっている経費を不算入にして、収入を上げる事で、銀行から借りられる額を上げる事にしました。

勿論、税金は本来払う額より増えてしまうのですが、住宅ローンを組む為には仕方がありません。

さらに、調べるとフラット35であれば個人事業主でも融資が受けやすく、基本的に前年度の年収だけで判断してもらえました。前年度の年収だけであれば、売上が上がった年の翌年であれば、何とか家が建てられそうでした。

ネットで簡単に試算出来るので、興味がある方は、やってみたら良いと思いますが、年収450万でフラット35だと4000万以上の借入が可能でした。

4000万あればなんとかなるかな?そう思って計画を進めました。

ポイント11 個人事業主でもフラット35だと借りやすい



-自邸を建てる。土地編-

土地は現金で購入する予定でした。

基本的に格安の土地にしないと、予算が合わないと思っていましたし、土地まで住宅ローンに組込むと、融資スケジュールの関係で、ゆっくり設計している時間がありません。

購入した土地で、色んなパターンのプランを考えて、家作りを楽しみたいと考えていたので、土地の金額は、ローンを使わずにすむ300万円程度の想定でした。

富山市は田舎なので、土地の価格が高くないのですが、それでも一般的な相場は60坪くらいで800万円くらいでした。

800万円は予算的に無理だから、ちょっと郊外の建物が建てにくい、格安の土地を探す事にしました。

当時、ようやく不動産会社に相談する以外に、ネットで検索して、お客様が自由に土地を探せるようになっていました。

私は、色んなサイトで、富山市中の土地を検索しました。すると、三角形や、住宅地の奥の方にあったり、使いづらいが面白そうで価格の安い土地が幾つか見つかりました。その候補地から今の私が住んでいる土地を当時、選んだのです。

選んだ土地は、高速のインターチェンジから5分で、県道に接道していました。道路の反対側は田園地帯が広がり、山並みも見える、のどかな場所でした。県内の色んな場所へアクセスしやすい場所で、富山市の中心部まで車で10分くらいでした。

ある程度の利便性と、開放的な景色が手に入る敷地、かつ、県道に隣接しているので、事務所としても悪くありません。400万程度だった土地を交渉して250万にしてもらい、無事に購入する事が出来ました。

土地の値段なんてあってないようなものなので、人気のない土地は、値段交渉が簡単です。交渉のポイントは、言い値に出来ないのであれば買わないという意思表示をする事です。

買わない覚悟をしないと交渉は難しいのです。

ポイント12 ビジネスで交渉は大切


-どこに事務所を建設するかは極めて重要-

土地の場所は、設計事務所のビジネス的に非常に重要です。

どの地域で独立するかで、設計事務所としての戦略も違ってきます。

基本的に設計事務所は、東京、大阪、名古屋のような都市部の方が、地方よりビジネスしやすいです。

私も独立当初はそれが分からず、都心部は仕事がある分、設計事務所の数も多いはずだから、どこで仕事をしても同じだと思っていました。

一方で、富山市は地方の中では設計事務所として独立しやすいと思われます。何故なら、富山市は持家率が高く、世帯年収も、2人以上の世帯平均で708万、全国平均の525万を大きく上回り、なんと全国一位らしいです。共働きが多いからだと思いますが、地方なのに驚異的な数値と言えます。

富山県でも全国4位らしいです。しかも土地は安い。土地が安すく年収が高いと言う事は、建物に予算をかけられる事になります。建築家として仕事しやすいエリアだと言えると思います。

私自身も、そんな裕福な富山の恩恵を、受けていると思いますが、それですら東京の方が仕事がしやすい印象を受けます。都心部には、仕事が沢山ある印象です。

当社は、日本全国で仕事をしていて、福岡、大阪、名古屋、岐阜、石川、富山、東京、千葉、埼玉、神奈川、仙台で仕事をした事があります。その経験から、地方に比べ、明らかに関東圏が仕事がしやすいような気がします。大阪や名古屋圏ですら、東京と比べると仕事が少ない印象があります。

勿論、これは、売り方や地縁を無視した話しです。ですが、極論、一言で言うと東京で仕事をした方が、設計事務所は上手くいきやすい、と言えると思います。

最近、大阪万博の関係で、大阪の仕事量が増えていると思われますが、長期的にはやはり東京という事になるかと思います。

設計事務所業界は、住宅作家になりたくて、独立する人は多いと思います。個人的にも、住宅設計が多様性があり一番面白いと思います。ですが、住宅設計で年収をあげようとすると、とにかく、高級物件を受注する必要があります。

2500万円の住宅の10%の設計料は、250万円ですが、1億円の住宅の10%の設計料は1000万円になります。

どちらを受注すれば、設計事務所として経営が上手くいくかは明らかです。高級住宅の受注を目指しましょう。

富山県にも、年間、少なくとも30棟くらいは、1億円を超える物件があるらしいです。ですが、当社は1億円を超える物件を富山で受注した事は1度しかなく、富山では高級層にリーチ出来ていないのが現状です。

一方で、関東圏は割と1億円を超える層にリーチ出来ていて、恐らく、今後さらに受注しやすくなる見込みです。

名古屋や大阪でも1億円を超える物件がスタートしていて、数年後には、名古屋や大阪でも、ある程度の棟数の物件を、受注をしていくつもりです。

この様に色んな地域で仕事している肌感覚として、やはり東京がビジネスしやすいと言えると思います。まあ、これは所詮肌感覚の話しですが。

ポイント13 設計事務所は都心部の方が仕事しやすい

一方で、事務所の建設地が、大通りに面している必要はあまりありせん。勿論、大通りに事務所が面している場合、道路を通行している人に、自社の建物をアピール出来ます。ですが、設計事務所の集客は基本的にはネット集客です。

どの地域に建設するかは、ネット集客に影響します。ですが、大通り沿いかはネット集客に関係ないのです。

関東圏には、4000万人の日本の1/3の人が住んでいます。一方で、ネットを使えば日本中の人にリーチできます。そうであれば、人口の多いエリアに住んだ方が、ネット経由で沢山の人にリーチでき、広告効率が良い事になり、ビジネス的に非常に有利なのです。



-SEOワードを決めよう-

SEOワードが、設計事務所のビジネスには極めて重要です。しかし、極めて重要なSEOワードを、設定出来ていない会社がなんと多い事か!

