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真のダンサー

私は今、あれ以来ずっとステップを踏んでいるしクルクルと回っている。もちろん、心の中だけの話で、実際は回ってないけど、ラテン音楽をエンドレスリピートしているし、気持ちは「サルサ!」である。

今日は私の自慢をする。
私の友達のことである。
あれ以来というのは土曜のサルサパーティーのことで、私の友達がサルサを習い始めてから初の発表会だったため、大阪から横浜へと遠路はるばる私はやってきたのである。ワクチンを2回打って副反応に耐えた甲斐がある。

彼女のダンスを見に行くのは、これが初めてではない。
27年前の高校生の頃にバレエの発表会を見に行ったのが初めてだった。
私はバレエ自体を生で見るのが初めてだったし、つけまつげと、全然そこは目じゃないよという場所の皮膚にまでアイラインを引いている友達の顔を初めて見て、メイクの威力を目の当たりにし、衝撃を受けた。
細くて華奢で姿勢の良い彼女が美しく踊る姿に私も背筋が伸びたし、帰り道はつま先立ちしてバレリーナのマネをしたりもした。まあそれは帰り道しか実践できず、すぐに私は猫背に戻ったが、綺麗に踊る彼女の姿勢が美しくて憧れた。
その年の体育祭では2クラスで発表することになったダンスの振り付けを彼女が担当したのだが、凄いなぁ、やはりバレエを踊れる人は何でも踊れて、踊りも作れるのか、と素人ながらに感心した。
ちなみにこのダンスが私にとっての初めての自分が人前で踊るダンスだったのだが、その踊りは酷いもので、ボックスを踏むのすら足がもつれそうだった。みんなは楽しかったから良しとしているが、私自身は楽しかったしいい思い出ではあるが、ちょっと情けないな、うまく踊れなかったなとしょんぼりし胸がチクっとする思い出でもあった。
ともあれ、それまでは「おもろい友達」という位置の彼女だったが、彼女は「踊れるおもろい友達」になった。

それから大学生になり、彼女はダンスのサークルに入り、頭もドレッドヘアにしたりダンサーぽい装いになっていった。大学の学園祭で彼女が踊るというので、私は彼女の大学まで見に行くことにした。ダンスに詳しくはないからよく分からないが、多分ヒップホップ系のダンスを踊っていて、私はちょっと涙ぐんでそのダンスを見た。
何だか楽しそうで、羨ましかったし、憧れが増した。
踊っている彼女はとっても輝いていて、青春ってこういうことなんだろうなと実感した。同じ高校から別々の大学に進み、彼女には私の知らない分野の友達がものすごく増えていて、私の目から見て、格好いい世界の人になっていた。
「踊れるおもろい友達」から「ダンサーのおもろい友達」へとまた彼女の肩書きが変化した。
この日の学祭ではMISIAの無料ライブもあり、記憶の中でそれはMISIAなのか彼女なのか分からないくらい(髪型とか雰囲気が少し似ていた)に混ざってしまって、それ以来MISIAを聞くたび彼女を思い出すのだが、MISIAと同じくらいのオーラが彼女から私に確かに放たれた日だった。

ダンサーの友達は共に歳を重ねて30代にもなると、彼女は東京、私は大阪でバリバリ仕事をする生活となり、彼女は激しいと思われるダンスを日常的にしている訳ではなさそうだったが、時々クラブで踊るとかそんな感じなのかなぁときらびやかな東京の大人の女の生活を何となく勝手に想像していた。ヨガなどはやっており、健康志向のスリムな大人の女性になっていった。

3年前の、私たちが41歳の年に、ひょんなことからキューバへ一緒に行くことになり(一緒と言ってもキューバで待ち合わせたが)、そこでまた彼女のダンサーとしての一面を久しぶりに目にすることになった。


キューバでは、道端のそこら中から音楽が流れてきて、自然発生的にダンスが始まる。トートバッグを持ちながら私と一緒に街ブラをしていた彼女は、音のなる方へ歩いて近寄る途中からいつの間にか軽やかにダンスへと変幻し、ラテンのリズムに身を委ねて踊るのである。
ハバナのレストランでは、男のダンサーに誘われて手を取られて、即興でサルサを踊った。
見てよ、サルサの国の人たち!これが日本代表のダンサーよ!と心が湧いていた。
格好良くて誇らしかった。
背筋の伸び方がバレエの発表会の時と何も変わっていなかった。

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ブエナビスタソシアルクラブのメンバーのショーを見に行ったらそこでも踊り、伝統あるキャバレーのトロピカーナでも、最後にステージに上がって、同じ席で見て仲良くなったチリ人たちと並んで揺れたり回ったりと踊っていた。

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(言っておくが、彼女はこのステージに上がって踊った。)


バラデロで泊まっていたホテルの中でサルサ教室があり、2人で参加した時も彼女のダンスは凄かった。
私はキューバの前に一人でメキシコで初めてのサルサレッスンを受けてからキューバでもレッスンにのぞんだにもかかわらず、全くうまく踊れなかった。右と左が分からなくなる。先生もお手上げである。
それよりも彼女がインストラクターと踊っているのを見ている方が楽しかった。
格好いいなぁ。
やっぱりダンサーだから、サルサを踊るのが初めてでもパッションさえあればすぐに形になるし、見て学ぶとか音に合わせて体を動かすとかが彼女にとってはとても自然なことなんだろうなあと感心してしまった。
彼女にはコミュニケーションツールとしてごく当たり前にダンスがあり、誰とでも繋がれて踊れて笑顔になれる。
友達の多い彼女のとっつきやすい笑顔のキャラクターにダンスが加わると最強になる。
キューバで彼女の肩書きが「ダンサーのおもろい友達」から「世界でも通用するダンサーのおもろい友達」となった。

