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何を選ぼうとも自由だと歌うリアムと私たち 「whatever」

本当なら苗場にいたはずの先週末、フジロックの配信ライブを部屋で寝転びながら見続けていた。
過去のライブ映像を見ながら、この時の私は20代だったなぁとか、レッチリのギタリストがジョン・フルシアンテの時代だなぁとか、OASISの解散直前だったなぁとか思いながら。OASISのライブ映像を見ていてふと、2年前の2018年の秋、リアム・ギャラガーの単独ライブに行った時、20代の頃に知り合った旧友の男子2人と偶然再会して一緒に並んでライブを見たおセンチな出来事を思い出したのでそのことを。

2018年は確か、夏に兄貴のノエル・ギャラガーがサマソニで来ていて、9月に弟のリアムがライブをするという、もう一緒に日本来いよな、と言いたくなるスケジュールだった。
私はノエルを堪能していたのでリアムのライブは諦めて、リアムのライブの1週前に同じ場所のZEPP OSAKAで久しぶりに来日するkillersのライブをとることにした。
killersもスペインのカミーノの旅で知り合ったニコラスと一緒によく聴いた思い出もあり、単独のライブを見たことがなかったので楽しみにしていたが、なんと直前に大阪公演が中止になった。
大阪の地震で関空が被害を受けていて、なにやらセットが運べないという理由だったと思う。何やら臭う理由だが結局、東京の武道館だけの公演となった。
killersのチケットを買っていたので返金してもらい、そのお金をそのまま翌週のリアムのチケットに注ぎ込むことにした。
OASISをやめてからのリアムがやっていたバンド、ビーディーアイを私はあまり好きではなく、兄貴ばかりひいきしていたので、ビーディーアイではなくソロになった弟も見てやろうと思いZEPPへ向かった。
とは言え、私は兄貴が作っているOASISの曲が好きではあるが、弟リアムの声こそがOASISの象徴だと思っている。二つが合わさって無敵だし、兄貴がライブで歌うWhateverに物足りなさを感じていて、やっぱりリアムの声じゃないとなぁといつも思っていた。
兄貴の方の口の悪さは納得しかねることも多いが、弟リアムに対して、「お前の声は天が授けた宝物なのになんで大事にしないんだ!」と怒っていた時の兄貴の怒りは好きだった。
そういう意味ではリアムの声を聴けるのが楽しみだった。
雨の中、いつものように傘を持たずにパーカーのフードを被ってZEPPに着くと、外に懐かしい男性2人組がいた。

20代前半で仕事関係で知り合って仲良くなり、音楽と旅が好きでよく一緒に語り合っていた2人だった。その2人も別々にチケットを取っていて、1人は毎回リアムのライブに来ている熱烈リアムファンで(会えるとは思ってなかったが、彼は絶対来ているだろうと思っていた)、1人はkillersを返金してリアムに乗り換えたという、私と同じ経緯でリアムに流れてきたUK音楽好きだった。

UK好き君は、小柄でもじもじ系だけどアイスランドに急に留学する大胆さもあるおとなしい子で、公務員に中途採用されたのに3年くらいで辞めたり、紆余曲折しながらもやりたいことをいつも探していた。
2014年のサマソニで偶然会ってQUEENを私と2人で並んで一緒に見たり(彼は泣いていた)、NGOの活動をしていてイベントに呼ばれて行ったり、数年に一度は交流があった。彼の静かな性格からは予想もつかない大胆な決断力はいつも刺激をもらっていた。

リアム好き君は、背がリアムくらい高くてリアムと対極的に薄い顔をしていて、私がインドを長らく放浪していた時にネパールを旅していたり、旅の話を昔よく2人でしていて気が合ってとても仲が良かったと思う。私たちが30代前半の頃、私が彼氏と別れていた時に、リアム好き君と2人きりで夜にラーメンか何かを食べたのが最後だったような、よく覚えていないけど、その夜以降、何となく気まずくなって会わなくなったのは確かだ。

2人ともfacebookでネパール行ったり山登ったり結婚したりしているのを報告していたので、お互いに元気なのを知ってはいたけど3人で会うのは本当に久しぶりだった。

「久しぶりやん!」と言い合い、開場まで1時間ほど外で話しながら待って、それぞれ別々に1人で参加するはずの3人だったが意気投合して一緒にZEPPに入り横一列に並んで乾杯して、リアムを一緒に見ることになった。
知り合った頃は20代で安月給で働いていた3人だったが、それぞれ3人とも43歳で管理職になっていて、3人ともがリアムを見るために各々の職場を本日早退していた。
始まる前に手すりを持てる後部の1列目を陣取り、トイレに行く時に「この場所、とっといてな」と言って戻ってきても全然人が入っていない。3人がトイレに行ったりドリンクを取りに行ったりしても、場所を誰かに割り込まれることはなかった。多分1000人くらいしか入ってない気がする。今日はリアムの誕生日でもあるのに、こんなにガラガラなの?とハラハラしていた。
「外タレは今はフェス以外集客は難しいからなぁ」とリアム好き君が言う。ええ?あの、世界中を熱狂させたオエイシスのボーカルやのに?!と驚いてしまう。
ライブは人があまり入らないまま、なかなか始まらず、だいぶ遅れて始まった。2人は「リアムはこれが通常運転」と言った。
ライブの内容についてはここでは詳しく書かないけど、リアムの喉は衰えていて高音も出ていなくて現実を突きつけられてるような気もしたが後半、声の調子が上がってやっぱりこの曲はリアムの声じゃないと!と感動もした。
そんな中、1時間を過ぎたあたりで「次Last song な」みたいなことをリアムが言うから、リアム好き君と私は目を見合わせた。G-SHOCKを光らせて時間を確認したところ、リアム好き君は私に「まだ60分過ぎたところやで」と小声で言った。私は「いやいや、チケット代、ファッキン11000円やで」とガメツイことを呟いた。UK好き君は「まさかね。きっとアンコールめちゃくちゃ長いんちゃう?」と謎のフォローしていた。
結局80分でライブは終了した。
リアムは体調不良だったらしい。