SEOワードを無視しておいて、会社の立地もくそもありません。実際の建物の立地より、インターネット内の立地の方が重要です(^^)。

私は一番最初は、RC住宅+富山、というキーワードを取りに行きました。つまり、富山県でRC住宅を建てるなら、当社が一番であるとアピールしていました。

これが上手くいって、県内のRC住宅の受注を足がかりに、全国へ販路を広げていく事になりました。



-自邸を建てる。プランニング編-

ではプランニングはどうしたかと言うと、土地が決まる前からあれこれ検討して、楽しんでいました。

中でも迷ったのが、中庭を付けるか付けないかです。

中庭空間のある住宅に憧れていたので、中庭の採用を最後まで迷いました。

しかし、購入した土地が裏手に風景が広がる敷地だったので、最終的には素直に風景に向き合うプランにしました。

コスト的な事もありますし、ある程度、無難な形に持っていきました。



-自邸を建てる。見積編-

初めてのRC住宅の設計なので、調べに調べて図面を書きました。RC住宅関連の専門書籍は数える程しか出版されていませんでしたが、片っ端から読みました。

自分の家だから多少失敗しても良いやと思い、実験的な事も挑戦してみました。

一方で、自邸は、今後の会社の方針を示す物件になるので、市場価値のあるRC住宅とはどういうものなのか、考えに考えました。

まあ、考えれば良いというものではないですが、未来のお客様を想像して、建物の仕様を作っていきました。

図面が出来たら、県内の業者に見積を出しました。
色んなゼネコンに声をかけて、色んなゼネコンに断られました。最終的には、何とか2社見積を出してくれる事になりました。

最初の見積が2700万円くらいで予算内でした。45坪で内部家具、建具、キッチンは別途工事にして、自分で造作家具業者を入れて金額を下げました。

2700万でも予算内でしたが、もう一社が2100万円で完全に予算内でした。自分で手配した造作家具、建具、キッチン、アスファルトで500万くらいあったのでトータルで、2700万円税込くらいだったと思います。

今考えると、当時、良くそんな金額で出来たなとおもいます。タイミング的に民主党政権下で公共の工事が少なくなり、市場単価が下がっていたみたいです。

とは言え、想定価格よりかなり安く、これくらいで作れるなら、住宅市場にアピールすればRC住宅を一定数売る事が出来ると思いました。



-広告を出す-

ショールームが出来たので広告を打つ事にしました。富山県内の工務店の実例を集めて発刊している、地元の有名な建築雑誌に、20万円で1ページの広告を打ちました。

どうなるかな?と思いましたが、そこから問い合わせがあり、RC住宅を初受注出来ました。

その方は、富山県内中の業者を周り、それでも納得出来なくて当社に来られました。その当時、それまで関わっていた木造住宅を建設されるお客様と全く違った、色々調べられるのが大好きなお客様でした。

こういう調べるのが大好きな方が、RC住宅を建てられるのかな?と、漠然とそう思いました。

当時の印象としては、デザイン的にRC住宅に興味がある人は、最終的に購入までいかない印象でした。

こんなデザインでもステキだよね!と、思われる程度のお客様は、成約までいたらないお客様でした。

そうではなく、性能的にRC住宅を建てたい人が、初期のお客様でした。

ポイント13 実際に売ると顧客像が見えて来る

それから数年間は、雑誌から年間1〜2棟程度、集客出来るようになりました。一方で、工務店や他の設計事務所からの仕事も相変わらず受けていました。

ですが、少しずつですが、工務店からの仕事が受けづらくなっていきました。

何故かと言うと、自社の方でRC住宅って、最高ですよと言っているやつに、工務店は、木造住宅の依頼をしにくくなっていったのです。

勿論、工務店の協力会社として紹介されるだけなので、絶対に無理という程ではないのですが、私の会社を検索すると、RC住宅を推しているので辻褄が合いません。他の設計士を紹介した方が良いのではないか、となるのは当然です。

住宅市場も荒れてきていました。デザイン系住宅の競争が激化していて、ガチ競合のオンパレードでした。

そうした市場の流れの中で、どのように会社の舵をきれば良いのか悩んでいました。

この、競合の渦の中からでて勝負しないと、とてもやっていけないと思いました。今は良くても、50歳になって、同じ仕事のやり方では通用しなくなると、思い初めていました。

20代後半の方の住宅は35歳くらいが一番売りやすい気がしていました。50歳の時に、他社を圧倒して単独指名を標準的な状態とするには、40代で差別化を推し進めるしかないと思っていました。

ポイント14 自分の年齢に合わせた戦略が必要

その時36歳だった私は、次の手を打つ必要があると決心しました。次の打ち手とは、RC住宅専門店にする事です。専門店化し、会社の特徴を押し出す戦略に切り替えました。



-cm広告打ってみた-

余談ですがTVcmも打ってみました。cm制作会社を探して打ち合わせして、20万くらいで15秒のcmを作りました。

建築が好きな人に、アプローチしたら良いのではないかと思い、渡辺篤史の建もの探訪にcmを出しました。確か、一回流れたら1.5万円くらいだったと思います。月に2回ぐらい流して3万円くらい払っていました。

効果は…

知り合いの人にcm見たよと言われる程度でした。

TVCMを出せている会社として、会社のブランディングには有効なのですが、売上に貢献しているかは微妙でした。


私は建設設計事務所の広告は、スポット広告であるべきだと考えています。しかも、広告自体を自分で作るやり方です。

私のケースで言えば、RC住宅を建てたいと思っている人以外は、お客様ではないので、広告を出すとすれば、Googleのキーワード広告になります。RC住宅とGoogle検索した人に、広告をだす方法です。

さらに言うと、RC住宅に関する内容を自分のHPに詰め込めば、Googleで RC住宅と検索された時に、会社のHPが上位表示される訳ですから、広告なんて打つ必要ありません。

さらにHP対策をすると、HPの内容が充実するので、HPを見に来てくれた人に信頼される事に繋がります。

つまり、広告なんて打つ必要ありません。
自分で作ってしまえば良いのです。

この話しは、今風の言葉で言うと、ランディングページを作る事になります。Googleから高評価を貰えるページを作り、そこを入口にHPを循環させるやり方です。

私もランディングページは、取り組み中で、このnote記事が終わったら作ります。

ビジネス的に見れば、絶対にランディングページの方が、note記事より優先されるべきですが、まあ、自分の気が向くタイミングで取り組むのも重要だと思っています。

ポイント15 自分で広告を作る



-個人事業主時代の年収と働き方-

個人事業主時代(2005〜2015)
27歳 50万 独立 6ヶ月分
28歳 262万 年商(収入ではない)
29歳 333万
30歳 427万
31歳 342万
32歳 479万
33歳 331万 自邸建設
34歳 511万 RC住宅初受注
35歳 718万 
36歳 820万
37歳 394万 工務店との付き合いを辞める

繰り返しになりますが、個人事業主時代は工務店の下請けからスタートし、自邸を建てた事で自社で受注出来るようになりました。

自社で受注できるといっても、年間に1〜2棟だったのでした。設計料を200万円程度と低めに設定していたので、自社受注分で300万円程度で、まだ下請けをしないと成立しない状況でした。

とは言え、全体的にみて、会社員時代と比べると、働いている時間は短く、海外旅行にも毎年行っていましたし、国内旅行も良く行っていました。

ですが、34歳で結婚して直ぐに子供が生まれて、生活が一変しました。

妻と共働きなので、子供を病院に連れていったり、子供がインフルエンザだったら見ていたり、仕事どころじゃない日も多かったです。

親と同居だったら、そこまで大変じゃなかったと思います。親と別居は気楽で良いですが、子育てが大変でした。

それでも私が自営業だったので、比較的時間が自由なので、何とか子育ての忙しい時期を乗り越えられました。

今は、上の男の子が小学校4年生、下の女の子が小学校2年生なので、ずいぶん楽になりました。私が、仕事で出張していても、大した問題では無くなっています。ちょっと寂しいですが、仕事を頑張っています。

