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真夜中に聴くイタリアの曲【あの恋④】


それはニコラスと一緒に夜中に聴いた曲で、
お別れする前日の夜だったし、日付が変わって私の誕生日になったばかりの夜だった。
スペインのロスアルコスのアルベルゲで、同じ部屋のベッドで、雨が降っていて寒くて毛布をかぶって、一つのiPodを一緒に聴いていた時に初めて聴いた曲。

一緒に過ごしたのはたった1週間ちょっとだったけど、
フランスからスペインの西の果てまで歩くカミーノ巡礼旅で、毎日一緒に同じ道を歩いて、森の中でバゲットで手作りサンドイッチを作ってくれたり、並んで笛を吹いたり、高性能の日本の日焼け止めを塗ってあげたり、それぞれの国の話をしたり、道端のポピーの花を摘んでプレゼントしてくれたり、道端のローズマリーやファンネルを摘んで料理に使って晩ごはんを作ってくれたり、シャワーを浴びたり、日光浴しながらワインを飲んだり、疲れた足をマッサージしたり、まあ色々としたり、並んで歯を磨いて眠ったりした。毎日。

あちこち旅をしていると、よく別れ際に現地で知り合った男の子との別れを惜しんで泣いちゃってる日本人の女子を横目で何人か見てきたことはあるけど、私は自分のペースで旅して1人を愛していたので、そういったロマンスな場面は自分には無関係なシーンであった。

短い期間に人と一気に距離を縮めることがこれまでなかったので、ニコラスとの時間は毎日戸惑っていたが、彼が「人生は1度しかない」とか、「今を生きる carpe diem」なんてそそのかすもんだから、私も思い切って飛び込んだ。
まあ色々あって、私はカミーノ800kmのうち180km歩いて続きは翌年に持ち越しで一旦終了し、彼は800km歩き通すため旅を続けるため(結局ニコラスはポルトガルまで歩いて行ったので1600km以上は歩いて旅した)、お別れすることとなった。
やはりそこは旅が終わればそれぞれの生活に戻る感じで、今となれば5年前のことなので、「いい思い出」ってやつにまとめられており、過去のこととして心の底に追いやられていた。

そして今、再び、寂しい夜に、イタリアのロンバルディア州に住むニコラスとそれぞれのコロナの状況を報告し合い、ロックダウン中の辛さなどを聞いてあげたり励ましあったりしている。

「あの曲、覚えてる?」
「mezzanotte(メッツァノッテ)?もちろん」
昨日そんなやりとりをしてまたあの曲を思い出した。

ニコラスの持っていたiPodは、バイト先のおじさんから、「カミーノを歩きに旅に出るならこれを持って行け」と餞別でiPodごと渡されたらしく、中に入っている曲がなかなかのオールディーズばかりで、若者であるニコラスにとっては退屈なセットリストらしかった。
私は知らないイタリアの60年代の曲を聴くのが新鮮だったし、まあニコラスと聴くと、なんだって名曲ラブソング頭の中お花畑状態だったから、もうフワフワしながら夜に一緒に聴いた。
名も知らぬイタリアの古い曲の中でも、前奏から「ああ、この曲いい!声もいい!」と思った曲が1曲あり、歌詞の意味も分からないしなんだか分からないけど胸がギュッとなるんですけど先生これは恋ですか?と叫びたくなるような気持ち。それは、ハートのど真ん中にズキュンときた唯一の曲だった。
ニコラスに何ていう曲?と聞くと
「Adriano Celentano のMezzanotte。今にぴったりの、英語でMidnightっていう意味だよ」と教えてくれた。
アドリアーノ・チェレンターノ!?
聞いたことないけど絶対忘れないと誓った。
歌詞の内容をニコラスに聞いたら、
「んー。今の僕の気持ちかな」とはぐらかされた。
ニコラスが「mezzanotte」と呼ぶ曲の本当のタイトルは「Una carezza in pugno」というらしく、イタリア人らしさ満載のセクシーな意味合いのタイトルだったよう。ここで訳すことは控える。
ニコラスと別れて、日本に戻ってから歌詞を調べようと思い、寂しさを埋めるようにアドリアーノ・チェレンターノを調べた。イタリアのエルビス・プレスリーと呼ばれているらしい。イタリア語の歌詞をどう訳すかよく分からなくて、英語に訳したのを見てみた。

始まりは
『At midnight,you should know,
that I will think about you
wherever you are, you are mine』

超どストレートなラブソングであった。

「星を見てると離れている気がしないよ」
なんて続いて、歌の後半では
「深夜3時に君はもう違う男のことを考えてる
でも夜中の30分でいいから僕のことを考えておくれ」
という内容だった。
僕の気持ち、とニコラスが言ったその曲は、帰国してからすぐは、私のテーマソングだったし、エンドレスリピートで、いつの間にか私の気持ちを代弁する曲になっていて、ポルトガル辺りでもう違う女のことを考えているだろう遠い人を想って聴いていた。

翌年、また1人でスペインのカミーノの続きの残り620kmを歩くためにスペインに戻ったら、初日の夜に適当に入ったバルであのしばらく聴いていなかった「mezzanotte」が突然流れた。
なんでスペインの田舎町で雨の中ずぶ濡れで飛び込んだバルで、イタリアの50年前の曲が突然かかるのか。
不思議な話だけど何も不思議に感じない。
前奏が流れて耳を疑ったけど、まあカミーノってこういう奇跡めいたことが起こる場所だから、これは必然で、ありがとう、と思えた。今は横にいない人もこの道を歩いたんだ、同じ道を歩くんだと思うと、次の日からまた歩き出す力となった。

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5年も経てば、歌詞の通り、違う男の人のことを考える夜もあれば、何も考えず泥のように眠る夜もある。まあ後者がほとんど。
自分の足で800km歩いて旅した私たちは、世界中どこへだって行けたはずなのに、今、どこにも行けなくなってしまった。みんなを引っ張るリーダーシップを発揮し輝いていたニコラスも、今はコロナウィルスにかかって入院している親戚に心を痛めながら、何もできずに家にいてもどかしい思いをしている。
しんどい思いをしているお互いを夜中の30分だけ思い合い、ニコラスと私はメッセージを送り合う。
そして眠る前に別々のiPhoneであの曲を聴く。
日本が3時でイタリアが20時。
「mezzanotte」がまた特別な曲になった。



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