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「語学と言語学は別のもの」説再考

先日書いた「語学と言語学は別のものってどういう意味?」という記事では「語学と言語学は別のもの」であると言語学が強調する理由について考えました。

しかし、語学と言語学が別のものであることは「言語学に語学は必要ない」とか「言語学に語学は役に立たない」ということではありません。

むしろ言語学者は語学を勉強した方がいいと私は思っています。

語学が好きなのに、語学と言語学を切り離して考えてしまうのはもったいないです。

そういう話を今回はしたいと思います。

「語学と言語学は別のもの」説とは?

先日「語学と言語学は別のものってどういう意味?」という記事を書きました。

この記事では、

  • 「言語学は語学のようなもの」という説が世間一般で信じられていること

  • そのように信じられるにはそれなりの理由があること

  • このため言語学者は「語学と言語学は別のものである」ことを殊更に強調する傾向があること

ということを紹介したうえで、語学と言語学が別のものであることについて二つのポイントを考えました。

まず、語学は言語の運用能力の向上を目指しますが、言語学は運用能力はともかく言語の仕組みを明らかにするのが目的です。

さらに、語学ができるからといって言語学ができるようになるわけではないのも事実です。言語学者の能力をその人が話す言語の数で評価することはできません。

それが前回までのお話でした。

「語学と言語学は別のもの」説を考え直したい

このように語学と言語学は目指すところも、必要とされる能力も異なります。

その意味で、語学と言語学は別のものというのは正しいと思います。

しかし、個人的には、語学と言語学は別のものであることは正しくても、語学と言語学をあまりに切り離して考えたり、言語学における語学の重要性を軽視したりするのはよくないのではないかなと思っています

こういうことをあえて言う背景にはいくつかの事情があります。

まず、「語学と言語学は別である」というのが語学を勉強しないことの免罪符になってしまっているのではないかという思いです。

これは昔の私です。私は大学院生のはじめのころまで、「語学と言語学は別だから」と語学の勉強を怠っていました。今ではとても反省しています。

さらに、ときどき母語以外の言語を学んでいる学生の中には「自分がやっていることは、ただの語学であり、言語学ではないのではないか?」と、語学の勉強に引け目を感じる人もいます。

「自分が好きなのは言語学なのではなく語学なのではないか」「そんな自分に言語学はやっていけるのか」と悩む学生はコース選択やゼミ選択のときに何度も見てきました。

そこで、今回は「語学と言語学は別のもの」説を考え直してみましょう。

とりわけ、語学が言語学の勉強に役立つことを考えてみたいと思います。「語学と言語学は別のもの」説をあまりに強調するのもよくないよという話です。

語学は言語学の勉強に役立つ

本題に入る前に、今回の記事が個人の感想の域を出ない点に注意してください。

いらすとや (https://www.irasutoya.com/2017/07/blog-post_751.html)

まず、今回の話は、私のように自分の母語以外の言語の言語学をやっている人に向けた話です。

私は、母語以外の言語 (特に、タガログ語・ラマホロット語) を記述・分析する言語学をやってきました。このため、言語学の勉強はほぼ語学の勉強であったようなところがあります。

次に、私はもともと東京外国語大学という全ての学問が語学と切っても切り離せないところで教えていた経験があります。

このため研究・教育のスタンスとして、語学を言語研究から切り離すのはそもそもナンセンスだよねという認識を持っています。

そういうわけで、これから書くことは、あくまで個人の感想です。

さらに、ここでは語学を広く捉えています

私のようにタガログ語やラマホロット語など自分の専門とする言語について運用能力を向上させるという場合はもちろん、その成果を発表するための英語の運用能力、あるいは趣味として語学を学ぶ場合も含めています。

それは断ったうえで、今回は、語学は言語学の勉強に役に立つという話をしていきます。

具体的には以下の話をします。

  • 語学はそもそも研究に役立つ

  • 言語をたくさん知っている方が有利な言語学の分野もある

  • 言語学の研究に語学が前提となる場合もある

  • 言語学の勉強には語学としかいえないような部分もある

語学はそもそも研究に役立つ

語学が言語学にどう役に立つかを考えるまえに、そもそも語学は研究全般に役立つという当たり前の事実を確認しておきましょう。

言語学に限らず、何かを研究しようとするとき、特に人文系の学問の場合は、語学が研究に役立つことはほぼ自明です。

たとえば、

  • 語学 (特に英語) ができるようになれば、国際学会で発表したり国際ジャーナルに論文を執筆することもできる

  • 国際学会でネットワークを作ることもできる

  • いろんな言語の文献やデータを参照することができる

  • 語学はメタ認知能力を向上させるらしい (諸説あり)