収入は基本的には右肩上がりでした。自邸を建てた段階で自社でも受注出来るようになり、収入がその分増えました。

ですが、37歳の時に、方針転換をして工務店との付き合いを辞めたので収入が減りました。37歳は娘も生まれて、これからお金が必要になるタイミングでしたが、妻も産休明けで仕事に復帰する事になっていたので、妻と相談して会社の方針転換しました。

私は、良く妻に会社の事を相談するのですが、妻はやってみれば良いじゃんと良く言ってくれます。正直、その言葉に押されて、やってみている所があり、そうして会社を変革出来ているから、こうして年収が2000万になれたのだと思います。

ポイント14 誰かに会社の相談をする


-専門店化が怖い話-

専門店化すれば、作業効率があがり、専門分野が市場にうけいれられれば、利益を出しやすい事は、大抵の経営者は知っています。

知ってはいるが実行出来ないのが、専門店化です。
方針を間違うと倒産するリスクが怖いのです。

私も専門店化した時は本当に怖かったです。
専門店化して、収益が激減したらどうしよう、それどころか、全く受注できなかったらどうしよう。

不安が襲いかかってきます。

でも、そのまま会社経営していても、徐々に経営は悪化していく気がしていました。

やるしかないな。おそらく専門店化した方が上手くいくはずだ。私は、自分の直感を信じて、専門店化に経営の舵を切りました。

思い返せば、当社の成長は、この専門店化からスタートしたのです。

ポイント 専門店化は怖いけど、効果がある



-裁判前の話し合いをした話し-

ある時、工務店の紹介で設計に入ったのですが、全く設計料が貰えない事態が発生しました。住宅と違い、建物の改修でやや大掛かりな、図面になったので、これが金額貰えないのはあり得ないと思い、請求をかけました。

しかし、半年くらいしても振込がなく、途方にくれました。工務店に相談しても、向こうに相談してくれの一点張りでした。

工事はよくある話しで、他の業者に横取りされただけなので、最初から競合だと分かっていれば、それだけの事ですが、当時としては、ふに落ちない所がある内容でした。

こんな時はどうしたら良いのだろうと裁判所に相談したら、裁判所から請求書を送る方法がある事が分かりました。それでも振り込まれない場合は、民事裁判になるとの事でした。

請求する権利があると思っていたので、裁判所から請求しました。ですが、それでも振り込まれず、民事裁判の前に第三者を交えた、話し合いをする事になりました。

裁判官も同席していて、経営者としてまだまだひよっこな私は、ドキドキしながら意見交換しました。直接話し合いせずに、第三者を入れて間接的に話し合うやり方でした。

結果は、多少値引いて支払ってもらえました。しかし、向こう側の社長がこの裁判所での話し合いに慣れている事に驚きました。

裁判所で第三者を入れて話しあった方が、簡単に解決するとでも思っていたのかもしれません。実際、凄く簡単に解決しました。相手の社長と、経営者としての経験値の差をかなり感じた体験でした。

とにかく、私にとっては強烈な体験でしたが、世の中の仕組みの一端に触れたような気がして、良い経験になりました。

裁判までしている訳ではないのですが、手続きになにかと時間がかかり、コスパの悪い解決方法だと思いました。

仕事をする前に、条件を明確にし、相手の同意を得てから作業するようにしないと、お互いにとって不利益になると学びました。

以降、当社では、プランニング契約→設計契約→請負契約に分けて、条件の説明を明確に提示するようになりました。

下請け仕事でこんなやり方出来ませんが、元請けの場合は、最低限の金額を前払いで頂く事で、支払い状況をはっきりさせています。

物件が中断した場合の支払い内容を、明確化する事は、信頼して頂く事にも繋がります。

当社では、裁判手前まで行った経験から、支払い内容を明確化して、今後、問題が発生しないように、細かく契約しています。

ポイント16 お金の支払内容は明確化する



法人時代に突入

法人時代 (2016〜2023)
38歳 年商661万 年収360万
39歳   735万  360万
40歳 987万 600万
41歳  964万 600万 東京支店開設
42歳 1486万 1080万
43歳 3307万  1440万 初スタッフ
44歳 5000万?1700万? 年収を年商の1/3程度
大阪支店、名古屋支店開設 スタッフ2人目



-社名を変える-

会社の方針転換を行い、背水の陣でコンクリート住宅専門店に変更しました。

社名をstudioそら、からRC design studioに変更しました。studioそらは、私が、つねに変化する空が好きだから付けた名前です。

studioそらという社名は、お客様にも好評で、とても気に入っていた社名です。ですが、RC住宅専門店として、わかりやすい社名にすべきだと判断し、名前を変更しました。

RC design studio、つまりRC建築をデザインする事務所です。そのままです。とてもシンプルで気に入っているのですが、シンプルゆえに問題があります。似た様な会社名があります。RC designさんです。こちらは建設会社なのですが、関東圏で市場が被っている問題もあります。

どうしようかと思ったのですが、分かりやすい名前が被るのは仕方がないし、裁判で負けないように商標をとれば問題ないと思いました。

わかりやすい名前は独自性にかけ、商標が取れない可能性もありましたが、無事取得できて一安心。とにかく、社名は決まりました。

建築業界ではないのですが、社名を裁判で変えさせられた例は、国内でも幾つかあります。個人的には、商標くらい取るべきだと考えています。

ポイント17 社名は商標を取る



-株式会社に変更する-

合わせて、個人から法人に会社を切り替えました。法人の一番のメリットは、会社が信用されやすい事です。

信用される事はビジネスで一番重要な事です。

特に、設計事務所は高額なお客様の夢とも言える、家や建物を扱うので、信用されなければ話しになりやせん。つまり、法人化すると仕事が受注しやすくなるのです。

さらに、法人化には有限責任という制度があります。法人で負債を負っても、個人の財産までは取られないという、めちゃくちゃ気持ちが楽になる制度があります。

会社が倒産しているのに、社長が裕福に暮らしているケースがあると思いますが、法人と個人は別の人なのです。法人の失敗は、連帯保証人になっていない限り、個人に及びません。

仕事が失敗しても、個人の資産が守られるとなれば、安心して仕事に励めると言うものです。

デメリットは、税務処理が手間が掛かるという事です。個人事業主だと、自分で税務処理をしてもそこまで難しくないですが、法人は、結構難しいです。

私は、法人ですが今のところは、マネーフォワードという会計ソフトを使って自分でやっていますが、そろそろ限界が近づいています。

ポイント18 法人の方が信頼される。しかも安心



-キャッチフレーズを作る-

コンクリート住宅専門店として再スタートを切りました。どんな会社か分かりやすくなったので、キャッチフレーズを付ける事にしました。

色々考えた結果

コンクリート住宅をもっと身近に

というキャッチフレーズを作りました。まあ、このフレーズは実はフリーダムさんの真似です。

フリーダムさんのデザイン住宅をもっと身近にという、分かりやすいキャッチフレーズを見て、普通に真似させてもらいました。

当時の当社の企業理念が、コンクリート住宅をもっと普及させる。コンクリート住宅が欲しくても、依頼先が見つからない人の役にたつ。だったので、その理念を明確に伝える為に、一般の人にも分かりやすく伝わるフレーズを作りました。