私は運動、スポーツがからっきしダメで、体が自分の思っている通りに動かないし操れない。アメトークの運動神経ない芸人とダンス踊れない芸人の両方に出れるし、視聴率を相当取れる自信があるくらい滑稽になる。そもそも運動が好きじゃない。インドアで自分だけの世界で楽しむ方が私は好きだ。旅好きやキャンプ好きなせいで体を動かすのも好きだと思われがちだが、人と合わせるのが苦手で、引きこもりのインドアなことをたまたま外で(時には海外で)一人でやっているだけである。だから誰かと一緒に体を動かしてイキイキしている人たちには、今世ではなれないと思う。
あまり表明していないが、運動神経のなさ、踊る時のリズム感のなさは私の最大のコンプレックスである。
自分でわざわざ言うが頑張り屋さんの私は、頑張れば大抵のことはそこそこのレベルまではやれちゃうのだが(自分で言うな)、運動とダンスには全く頑張りが通用しない。情けなくなる。ダンスはパッションだとキューバで彼女は言っていたが、私のパッションはいささか不恰好でうまく表現ができないし、パッションなど私は持ち合わせていないのかなとすら思う。
だけど、コンプレックスがここまで大きくなり過ぎると悔しくもならないし惨めにもならない。
だから私にとって踊れる人は、まるで住む世界の違うスーパースターで、ただただ憧れているし眩しい。
だからか友達のダンスを見ると、いつも感動してちょっと涙が出そうになる。

キューバから帰ってきてしばらく間が開いてからサルサを習い始めた彼女は、コロナ禍でサルサの練習に明け暮れていた。土曜の発表会では、会場での感染対策は万全にとられていたし、「踊ってる場合か」と言われそうな時に「踊ってる場合だ」と潔く言えるような清々しさがこの会場全体にあった。
発表会の司会の人がこう言っていた。

非日常からの新しい日常
絶望から生まれるものはだいたい美しい
だからこそ 今やるべきことがある
ダンスなんか、踊ってる場合だ

言葉通りに、この日のサルサは美しかった。
踊る人と私は、違う世界線で生きているかも知れないが、私は医療従事者の端くれとしての荷物を少しおろして、芸術を味わせてもらえた。
ダンスは芸術であり、芸術は明日への活力となる。
どんな危機でも芸術まで奪われたら本当の終わり。
奪われない限り、世界は美しいなあと心の底から思った。
私にとっての彼女のダンスの歴史は高校時代のバレエから始まった。
彼女にバレエを習わせてくれていた彼女の両親に感謝したい。きっと子供の頃の彼女のバレエの発表会を何度も見ていた彼女の両親は、誇らしかっただろうなと勝手に想像して勝手に泣けてくる。高校の時はバレエの舞台メイクの厚化粧の友達の顔を見てのけぞって笑う幼稚だった私も、40代を越えると、素晴らしい芸術に触れた時に涙腺という琴線に触れやすくなるから注意だ。
たくさんの人に愛されて生きてきた彼女の今踊るサルサは、これまで見た彼女のダンスの中でももっとも強く美しかった。好きなことを全身を使ってやっている彼女が眩しい。
生き様が出るのかなあと素人目かつ、相当友達びいきの強い私はそう思う。
サルサを見ながら、初心者チームの中で彼女だけがどう考えてもダンスのレベルがダントツで桁違いにうまいなあと、私ともう1人一緒に見ていた高校の同級生の友達とずっと褒めていたのは友達びいきが過ぎるかも知れない。だけど、私の目には彼女が飛び抜けて眩しかったのは確かである。
体の線が細くてしなやかでスリムな体型だった彼女が、筋トレの成果が出ていて筋肉がついてカーヴィーだったのも驚いた。
私はコロナ禍でむちゃくちゃ皮下脂肪を身につけたというのに、友達はセクシーを手に入れていた。なんて恐ろしい。
40代でも今からでもこんなに変われるのかと希望を感じた。40代で新しい世界に飛び込んで打ち込んで輝いている。
これもまた青春かも知れないなあと20年ぶりに思う。
背筋が伸びているのは高校の時のままで、バレエの時よりもつけまつげがよく似合う大人の女の顔をしていたし、セクシーな微笑みを会得していた。
恐るべき進化。
彼女は別のステージに登ってしまった。
認めざるを得ない。
これからの彼女の肩書きは「世界でも通用するダンサーのおもろい友達」から「真のダンサー(おもろい友達)」になった。
最終形のようだが、まだまだこれからの進化が楽しみなダンサーである。
私には真のダンサーの友達がいる。
それが私の自慢。
これからも何歳になってもずっと彼女のダンスが見たい。
そして青春を感じたいし、ちょびっと涙ぐみたい。
好きなことを追求し、新しい世界に飛び込む勇気がまだ自分にもあることを確認して、そして帰り道だけは、心の中だけでも、私も軽やかにステップを踏みたい。



追記)
このnoteは、私の友達で、真のダンサー、ポン子に捧げるために、帰りの羽田から大阪へ向かう飛行機の中で書いた。
文章こそが、私の中のパッションを表現する手段だと思った旅の帰路だった。


ポン子さんのアンサーnoteも貼っておこう。






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