などの利点があります。

語学ができれば、国際的な場で活躍できたり、いろんなアイデアやデータにアクセスしたりするすることができます。参考にできるアイデアやデータがたくさんあった方が研究で有利になるというのは自明のことだと思います。

言語学に限らず、語学は実利に直結します

言語をたくさん知っている方が有利な言語学の分野もある

先日書いた「語学と言語学は別のものってどういう意味?」では、語学ができたからといって必ずしも言語学ができるようになるわけではないということを言いました。

しかし、実は、言語学には多くの言語を知れば知るほど有利な分野というのも存在します。

たとえば、比較言語学があります。この分野では、ある言語群が共通の祖先に遡ることを証明したり、その祖先の姿を再建することを目指します。特に、インド・ヨーロッパ語族やオーストロネシア語族の再建が有名です。

比較言語学ではたくさんの言語の音韻論や形態論のデータを扱うので、たくさんの言語をよく知っていた方が有利です。

言語類型論もそうです。この分野は、世界の言語の共通点と相違点を分析し、そこから人間の言語についての一般化を目指します。

やはりたくさんの言語を比較するので、たくさんの言語に詳しくなればなるほど研究に活かすことができます。いろんな言語ができれば、他の研究者が使えないリソースが使えます。

このふたつの分野は言語学者のなかでも多くの言語の運用能力を持っている人が多い分野ですね。

もちろんこれらの分野でも運用能力を持つ言語の数で研究の質が判断されるわけではありませんし、全ての言語で高度なレベルの運用能力が必要というわけではありません。しかし、これらの分野では語学力がものを言うのは事実です。(この分野を専攻しているから多くの言語の運用能力を持つのか、多くの言語の運用能力を持つからこの分野を専攻しているのかはわかりません。両方の側面があるでしょう。)

さらに、多くの言語を知れば知るほど有利になる場合というのは、多くの言語を比較・対照するような言語学の分野だけではありません。

ある1つの言語を研究する場合でも他の言語の知識があると有利になります。

たとえば、三上章 (1903–1972) という言語学者・日本語学者がいます。三上章は日本語に主語はないという主張などで1960年代以降の日本語研究に極めて大きな影響を与えました。『象は鼻が長い』というタイトルの本が有名です。

この三上の主語否定論について、日本語学者の益岡隆志先生はこのように評しています。

三上も日本語の文法を英語などの外国語の文法と対照することの重要性を十分認識していた。彼の主語否定論は、このような対照研究の観点の存在を見逃すと、その論点が十分には理解できないと思う。三上が日本語だけを見ていたら、主語否定論が提起されることはなかったことだろう

益岡隆志 (2003) 『三上文法から寺村文法へ: 日本語記述文法の世界』くろしお出版.
(p. 13; 太字は引用者による)

日本語研究史に燦然と輝く三上の主張の背景にも、日本語以外の言語の知識が重要な役割を果たしたということです。

必ずしもたくさんの言語を比較・対照するわけではなくても、他の言語を学んでおくことが研究によい影響を与えることになる好例です。

そもそも言語を分析するのが言語学なので、いろんな言語を学んで損になることなどあるわけないのです。

言語学の研究に語学が前提となる場合もある

さらに、言語学の研究に語学が前提となる場合があります。

特に、この点はフィールド言語学で顕著です。

フィールド言語学は、記録やデータがあまり残っていない言語の一次的なデータをフィールドワーク (現地調査) によって収集し、分析する言語学です。記述言語学とほぼ同義と考えてもよいです。

この分野では語学は言語学の研究の前提であり、語学力は研究の質をある程度決めてしまいます

たとえば私はラマホロット語レオトビ方言を研究しています。インドネシア共和国で話されるラマホロット語という言語のなかの方言の一つです。話者人口6,000人ぐらいです。

この言語を研究するためにまず私が行ったことは何だと思いますか?