この当時、少しはコンクリート住宅市場のニーズが解ってきていていました。

コンクリート住宅を建てたくても、どうすれば良いか分からない、予算も木造住宅くらいしかない人が、一定数いる事はわかってきていました。

その人達を見つけて、コンクリート住宅を作ってあげれば、ビジネスが成り立つと考え初めていました。

そのコンクリート住宅が欲しい人達に向けて、キャッチフレーズをまずは作った訳です。

ポイント19 解りやすいキャッチフレーズは重要



-YouTubeを始める-

会社のYouTubeを2015年10月にスタートしています。今から、7年以上前です。個人チャンネルはヒカキンと同じ2007年に投稿を開始しています。

私は、流行っている事をやってみたいと思うタイプで、このnoteもそうですが、収益がどうこうと言うより、やってみたいが先にたちます。

そんな訳で、YouTubeって面白そうと思った私は、2015年に会社のYouTubeチャンネル、RC住宅大学を始めました。


自邸を建てた時に、なんでRC住宅の情報が、殆どないんだと思っていたので、一般の方向けに情報発信を開始しました。

動画投稿を開始して2〜3年くらいたった頃、岐阜在住の方から、住宅を建てて欲しいと連絡がありました。聞けば、いつも当社のYouTubeを見てくれているそうで、RC住宅を建てたいが、何処に頼んで良いか分からないとの事でした。

岐阜エリアは富山県側の高山では建設した事はあったのですが、名古屋側は初めてでした。ですが、YouTubeを見て依頼してくれるなんて、面白そうだからやってみようと思いました。

富山の会社から車で3時間かかりましたが、打ち合わせがある日は、早めに起きる程度でした。往復6時間運転するのは、まあまあ大変でしたが、なんとかなる範囲でした。

これ以降、YouTubeやHPからの仕事の問い合わせは、日に日に増えていきました。最終的に1日に2件くらい問い合わせがあるのも珍しくなく、月に4〜5件問い合わせがある状態になりました。

会社の集客の6割をYouTube、4割をHPがしている位、YouTubeで集客出来るようになっていきました。簡単なヒアリングですが、Googleからの集客を、YouTubeからの集客が抜きました。

同時に、雑誌の反応は悪くなっていきました。雑誌を経由した問い合わせがほとんどなくなり、時代はネット集客の色合いが強くなっていきました。

Instagram集客も設計事務所でやっている所が多いですが、うちの会社はあまりやっていません。過去に一度だけInstagramから問い合わせがありましたが、ちょっと相談してみようといった軽い感じのお客様でした。

サンプル数1なのでなんとも言えませんが、Instagramから来られるであろうお客様は、カッコよさを、求めているので競合しやすいお客様で、成約率も低くなるかと思います。

YouTubeを見て来て頂けるお客様は、私のファンになって来て頂いているので、必然的に成約率は高くなります。

驚かれるかもしれませんが、私が書いた、RC住宅を建てた時のエッセイを綴った本があるのですが、その本にサインして欲しいとよく言われます。つまりファンになってから来社頂けているのです。

勿論、お互いに条件がありますので、ファンになって頂いて来社された方、全てが成約する訳ではありませんが、YouTubeから来られるお客様の成約率は極めて高いです。

ポイント20 YouTubeでファンになってもらう



-YouTubeチャンネル紹介-

私は、3っつのチャンネルを運営しています。

会社のチャンネル
RC住宅大学
チャンネル登録者数4280人



住宅関連の情報提供チャンネル
一級建築士サワダ住宅相談室
チャンネル登録者数13800人


建築家起業チャンネル
チャンネル登録者数3060人




以上の3つです。基本的には会社のチャンネルから集客しているのですが、一級建築士サワダ住宅相談室の方からも稀に集客できています。

当たり前ですが、会社のチャンネルから相談に来られた人の方が、成約率が高いです。

建築家起業チャンネルの方は、建築家として独立したい方へ情報を提供するチャンネルです。私が独立した時は本当に手探りでした。独立した当初の自分に向けて動画を作っています。

何故こんなにYouTubeをしているかと言うと、おそらく、私は人に何かを教えるのが好きだからだと思います。動画を作るのが面白いから、やってみて楽しんでいるだけなのです。

広告収益は、3チャンネル合わせて、一番多い頃で月6万くらいでした。

最近だと月2万円を切っています。ユーチューバー として生活するのは難しそうです(笑)。

最近のYouTube業界で言われている事で、バックエンドに商品を持っていないユーチューバー は、収益的に厳しいというのがあります。割と有名なユーチューバー も撤退していますよね。

ここでいうバックエンドの商品とは、グッズやお店です。宮迫博之さんが牛宮城で話題になりましたが、YouTube単体だと収支的にキツくても、牛宮城で回収できれば成立するのです。

建築設計事務所は、YouTube戦略がはまりやすい業界だと思います。

住宅に関心がある人は多く、その方達に情報を提供しながら、自社の商品をアピールしていけば良いのです。

建物が建っていく様が、そのまま動画コンテンツになります。そしてバックエンドは設計の受注という訳です。

ポイント21 YouTubeで住宅を売る



-宗教から学ぶ販売促進-

これを言うと胡散臭くなるので、言わない方が良いかもしれませんが、参考になると思うので聞いて下さい。

私達人類の祖先が、他のサルと比べて極めて優れていたポイントは、同じ目的に向かって団体として動ける事です。つまり、言葉を使って意思統一する力が私達人類にはあります。

この言葉を使って思想を伝達する事で、力を持っているものの最たるものが宗教です。宗教問題が戦争に繋がる位、思想の力は強いです。

西暦何年と気軽に日時を言っていますが、西暦はキリスト様の生まれた日(なんと、生まれた日が間違っていたらしいですが)で、つまり時間はキリスト教が基準となっています。

宗教が時間を作り出している状況を、作り出したのが、思想の力です。宗教は、人類の死に対する不安を煽り、時間を司るほど世の中に浸透しました。

キリスト教の中心は聖書です。つまり思想とは、言葉の集合体なのです。

よくよく考えてみると、住宅販売は、思想の押し付け合いです。高気密高断熱住宅だったらどうだとか、集成材は接着剤が不安とか、自社の商品の思想をアピールしながら、他社を批判する。これはまさに、住宅宗教戦争なのです。

住宅宗教戦争であるならば、分かりやすく自分の宗教をお客様に伝える必要があります。つまり聖書の代わりに、カタログやYouTubeを作って、自社の思想を伝える事が、住宅宗教の布教の第一歩なのです。

