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石巻を旅した時のこと③

6年前に石巻に行って、復興支援の活動を見させてもらった日々の続き。番外編です。


石巻での夜ごはんは、「一人旅に慣れているので、気を遣わないでください」とYさんに伝えていて、滞在中の大半は一人で夜ごはんを食べに行った。前半は牛タンばかりを毎日食べていたが、いい雰囲気の場所を見つけてからは気に入って毎晩通った場所がある。
石巻の若者が作っていた仮設の屋台村のような「橋通りcommon」という場所で、コンテナやトレーラーハウスでそれぞれお店として食事をとれる場所になっていた。
アジアのナイトマーケットが大好きな私は、橋通りcommonに似たような雰囲気を感じて、ついつい毎晩足を運んでいた。人は少なかったが、きっと賑わう日が来るんじゃないかという気がした。
1週間通っていると、お気に入りの場所ができて、革張りのソファーとタープの下で小雨の降る中おでんを食べたり、石巻でとれた秋刀魚の塩焼きを食べたりした。

また、この近くには東北ライブハウス大作戦で2012年に作られた聖地、ライブハウス「Blue Resistance」があった。

東北ライブハウス大作戦
ライブPAチーム「SPC peek performance」が中心となり被災した地域の復興に向け、自分達にできる事は何か、協力できることは何かを模索した結果、東北三陸沖沿岸地域にライブハウスを建設する「東北ライブハウス大作戦」というプロジェクトを立ち上げた。
宮古、大船渡、石巻にライブハウスを建て、バンドやミュージシャンが被災地に訪れることで互いに元気を与え、元気をもらい、また震災の爪痕が残る被災地を体感することにより、復興への気持ちを広げて、少しでも繋げていくことが目的。


若者の町にしようとしているようなポジティブな力や雰囲気がこの辺りにはあった。いつもの旅でしている街歩きを石巻でもつい癖でしていたら、この一角を見つけてなんだかとても嬉しい気持ちになった。

(調べたら、2015年にできて以来、賑わっていたが、2020年の11月に閉場となっていてとても残念。だけど、またどこか別の場所が生まれるのだろうなとも思う。そうなったら行きたいな。)

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街歩きをする中で、石巻の飲食店のメニューの看板でやたらと見かけたのが、「ホヤ」という謎の言葉。
「ほや?ホヤ?HOYA?」なんぞや。
聞いたことのない名前だったので敬遠していたが、あまりにあちこちのお店のメニューで見かけるので、Yさんら何人かに聞いてみた。
ある被災者の人には「ホヤを知らんかー?!」と呆れられた。
Yさんは、「いろんな質問をされてきましたが、『ホヤって何』と聞いてこられたことはないですね」と言われた。
そうなん?ホヤってそんなにメジャーなん?
Yさんたちは、ホヤについて教えてくれたが、あのホヤを知らんのかという割に、石巻の人もよく分かってないのではないかというくらいホヤの説明がよく分からない。
イボイボがあって見た目はタコの足みたい、石巻の海で今の時期によくとれる、酒の肴にピッタリ、苦みがあったりする、貝みたいだけど貝じゃない…。で、それは一体何なの?と聞いてもはっきりとした答えがもらえなかった。
とにかく、どうやら、石巻の海でたくさんとれる海産物のことらしい。
大阪では見たことも聞いたこともないけど、石巻の人は全員知っているというその「ホヤ」をスーパーに見に行くことにした。
異国を旅すれば必ず寄るスーパーだが、石巻のスーパーも異国のスーパーのようにワクワク感があった。
おっと。

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なんだこのタコみたいなよく分からないものは。
ホヤがかなり堂々と大きい顔をして売り場に並んでいた。なるほどこいつがホヤか。まるでホヤ祭りやな。
ホヤと顔見知りになっておいてから、夜の橋通りcommonでホヤを注文することにした。刺身が食べられない私は、酢の物などは少し抵抗があるので「ホヤの串揚げ」というかなり安全そうなメニューを注文。
うん。海産物だなという感じ。
間違いなく海のものだという味と少しの苦みがあった。
お刺身などが好きな人は酢の物とか蒸しホヤとかホヤのポン酢和えとかが酒の肴に良さそうな気はした。
翌日は、ホヤを食べたことをYさんらに報告して大盛り上がり。
ホヤのお勧めの食べ方や、本当に大阪にないのかなどをインターネットで調べたりした。(関西にはやっぱりほとんどホヤは流通していないらしい。)
また、石巻にある石ノ森章太郎の石ノ森萬画館の話から手塚治虫やトキワ荘の話になったり、楽しい時間を過ごした。

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まったく私は何しに来たのやら。
専門的なことはろくに学ばずに、何もせずに、ただ石巻の人と楽しく交流し石巻を旅しているようなそんな日々だった。
我ながら呆れてしまう。1週間、ひたすら現場を見せてくれたり、視察に連れて行ってくれたYさんに申し訳ない気持ちで話すと、
Yさんは、「震災と関係の無い話で、楽しい時間を過ごすこともここの人たちにとって大切な時間ですよ」と言ってくれた。
それからYさんは、
「僕が大事にしているのは、『専門性より関係性』です。」とも話してくれた。Yさんのこの言葉に出会えただけで、とても実りある1週間になったと言っていいくらい心に残った。それ以来、『専門性より関係性』は私の仕事での重要なキーワードになっている。

石巻滞在の最終日の前日に、Yさんに日和山公園に連れてきてもらった。
ここも震災後の報道でよく見た場所。
高台の上にあり、石巻の町と海を見渡すことができる場所。ここまで階段で上がって津波の被害から難を逃れた人も多かったとテレビで見て知っていた。
日和山から町を見下ろすと、大きな海が見えた。
町だった場所が見えた。
何もない土地、重機が動いている場所。
真新しい復興住宅。
工事現場。
そして何かグレーの物体が密集している広い敷地。それは墓地だった。
あの日にここに逃げてきた人が見た景色と、私が今ここで見ている景色。時間の流れを感じる。
Yさんに、私の祖母の持っていた石巻の住所のメモに書かれた町はどの辺りか尋ねてみた。
「あの辺が全部そうです。」
そう言って指でさして教えてくれた先は、海の手前の場所で、そこには何もなかった。
つまりはそういうことだろう。
帰ったら祖母に見せようと思い、写真を撮った。

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そして、最後にYさんたちにお礼を伝え、石ノ森章太郎のイラストが描かれた石巻駅からまた電車で仙台に戻り、祖母へのお土産に仙台駅で石巻の人たちがすすめてくれた笹かまぼこと萩の月を買った。


石巻は、見知らぬ遠い被災地ではなく、そこは祖母の親戚がかつて住んでいて、酒の肴にホヤが有名で、優しくて楽しい人たちが今住んでいる場所、私が旅した場所となった。

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あと、私が今まで焼肉屋で食べてきた牛タンは、牛タンではなく、薄っぺらくてレモン汁をつけないといけないただのゴムで、本物の牛タンは分厚くてプリッとしていて柔らかくて美味しいということ、仙台牛は美味しいということを教えてくれた場所でもある。





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