リアム好き君いわく、「これもリアムは通常運転、ちょっと今日のは酷いけど、ライブをやってくれただけ良かった」と言った。空いていたのですぐに会場を出て電車にたやすく乗れた。「リアム、老けたよね」とめいめいに言う3人も43歳の元ロックボーイと元ロックガールになっていたことには誰も触れないで話す。
「80分で11000円なら、そりゃみんなフェス行くよなー」とまたもガメツく私は言い、このかつてのロックスターですらZEPPを埋められないんだから、killersの中止もきっと関空のせいじゃなく、チケットがさばけなかったんだろうな、と邪推した。(後日、killersの東京公演の動画を見たがこれまで見たことのないくらいガラガラの武道館だった。とても悲しかった。)
ライブを待つ時間や終演後、久しぶりに3人で音楽や旅のことなどいろんな話をした。

UK好き君は、結婚したばかりで仲良く妻と暮らしていると言う。サマソニに何度も参戦していたことが分かった。私も毎年行っているが、音楽の趣味が同じ彼とはQUEEN以降出会わなかった。バッタリ出くわさす時と出くわさない時とがある。そう何度も何度も偶然が起こったらそりゃ運命の無駄遣いかも知れないしそれで良かったと私は思う。
「今日は出くわしたねぇ!まさか会えるなんて嬉しい。またどこかのライブで偶然出くわしたいね」と彼は静かに笑っていた。彼の妻氏が家で陽気にアメリカンなロックの曲をギターで弾くタイプらしく、UK好きもの静か君とどういう生活をしているのかとても不思議だった。彼の不思議ちゃん具合は変わっていないなあと安心してしまう。

「ロック好きな人間は、みんな歳をとるとどこへ行ってしまうんだろう。」
これはリアム好き君の口癖で、20代から30代前半頃によく言っていた。
「結婚して子供ができるとみんないつのまにかライブを卒業するよな。僕らはずっと音楽好きでいたいよな」
「バックパッカーでアジアで沈没したり放浪したりは、結婚して子供ができると出来なくなるのかな。僕はずっと旅をして生きる人でいたい。」
とよく熱く語っていた彼も、結婚して小さい子供がいる。
彼もやはり海外を1人で旅することはなくなったと言う。
だけど時々家族と別で、時にはソロで時には友達と国内の山を登ったりキャンプをしているらしい。

リアム好き君は「20代の頃に、音楽好きは歳をとるとどこへ行ってしまうんだろうと言っていた大人に結局なってしまったなぁ」と言う。数年に一度のリアムやノエルのライブくらいしか行かなくなった、と少し寂しそうに話していた。
私だけは、音楽から離れずにいて、旅であちこち行っていたが、別の面ではどこへも行っていない、あの頃と変わっていない日々とも言えるかも知れない。
リアム好き君はそんな私を「羨ましい」と言ったが、どうだろう。
リアム好き君の進みたい道が変わっただけで、きっと今の彼の道もいい道だ。
また彼は、「フェスやライブは若者が増えて、年配者は追いやられるけど、フェスのヘッドライナーはEDM系を除いて、相変わらず中年のロックスターばかりであまり世代交代が見られないよな」と不思議がっていた。
「確かに一理あるけど、最近のフェスに来てる人は年齢層高いよ(自分ももちろん含む)、チケット代と交通費かかるしある程度収入ないときついかもね。子連れで来るのも流行ってる感じするし」なんて私が答える。
「子供がもう少し大きくなったら子供と一緒にまたフェスやライブに戻っておいでよ」と伝え、リアム好き君は「そうやなぁ」と答えていた。


OASISの曲の中で「whatever」は、私とリアム好き君が昔から特に大好きな曲で、「久しぶりに今日は、これをノエルの声じゃなくリアムで聴きたいよね」と始まる前に話していた。
前奏が流れた瞬間、イェー!!と言って2人で飛んで喜んだ。40代なりの膝を痛めない軽めのジャンプだったが、気分は20代だった。
妄想癖のある私は、今横にいる彼と私と、あのラーメンを食べた夜に付き合っていたらどうなっていただろうと勝手に想像した。しばらくはうまくいっただろうけど、私が結婚も子供も興味がないということがネックとなり、結局うまくいかなくなり別れていただろうな、とかそんなことを。
リアムが「whatever」を歌っている間、リアム好き君の横顔を盗み見たらとても素敵な顔をしていた。
相変わらず綺麗な顔をしている。
私たちが20代で、ギャラガー兄弟がまだケンカしながらもOASISをやっていた時に聞いたどの「whatever」よりもなぜか胸に染みた。
今の彼はいい夫でいい父親に違いない。
私は変わらず自分の生き方をまだ変えずに貫いている。
私もリアム好き君も、それにUK好き君も、
3人とも選んだ道は間違ってない。
何を選ぼうとも私たちは自由だ。
ノエルが書いた詩を、リアムが歌ってくれていた。

「また、どこかのライブで会おうね!」と言って、私たちは別れた。まだその約束は叶っていない。

I'm free to be whatever I,
whatever I choose
And I'll sing the blues if I want

Whatever you do
Whatever you say
Yeah, I know it's alright


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