建築業界で、お客様の要望にそって作る会社がありますが、これは、お客様の要望にそって作る教、という事になり、思想としては弱く訴求しにくい考え方だと思います。

個人的には、設計事務所業界でも意思表示は必要だと思っています。こんな住宅が良いと思っていますと声を大にして思想を伝える方が、ビジネス的に上手くいく気がします。

ここで言う思想とは、企業理念やビジョンの事で、なにも変わった事を言っている訳ではありません。

企業理念を市場に提示していない会社は、大企業ではまずありません。

ですが、企業理念を使って考え方を布教できている企業は多くありません。しかし、小さな会社で成長出来ている会社のほとんどの場合、企業理念やビジョンがしっかりしています。

成功しついる会社の、企業理念やビジョンがしっかりしているのは、当たり前です。

会社の意思を明確にし、それを市場に伝えるのは企業経営の始めの一歩です。会社のヒストリーやビジョン、企業理念が明確な会社は、共感を得やすく成長していくのです。

ポイント22 考えて抜いた企業理念を作る



-東京支店開設-

2019年に東京支店を開設しました。この頃、関東圏で初受注した物件があり、それを気に、関東圏に本格的に進出する事を決めました。

と言うのも、東京支店開設前から関東圏からの問い合わせは多く、成約はしない状況でしたが、もう一歩踏み出せば、いくらでも受注出来そうな予感がありました。

実はこの時に、事務所を関東圏に建設してしまう案もありました。関東県内中の土地を探して、坪単価100万くらいのエリアで10坪強、1000万強の予算組みで探していて、実際に数件は現地を見に行っていました。

というのも、事務所を建てた方が関東圏で仕事をするんだという、覚悟を見せられます。逆に言うとそれくらいしないと、仕事を実際には、取れないのではないかと考えていました。

どうしようと迷った私は、2チャンネル創業者のヒロユキにスパチャで聞いてみました。

東京に進出したいのですが、事務所を建設しちゃうのどう思いますか?

と聞くと、ヒロユキさんは、とりあえずサテライトオフィス等、簡単に出店出来るところに、お店を出してみて、上手く行きそうか様子を見たら良いかと思います。と、凄く共感出来る答えを頂きました。

そりゃそうだ。それが最善だと思った私は、とりあえず銀座にサテライトオフィスをだしてみました。

契約したサテライトオフィスは、常駐の女性のスタッフの方が、空いている部屋を案内してくれるシステムです。

体裁の良いカラオケボックスのような支店ですが、それなりに使い勝手もよく、立地も銀座の中心地なので極めて便利で、オシャレな街に事務所が、あるのも悪くありません。

しかも、価格は基本料金の1万円プラス、あとは使用した代金だけなので、月に2〜3万円くらいの出費なので大した事ありません。

しかも、これは嬉しい誤算なのですが、このサテライトオフィスでも、仕事が取れ出したのです。こうなると、土地を購入して事務所を建てる必要も無いですし、そもそも、銀座という立地を重要視した方が、良いのではないかとさえ思います。

いずれタイミングを見て、本格的に東京オフィスを出店したいと考えているのですが、どう言う形式が良いか、現在模索中です。

ポイント23 迷った時は、小さく進んでみる



-色んな経営者の集まりに、参加した方が良いか?-

世の中には色んな団体があり、独立するといろんな団体に加盟した方が良いか悩みます。

団体に加盟するメリットは大きく分けて4つです。

1知り合いになって仕事をもらう事
2人脈を広げる
3情報を貰う
4勉強会

1知り合いになって仕事を貰う。
これは、色んな団体で普通に行われている事で、仲良しになって、お互いに仕事を交換したりしています。

例えば、保険の加入、車の購入、飲食店に行く、リフォーム、HPを制作、税理、弁護、美容、等、誰に頼んでも大差ない事なら、人柄を知っている人の方が頼みやすですし、仕事を頼んであげると、今度は仕事をくれたりします。

建物の新築を、団体の知り合いから受注している例も勿論あります。

2人脈を広げる

人脈を広げるメリットもあります。勿論、人脈を広げる最大メリットは仕事を貰う事です。ですが、その他にも、自分の仕事を上手く回す為に、関係者の人にちょっとした事を聞いたりできます。

個人的には必要な時に必要な人に、お金を払って依頼すれば良いと思いますが、知り合いだと気軽に聞けたり、仮に的外れな相談でも、逆にアドバイスしてくれたりするメリットがあります。

3情報を貰う

情報を貰えます。私が好きな情報は、どうして独立したかとか、どうやって売上を上げているとか、独立当初、どうやって営業したかとかです。

他業種の話しは知らない事が多いです。
そんなやり方、しているんですか?
ってなる刺激的な情報も手に入ります。

自分の事業を考える時に、自分が色んな事を知っている必要があります。色んな情報がヒントになり、自分の成功に繋がるのです。

4勉強会に参加する

起業すると解るのですが、世の中では沢山の勉強会が行われています。場合によっては100万くらいする勉強会も決して珍しくありません。数千円くらいが最も多いです。

どこかの団体に所属すると、その会で主催しているセミナーに参加する機会が多くなります。

私が参加していた団体の話し

私も、定期的な勉強会に参加していました。月に一回、1万円、10人以下の会で、どうやって会社を成長させていくか、色々学び実践していく会でした。

他の人の戦略を聞いたり、他の人にアドバイスしてあげる事も、凄い勉強になりました。

その他に、建築士事務所協会青年部に所属したり、JCという団体に所属したりしました。JCは経営者が多く所属する街づくりを考える異業種交流会です。

同業種と異業種の団体それぞれに所属して思うのは、どちらかと言うと、異業種の方が面白い話しが聞けるという事です。

建築系団体の場合、受注出来る仕事は、確認申請や、基本プランの作成、設計図書の下請等、、下請け業務の仕事が貰えます。

比べて異業種の場合、社長から依頼を頂く事になるので、下請けというより元請けの仕事を貰えるケースが多いです。

私も、JCに所属していた時に仲良くなった方に、RC住宅を建てて頂いているので、所属する事で仕事を受注しています。

RC住宅を建てたい方だったので、所属していなくても受注出来た可能性もありますが、身近な存在の方が受注しやすいのは確かです。

これらの話しから、色んな団体に所属すべきかどうか私なりの結論は、会社の売り物が明確化している場合、ビジネス的には所属しなくても良いです。

勿論、団体に所属して色んな方と話をすると、見聞が広がったり、仕事が貰えたりするので、メリットもあります。

ですが、時間とお金を投資する事になり、色んな所に顔をだす時間があるのであれば、自分の仕事に直接時間を投資する方が、コスパが良い気もします。

つまり答えは不明なのですが、傾向としては知り合いビジネス寄りの方は、色んな所に顔を出して収益を上げる事になります。

独自ビジネスの方は、直接時間を自分の会社に投入した方が効率が良いと思います。

ポイント24 団体には加盟しなくても良い



-知り合いビジネスと、独自ビジネス-

知り合いビジネスと、独自ビジネスという言葉はありませんが、ここでは、顔を広げてたいした技術がなくても、人の良さや顔つなぎで仕事を受注するビジネスを知り合いビジネスとします。

