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記憶の仕方とサミュエル・L・ジャクソン

あくまで記憶の仕方の例えの話だが、
「サミュエル・L・ジャクソン」を説明する時に、私は、はっきりと全体像からこれまでの作品の特徴的なシーンを頭に浮かべた上で「kangolの帽子の人」と言い、私と同じようなタイプの地元の友達(しめちゃん)は「ああ、パルプフィクションでおいしそうにハンバーガー食べる人な」と答えるだろう。そういうチョイスをするだろう彼女のセンスを信頼している。

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しめちゃんとはよく居酒屋で7〜9時間くらい飲んで食って喋っているが、
もしも「サミュエル・L・ジャクソン」というワードを出せば、
2人で話す流れとしては、
パルプフィクションのエリック・ストルツの話になって、エリックのTシャツのセンスの話になって、大学時代の元カレの話になるかもしれないし、
ミスターガラスの話になって、マカヴォイの話になって、私の好きなタイプの顔の話になるかもしれないし、
アメリカにおける映画とドラマの話になって、最新のウォーキングデッドのエピソードの話になって、そうなるとこれはお決まりだけどアポカリプスになった時にどこに行くか、何の武器が最強か、という話になるかもしれないし、
スターウォーズの話になって、オビワン・ケノービの話になって、born slippyの話になって、フジロックに一緒に行った同級生が昔住んでた団地が取り壊されたという話になるかもしれない。
話がどの方向にどう転んでもノンストップで延々と続き、転がっていく2人なのだ。
そんなわけで、二人で話すと時間が足りなくなるし、「え、ちょっと待って、それって何?」となるとこの流れは止まってしまうから、そうならずにしめちゃんととめどなく話題が尽きないのはラッキーだと思っている。まあもちろん止まってしまう時もあって、お菓子に詳しいしめちゃんが「ふんわり名人」以外の越後製菓について語り始めると、「ちょっと待って、それって何?」となることもある。そしてマニアックな説明をされて、この人の知識の広さに感服し、私もまた新たなジャンルに少しだけ詳しくなったりしていく。
9時間ずっとこんな話をしているわけではなく、いろんな話をするのだが、共通の趣味や体験、人生観、共通の記憶で出来上がった共通言語が多いせいで説明不要で話が転がる。

昨日会った別の友(ポン子)はこれがまた全然別のタイプで、あまり私たちの中で共通言語が育成されてこなかった。
同じ高校に通っていた時から30年近く一緒に過ごしているが、私が一浪したことを知らないし、最終学歴を知らないし、これまで私が働いてきた仕事のことだって覚えていない。ちなみにずっと定期的に会って一緒に遊んできている。もちろん浪人時代も大学院時代もだ。ちなみに中退。
私自身は、彼女を全然責めていないし、覚えているはずがないとこっちも分かって付き合ってきているが、もう一人の友達が驚いて言葉をなくしていた。この反応がおそらく一番「普通」だ。普通の反応に改めて笑った。
彼女いわく「目の前にいて一緒に笑っている私のイメージと大学院進学が結びつかない」から覚えていないという理由だった。私はだいぶ前から、彼女はHIP HOPという惑星の宇宙人に連れていかれて、長い間そこで過ごし、宇宙人に記憶を消されてまた戻された、というストーリーで彼女を理解するようにしている。それだとすべてつじつまが合う。
そういうスタンスだから、2人で話していて「え?それって何?」と話が止まっても全然大丈夫なのだ。

彼女は、サミュエルの名前を出せば、「あー、あんまり浮かばへんけど、背の高い人?」と言うような人だと思う。これはたとえであり、「サミュエルくらい知ってるよ」という次元の話ではないのでご了承ください。
何が言いたいかというと、
サミュエルを記憶する時、たくさんの特徴がある。
・ハリウッドの映画俳優・黒人・もちろん背が高い・目が大きい・ついフルネーム言いたくなる名前・名脇役・帽子が似合う・ウィル・スミスと混ざる・最近は役で車椅子に乗っているイメージ・キングスマンで変な役をした etc…
サミュエルを記憶しておく要素は色々とあるのに、なぜか「背が高い」だけを抜粋してくるような人。
それが昨日会って今日も会うくらい仲良しの、実は宇宙人に連れ去られたことのあるポン子さんなのだ。
その友のことを「記憶力が絶望的にない(宇宙人によって奪われたと私の中だけで解釈)」と言って、これまで本人を傷つけてきた。笑。
「記憶力」、そう漠然とひとまとめにしたが、記憶には、「記銘→保持→想起」のプロセスがあり、私の診断では彼女は「記銘」がバグっていると思っていた。だから、私が彼女に何度も話したことのある話をするたびに「初めて聞いた!」という反応を何度もしてくれるのだろう。(スタンの話ももちろん話していたが、初めての気持ちでnoteを読んでドキドキしてくださったようだ。)

しかし、もしかすると、その手前の記憶すべき事柄や情報の「選別」が少し人とは違ったりするのかもしれないなと思う。

私もだが、誰しも自分の見たいものしか見ないし、見たいように解釈する。
よくあるのだが、私のことを「明るい人」と見たい人はそう見ているし、「根暗」と思いたい人はそう思っている。
そしてその自分の見方に矛盾することは、どこかで見ないふりをするもので、私を「明るい人」と思っている人は、私のインドアな趣味を聞かなかったことにして流すし、
私を「根暗」と思っている人は、私が旅先でいろんな人と仲良くやっていることを信じようとせず聞き流す。
そしてそれを忘却し、なかったことにしていき、そうやって自分の都合のいいように人を判断している。ちなみにどちらも正解だと思う。私は明るくて根暗です。

私も、自分が嫌いな人が楽しそうに大勢の人と話していると、「みんな心の中で嫌だなと思っているに違いない」って思って納得させていることがよくある。心理学的に言うと、防衛機制の「合理化」「酸っぱいぶどう」だ。
昨日会った友達は、周囲が理解できないような独特の判断基準で「合理化」をして情報を選別し記銘していないのだろうな、と思ったり。

今日のnoteは、彼女の記憶の仕組みがいまだに謎すぎて、合理的にそう判断することにしている私の戯言です。
彼女の記憶の仕組みについての研究は今後も生涯かけて取り組んでいきます。

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