実はインドネシア語の語学の勉強です。

ラマホロット語を話す人たちは、特にレオトビ方言を話している人たちは、基本的にラマホロット語とインドネシア語しか話しません。したがって、もしラマホロット語について調査したければ、インドネシア語を知らないといけないのです

たとえば、ラマホロット語で「食べる」をどういうか知りたいときは、インドネシア語で、

Apa Bahasa Lamaholotnya "makan"?
「ラマホロット語で『食べる』というのはどういうの?」

(インドネシア語)

というふうに聞きます。エリシテーションと呼ばれる方法です。

そういうわけで、調査を始めるまえに、同じインドネシアのバリ島のウダヤナ大学というところで2ヶ月程度インドネシア語を勉強したのです。

もちろん今では私もラマホロット語のことがよくわかっていて、ラマホロットの村では基本的にラマホロット語しか話しませんが、それもインドネシア語あっての話なのです。

このように言語学でも分野によっては語学が研究の前提になることもあります。

言語学の勉強には語学としかいえないような部分もある

最後に、私のように母語以外の言語を研究する人にとっては、自分が研究する言語の語学的な勉強と、その言語に関する言語学的な勉強は切っても切り離せません

たとえば、私はフィリピンのタガログ語を研究しています。

研究のなかでタガログ語の実例をたくさん観察するという作業をよくします。

そういう作業をしていると、実例のなかには知らない単語もしょっちゅう出てきます。そうなると、当然辞書を引いて意味を調べたり、忘れないように何度も反芻するわけですが、その部分だけをとりだしてみれば、そのまま語学です。

このようなときは言語学の研究をしているのでしょうか? あるいは、語学でしょうか? 正直、よくわからないです。

いずれにせよ、母語以外の言語の研究では語学と言語学は切り離せません

そういう意味では、東京外国語大学など語学をしっかり教える大学で言語学を学ぶと、言語学で圧倒的なアドバンテージを持てます。卒論レベルでも世界と伍していくことのできるレベルに到達することもあります。

たとえば、私の学生の鈴木唯さんは東京外国語大学言語文化学部トルコ語専攻卒業ですが、2018年度に提出した学部の卒業論文がほぼそのまま Turkic Languages というトルコ語学で最も有名な海外ジャーナルに載りました。これも大学で培ったトルコ語力があればこそです。すごいですね。

このように、母語以外の研究に話を限ると、正直なところ、語学の能力と言語学の能力はある程度相関するのではないかと思っています。

そもそも、その言語のことを知れば知るほどその言語の分析ができるようになるというのは、当たり前といえば当たり前です。(昔の私のように) 「語学と言語学は別である」などと考えている暇があったら語学を勉強しましょう

語学も言語学も勉強しよう

このように、「語学と言語学は別のものである」説は語学をやっても言語学の役に立たないということではありません。

むしろ語学の勉強は言語学の勉強に役立つと私は考えています。

そもそも多様である人間の言語を研究するはずの言語学が、語学を軽視してもよい印象を与えているとしたら (そうでないことを願いますが)、それは残念なことです。

語学と言語学は別物だと殊更に強調するよりも、どちらも言語にかかわっているのですから、楽しく勉強したらいいのではないでしょうか。

「語学と言語学は別のものだ」と言われて語学の勉強に罪悪感を感じている人がいたら、そんなことはないです。

胸を張って語学を勉強してください

言語学者はどう語学を勉強しているのか?

では、最後に、言語学者は語学をどう勉強しているのでしょう?

おそらく人それぞれいろいろな方法を使っているのではないかと思います。

それでも、私の身の回りでは、最近だと Duolingo が流行っていますね

Twitter で読んだ限りだと、海外の言語学者も Duolingo で語学を勉強しているようです。

私の学生もこれで語学を勉強している人が多いです。

たとえば、先ほど話に出てきたトルコ語が専門の鈴木唯さんは現在590日連続で Duolingo に取り組んでいて (590-day streak)、ヒンディー語やスペイン語、ノルウェー語、ロシア語、中国語を勉強しているそうです。現在は最上位の Diamond League に所属して語学の勉強をしているそうです。すごいですね。

シンハラ語が専門で学部4年生のときに日本言語学会・大会発表賞を受賞した吉田樹生くんも Diamond League に所属し、最近はヒンディー語と中国語を少なくとも1日1〜2レッスンずつやっているそうで、たまに最近リリースされたハイチクレオールとかズールー語などもやって多角的に語学を学んでいるそうです。大活躍の裏には、そういう努力があるのですね。

ちなみに、指導教員の私は最下層の Bronze League でスペイン語を勉強しています。Streak は 3 days です。話になりません😅

このように言語学者の語学学習を考えると、気になってくるのは「言語学は語学の役に立つの?」という問いです。

どうなんでしょう。気になりますね。

それについては今度調べてみることにしましょう。

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