一方、自分で広告で商品を売ったり、HPから集客をかけて、直接お客様から受注するビジネスを、独自ビジネスとします。

知り合いビジネスは、地域密着型なので、色んな団体に所属するメリットは高いです。知り合いを増やして、人柄の良さで人の世話をする事で、巡り巡って仕事になったりします。

知り合いビジネスの場合は、マーケットを絞る必要はありません。むしろ、なんでも出来て、この人にお願いしたらなんとかなるといった感じに、会社を作ります。

業種は違いますが、なんでも屋さんがそれに近いです。とにかく、お客様の身近にいて、お客様が必要な時に直ぐに動ける、フットワークの軽さが重要です。

リフォーム業の場合は、知り合いビジネスの要素が強くなります。

独自ビジネスは、自分で集客をネットを駆使して行うビジネスになります。

知り合いビジネスとは真逆で、ターゲットを絞る必要があります。商圏の中で、お客様にとって一番欲しい商品を扱っている会社になると言う事が、仕事を受注すると言う事になります。

例えば、住宅の場合、商圏が県くらいのケースが多いので、私で言えば、富山県でお客様にとって一番になるのが、独立当初の目標でした。

富山県で一番になる必要があるので、周りと同じものを売っていては一番になれません。普通のものを売って一番になるのは、大手の大量販売戦略です。

小規模な会社の基本戦略は差別化です。マーケットを絞って、あまり欲しい人はいないが一定数需要があるニーズに訴求する事になります。

私の場合は、RC住宅で差別化しました。

ポイント25 ビジネスの仕方で、商品を変える



-好きなものを売る-

基本的に独自ビジネスを行う場合は、自分が好きなものを売る事になります。

知り合いビジネスの場合は、独自ビジネスと比べると、お客様もそこまで購入に思い入れが強くないケースが多いです。知り合いビジネスは、売り物は、無難な物で、顧客のニーズに合わせて対応します。

独立ビジネスの場合は、お客様も強い思いをもってそれを選んでいるケースが多く、そうなってくると、共感してあげられる事が大切になってきます。

私のケースだと、強くRC住宅に住みたいと思っている人がお客様ですから、そうなってくると、私がRC住宅に住んでいた方が、仕事が受注しやすくなります。

さらに、私がRC住宅を好きだと、お客様に共感が、得やすくなり、受注しやすくなるのです。

木造住宅に住みながら、RC住宅は耐震性に優れていて良いですよと言った所で、住んでから言えよ!とお客様に心の中で、突っ込まれる事になるのです。

ポイント26 自分が好きなものは売りやすい



-フリーミアム-

フリーミアムと言う考え方があります。集客に非常に重要な考え方なので、簡単に説明します。

フリーミアムとは、無料から有料に移行させるビジネスモデルです。

例えば、無料で遊べるアプリが、武器を購入したりする時に課金が必要だったりします。

無料のセミナーを開催して、もっと詳しく聞きたい人を有料セミナーに誘導したりします。

フリーミアムは、建築業界でも行われている事で、無料設計相談会がこれにあたります。

YouTubeからファンになってもらい、仕事を受注する場合もフリーミアム戦略と言えます。

HPもある意味、フリーミアムです。情報を無料で提供し、信頼してもらい受注に繋げると考えるとフリーミアムになります。

言いたい事は、まずは無料でお客様に信頼してもらう必要があるという事です。無料のセミナーがつまらないと、有料のセミナー買わないですよね。

先に、情報と人柄、技術を提供して、信頼してもらう事が先なのです。無料部分で信頼してもらえると、お客様の方から有料部分にお問い合わせが頂けるのです。

ポイント 無料部分で信頼を勝ち取れ



-SEO戦略-

SEO戦略とは、ネット時代の基本戦略です。SEOワードを決めて、そのワードで検索されるとHPが上位表示されるようにHPを作ります。

SEOワードを決めるという事は、会社の中心となる売り物を決めるという事なので、考え方としては、独自ビジネス向けになります。

私の会社のSEOワードはRC住宅です。RC住宅は、まあまあの巨大ワードですが、これを取れると、会社がどんどん成長していくと思います。

私の会社は、RC住宅と検索すると概ね、トップページに表示されますし、タイミングによっては一位に表示されます。

まもなく、思っていたポジションまで辿り着きます。思っていたポジションとは、常時一位表示です。

どの言葉をSEOワードにするか決めたら、その言葉を中心に会社を作る必要があります。それがSEO戦略です。

ポイント27 SEO戦略をしかけろ



-企業理念を作る-

本来であれば、SEOワードを作る前に作るのが、企業理念です。

会社経営するには、会社経営の中心となる理念を作り出す必要があります。

なぜあなたの会社が世の中に必要なのか、何を作り出すか。作り出した物は、世の中に必要とされるのかを考えます。

私の会社の企業理念は

高品質な鉄筋コンクリート住宅の普及
安心感ある暮らしの創造
環境に配慮したデザインの追求

の3つです。災害が多いこの日本で、安心して暮らすには、壁式RC住宅が最適だと考え、環境に配慮する為に、高耐久なRC住宅を作っています。

こうした理念をYouTubeを通して、お客様に紹介し、その理念に共感頂ける方と繋がれば、必然的に、成約率は上がります。

ポイント28 企業理念から会社はスタートする。



-ブランドを作る-

ブランドが設計事務所で必要か、正直、現状分からないのですが、私は必要だと思っています。

昔ある所で石鹸が売られていました。ある石鹸屋さんが、自分の所の石鹸は、他のお店より品質が高いから、同じ石鹸として売るのではなく、名前をつけて売りました。そして、品質の高い石鹸はブランドと共に売れたそうです。

ブランドってこう言う事だなと、考えさせられる昔話です。

あるターゲットに対して、他の設計事務所より優れた商品を作り、ブランドとする。そうする事で来て頂いたお客様に育てられ、ブランドはどんどん成長していくのです。

ポイント29 ブランドで差別化する



-法人時代の年商と年収と働き方-

法人時代 (2016〜2023)
38歳 年商661万 年収360万
39歳   735万  360万
40歳 987万 600万
41歳  964万 600万 東京支店開設
42歳 1486万 1080万
43歳 3307万  1440万 初スタッフ
44歳 5000万?1700万? 年収を年商の1/3程度
  大阪支店、名古屋支店開設 スタッフ2人目


個人事業主時代に自邸を建ててから、徐々に会社のカラーを強めていきました。
しかし、会社のカラーが強まれば、工務店の協力業者としてやるのも難しくなり、37歳の時に、下請けを基本的にはやめる事にしました。

社名をRC design studioに変更したので、工務店の下請けなんて出来ないですよね。

前から付き合いのある会社の仕事を、少しはしていましたが、基本的には元請けとなり、相見積もりを取って施工する建設会社を決めていました。

指定業者を入れて、中間マージンをとる方法もあるかと思いますが、設計事務所の仕事は信頼が一番大切です。

誠実にお客様と向き合う事が、売上を上げる為に重要な事だと考えています。

年収は360万円からスタートして徐々に上げていきました。会社員の360万円よりは、生活しやすい状況ですが、それでも年収的には平均的なサラリーマン以下で、これではあまりにも夢がありません。

この業界には、好きな設計をして生活出来ればそれで良いと思われている方が多くおられますが、個人的には、収入を貰えていないという事は、世の中に価値を提供出来ていないと考えています。

価値を提供できれば、対価としてお金が入ってくるのは資本主義の当然の仕組みです。お金は入ってきていないという事は、世の中に必要とされてない事と同義なのです。

価値があるものを提供して、世の中に認められて、お金が欲しいと考えるようになりました。年収を上げていこう。それが、世の中に必要とされる会社を作っている証明だ!

そういうわけで徐々に年商、年収を上げる為に、より世の中に必要とされる会社に、改革中です。

県外の仕事が年々多くなり、私は年間100日以上、出張しています。共働きなので、出張100日間は、子供達が大きくなったから出来る事です。平日は家に居ない日が半数あります。

出張は日本をぐるぐる回る事もあります。去年は良く、富山→東京→福岡→富山、と回っていました。最近だと、富山→東京→大阪→富山と回っています。

出かけるのは好きなので、色んな所で宿泊しながら、色んなものを食べて、色んな所で建築を作るのは、とても楽しいのですが、10年後は体力的に同じ事は出来ないと思うので対策が必要です。

年収的には、1000万を超え、2000万に到達寸前なので、ある程度満足しています。ですが、より会社の効率化を図り、より働かないで、より利益を出して、より世の中に必要とされる状況を作り上げるつもりです。

ポイント30 常に改善する



-初めての社員を雇う-

43歳の時に初めて社員を雇いました。状況としては、年商としては3300万あったので、1人くらい雇っても全然大丈夫でした。

しかし、仕事量はギリギリ1人でやれるくらいでした。つまり、ここから会社を大きくしていくならば、人を雇って、この規模を維持するのであれば、ひとまずは自分だけで仕事をしても大丈夫でした。

知り合いの社長に、いつ人を雇うと決めましたか?と質問したら、人手が足りなくて仕方がなくなったから雇ったと聞いて、それなら、今じゃないかもと思いました。

でも、スタッフが直ぐに仕事が出来るようになる訳ではないし、余裕は必要でした。

結局は、会社を大きくしていく為に、雇う事にしました。又、次第に衰えていく体力の事を考えると、自分の負担を減らす事も必要でした。

最初は月給18万くらいで募集したのですが、全く応募がありません。仕方がないので月給25万に一気に変更したら、問い合わせがあったので、面接して、良さそうな人だったので採用させて頂きました。ちなまみに、18万は標準的な地方設計事務所の募集額です。

2人で仕事すると、色々相談出来て、凄く助かります。1人で考えているより、2人で考える方が思想に広がりが出来て、良いアイデアが生まれやすくなりました。

私は、自分が優秀な人材だと思っていたので、人をいれても業務的には助かっても、会社の方針やビジネスに関わる部分は、自分で考えるしかないと思っていたのですが、それは違いました。
現在は色んな事を相談出来る環境に凄く助かっています。

それから1年たって、もう1人スタッフを入れました。それこそ、私のYouTubeチャンネルを見てくれていた方で、この会社すぐ近じゃん。という事で、他の設計事務所から転職して来てくれました。その方は、将来、設計事務所で独立したいと思うようになったが、組織系事務所だけの知識では独立出来ないと考え、当社に来られています。

色んな人がいて、色んな考え方があって、スタッフから刺激をもらって会社を作るって、凄く面白いし、凄く意義深い事だと感じています。

この会社を後世に残せる会社にしたい。それが今の私の目標です。

とりあえず、働きやすい会社にしたいので、有給を気軽に取って頂いたり、残業を無くしたり、週休2日にしたり、大手だと当たり前だと思いますが、小さいなりに雇用状況の改善に励んでいます。

ポイント31 社員を入れた方が良いアイデアが生まれる。



-BIM始めました-

1人で作業していた時はとにかく余裕が無かったので、会社として新しい事に挑戦する時間が、あまりありませんでした。

ですが今は3人になり、前よりも会社として余裕があります。遊んでいる時間はないのですが、それでも多少の時間を使って、CADをアーキキャドに変更しました。使ってみた感じ、なんとかなりそうです。

パースをツインモーションでレンダリングすると、今までよりスタイリッシュなパースになり、時間は少しかかりますが、会社のプレゼン力としては上がりました。アーキキャド3台で、150万です(^^)。

今まではドラキャドとアーキデザイナーというプレゼンソフトでやっていました。
ドラキャドはJWCADのようなもので、基本的には作図CADです。

業務的には最初はアーキデザイナーでプランとパースをつくり、お客様に確認して、内容を詰めた後に、ドラキャドで見積り用の図面を書いていました。

まあ、それでも問題ないと思っていたのですが、競合他社のパースのレベルも上がり、自社のレベルを上げないと勝ちにくくなって来ました。

競合しないようにしているのですが、実際にはある程度競合してしまうので、自社の実力を上げるのは必須です。

とは言え、お客様の思いがこちらに向いている時だけ競合しています。負け戦はしない方針です。

ポイント32 プレゼン力は重要



-物件単価の向上、利益向上、専門化戦略-

物件単価を上げるのは、売上をあげる基本戦略です。

単純な話し、1000万の物件より、1億円。1億円の物件より10億円。10億円より100億円の物件の方が利益がでやすいのは、周知の事実です。

とは言え、物件単価だけではなく、作業の効率化も実現しなければ、会社に利益を残せません。

どこの会社とは言いませんが、利益がでている会社の多くは、専門化に成功しています。医院建築専門、工場専門、マンション専門、高気密高断熱専門等、何かの分野で専門化しています。

一般的な設計事務所は、規模で大体売上が分かります。地方設計事務所の場合、大体、売上は所員1人につき1000万くらいです。事務員を含め、10人の設計事務所であれば売上1億円くらい必要です。

会社が大きくなると、社員の給料もあがり、もう少し売上が多くないと成立しません。業界最大手の日建設計は、1人当たり2000万くらい売上ています。

設計事務所の利益は、単純にスタッフの給料がいくらか、かつ、事務員も含めスタッフ1人あたりどれだけ売上られるかがポイントです。

この一人当たりの売上が、極端に高いのが、専門化した設計事務所なのです。

これは、実際に業務されている方であれば解ると思いますが、同じような物を設計するのは極端に時間が短くなります。慣れている物件だと、半分以下の作図時間で出来ると思います。

時間が短くなるばかりか、過去に同じようなものを設計していると、お客様の信頼があがります。

信頼が上がって受注しやすくなると言う事は、設計料を上げやすくなるという事です。

設計料を高く取れるのに、実際にかかる時間は短くなる。

これを、さらに好循環させる事が出来るのがブランドです。

当社はこうしたデザインが得意ですとブランドを作る。

それを見たお客様は、信頼してその設計事務所に依頼する。

所員は、似たような物件の経験があるから、短時間で設計図を書ける。

その物件が実績になり、次の似たような物件が受注しやすくなる。

ノウハウが蓄積されて、他社を圧倒する。

さらに仕事を受注しやすくなる。

所員も経験を積んで、更に短い時間で図面を書けるようになる。

このような状態を上手く専門化で作りだすと、利益を出しやすくなり、競合が減り、仕事の依頼が増えるのです。

とは言え、単価が低いと、利益は出にくいし、設計事務所としてハウスメーカーや工務店、ゼネコンの設計と差別化が必要ではあります。

この事を踏まえて、設計の技術力が必要で、高単価な物件にポジショニング出来ている会社が、利益を出せる会社となります。

当社は1億円〜3億円くらいのRC住宅にポジショニングしていて、それぐらいの物件を購入したい人向けの戦略を実戦しています。

TEMPIOというブランドも作り、わかりやすく当社の商品を解説しています。

ブランド戦略は、最近始めた戦略なので、効果は不明ですが、個人的にはブランドは非常に重要だと思っています。

ポイント33 ブランドで作業の高効率化を実現せよ


私の体験談はこれでお終いです。
業者の下請けか始まり、勉強しながら、少しずつ、会社を改善してきました。

この体験談が、少しでもあなたのお役にたてば幸いです。


自分の設計事務所を考えてみよう目指せ年収2000万

いままでの文章から、自分の設計事務所だったらどうなるか考えてみましょう。

まずは、収益性の高い設計事務所にする為に、一つの分野や工法に特化します。年収2000万になるには、効率的なビジネスを作り上げる必要があります。

あなたが得意としているデザインや、あなたが好きなデザインは何ですか?

例:前の会社で医院建築が多かったから、医院建築が得意

その分野が決まったら、ターゲットの人物像を考えてみよう。ターゲットに挿さるビジネスを作るには、ターゲット像が明確である必要があります。

例:医院だから、医者。開業医。年収2500万。40歳。ファミリー。小学生の子供が2人。車が好き。

ターゲットに選ばれる企業とは何か。

例:銀行の融資に強く、収益化しやすい価格を抑えながら、地域のランドマークとなるデザインを作れる。

企業理念を作る。

例:地域に最適な医療をとどけるサポートを建築で行う。

キャッチフレーズを作る

例:

医院建築専門店
地域に必要とされる医療建築なら〇〇設計

SEOワードを決める

例: 医院建築 +地域名

SEOワードを散りばめたHPを作る。 

例:医院建築を作る上で必要な情報をHPやYouTubeで発信する。

他の医院建築をしている設計事務所と差別化を図る。

例: 木をふんだんに使った、家のような安らげる医院を提案する。

木に関する、イメージアップできる活動を行う。
植林活動に参加する。

社名を決める

例  木の香り医院設計。

勿論、自分がやりたい事とズレると、商品が売れないと思います。自分がやりたい事を考えて、それを掘り下げて事業の方向性を決めましょう。

出来上がったら客単価を決めましょう。自分の年収を2000万にする場合、売上を6000万くらいにする必要があります。

いきなり大きな医院建築は受注が難しいので、小さな医院建築に絞ります。1億円くらいの規模に絞るのも良いかもしれません。

1億円くらいの医院のカッコ良い実例をCGで作りHPに公開しましょう。3個くらいは実例が必要です。

実例が出来たら、地域の医院あてに直接メールを送りましょう。リストを業者から買うのもありです。

同時に、ゼネコンや工務店宛に、医院建築の設計を下請けで行う内容の書類を作り郵送しましょう。

最短で年収2000万になるには、余計な事をしている時間はありません。とにかくネット集客をかけたり、他の設計事務所で医院の設計をしている所の外注をしましょう。

同じエリアだと競合してしまうので、違うエリアに送るのもありだと思います。

考えて方を変えて、医院建築の下請けを全国で行うのもありだと思います。逆に、下請けに特化して、棟数で勝負する方法も可能です。

下請けの実績が貯まれば、たまには元請けで受注出来るでしょう。元請けで受注しはじめれば、しめた物です。全国の色んなエリアで医院建築を建てましょう。

医院長あてにメルマガを始めましょう。営業メールではなく、医院長に役にたつ情報を送りましょう。

YouTubeに誘導して、医院設計のあれこれを解説しましょう。

同時に、キャッチフレーズや企業理念を見直し、会社を最適化しましょう。

社員を雇って、設計をシステム化しましょう。

社員用に設計技術を教える動画を作り、社員教育をシステム化しましょう。

ブランドをつくり、ブランドを周知させましょう。

ここまで来たら年商1億くらいにはなっていると思うので、自分に3000万くらい払いましょう。

実際には、想定通りに行かないので、その都度、方針転換が必要です。広い視野で建築市場を見渡し、新しい事に挑戦しながら、会社を改革しましょう。


おわりに

最近、noteで2つほど記事を購入しました。
なんとなくだか、notoって色んな記事がある面白いサイトだなと思い初めています。

でも記事の内容自体は、大した事ないなと思いました。書籍に比べると、良くも悪くも、気軽な内容です。

あれ?これくらいだったら、全然オレ書けるな!

ちょっと書いてみようかな?

と言う事で、この記事を書きました。

自分の経験を書いているだけなので、1週間くらいで書けました。電車の中で移動中書いたり、寝る時間を削って書きました。

書くのは結構たのしくて、一気にかけました。
あとは、最低限の文章をチェックして、だしてしまおう!そんな感じです。

自分の言葉で、自分の建築家人生を振り返る事で、私も得るものが多かったです。

考えがクリアになりました。

私自身の経験から言える事は、とりあえずやってみる事は非常に重要で、とりあえずやってみた行動によって私はここまで来れました。

こうした、建築以外の事に、色々チャレンジする人種は建築家に多くありません。YouTubeで顔出しで動画を撮影するようなタイプは、建築家には少ない事に最近気づきました。

営業職なんかには出来る人が多いと思いますが、技術職の建築家には、カメラに向かって、笑顔で撮影出来るおちゃらけた人種は少ないと思います。

これも差別化です。
技術だけではなく、性格も差別化の要素になるのです。

とくに家作りは、お客様と二人三脚で進む必要があり、信頼され、上手くやっていく為にも、性格の相性は非常に重要です。

なのに、多くの建築家がYouTubeをやっていません。性格的に顔出しは無理な人が大半だと思いますが、もし出来る人がいればやってみても良いかと思います。

基本的には、建築業界の発展の為にこの文章を書きました。本当は経営的に教えたくない事も多いのですが、誰かの役にたちたい欲求があります。

この文章は当初、有料で販売したのですが、誰も購入してくれないので、無料に変更しました。これも、経験です。売れると思っていた物が売れない事実が勉強になります。

この本を書いてみて、子供の頃からずっと母親に世話になったのを思いだしました。収益化したら、母親と父親に旅行くらいプレゼントします(^^)

この度は、文章を読んで頂きありがとうございます。

株式会社RC design studio
代表取締役 澤田友典

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