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コンクの夜、私は美しい詩人になった。【世界多分一周旅 ルピュイの道2023③】

4年ぶりにコンクに戻ってきた日の夜のことを。

2022年12月~2013年11月に世界をぐるりと旅した「世界多分一周旅」の途中の、歩き旅「ルピュイの道」の記録。

2019年の春に、フランスの「ルピュイの道」を歩く旅をして、コンクという町でその年は終了。
2020年の春に、コンクから続きを歩く予定だったが、コロナ禍で行けず、4年の年月が流れ、2023年にようやくコンクに戻って来られたので、その旅の続きを。

前置きです。


↓この日の続き。


コンクの修道院に泊まる部屋に入ってシャワーを浴び、散歩をしたあとは、いよいよ4年ぶりの巡礼者のディナーである。
自分のnoteを頼りに、4年前のコンクの夜の思い出を辿った。

4年前と同じ場所に集まり、一緒にディナータイム。朝知り合ったキャンパーのハビエルとパパと、美人のメラニーと一緒のテーブルで乾杯。フランスのカミーノ歩き旅の何がいいって、泊まった宿のみんなで食べるフランス料理が美味しいこと!日本にあるレストランで食べるような気取ったものではなく、高い食材は使わずシンプルに野菜メインだったりするんだけど、凝った味だったり、逆にシンプルな味だったりして、つまりは何もかも美味しいのである。
食べるのに夢中で、ほとんど全貌のわからない原形をとどめていない写真はこちら。
伝わらない気もするが、逆に伝わるような気もする写真を。

ロールキャベツみたいなやつ。焦げているわけではなく、焼き目がついて香ばしくて美味しい。
キヌアだかクスクスだか分からないサラダ。ちゃんと美味しいし、こういうものはめったに自分が選んで食べることはないので貴重。
ワインもセット。La cuvee des pelerins(巡礼者のヴィンテージ)という名前のワイン。
ワイングラスではなく、気楽に普通のお冷グラスで飲むのが逆に良い。
ミルフィーユみたいなカスタード味のスイーツ。
当然美味しいし、手作りでこういうアイシングを施すのって、素人のなせる業じゃないと思う。
4年前も歌った巡礼者の歌「ウルトレイヤ(もっと前へという意味)」を歌う。
神父様もにこやかであった。

巡礼者と歌を歌い終えると、神父さんが近寄ってきて話しかけてくださるが、フランス語で分からなかったため、パパとハビエルが通訳として間に入ってくれた。その英語がまたイマイチ理解できなかったのだが、恐らく、この後20時半から教会で行われる巡礼者のためのミサで、唯一の日本人だから、お祈りをさせてほしいというような内容だった。
そんなありがたいことはないと思って二つ返事でOKした。ミサが楽しみになった。さてさてどうなる。

巡礼者のシンボルマークの貝殻があちこちに。
サンジャックの店の前のヤコブ。ちゃんと貝殻をもっている。
教会の前のカフェテリア。この時間ですでに20時を超えているが、まだ明るい。

ミサに参加するために教会に入った。静かで神聖な雰囲気をビシバシ感じる。
ちなみに、コンクのサント・フォア教会は、ロマネスク様式の代表である。私自身、クリスチャンではないし、歴史にも疎かったので、カミーノ(キリスト教の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラへと延びる巡礼路を歩く旅)を歩くまでは教会や建築様式などまったく無知であった。しかし、大きくて有名な教会から、名もないような小さな教会まで、毎日たくさん立ち寄る日々の中で興味が湧き、少し知識をかじり、違いを楽しめるようになっている。なので、少しかじっただけの人間の、建築に詳しい人が「いやもっと複雑」「そうじゃない」と突っ込まれるおそれはあるものの、ものすごくざっくりと単純にした説明をここで付け足しておくので、素人でちょっと知ってみたい人だけが参考にして「ふーん」って思う程度にとどめていただければ幸い。

ロマネスク様式とは…
1000年頃に西ヨーロッパで流行った建築の様式のこと。日本の平安時代頃、中世のヨーロッパってこの頃くらいのイメージ。
ロマネスク様式の前は柱に板を乗せるだけとか木造の教会が多くて、燃えやすかった。そのため、火災を防ぐために天井まで石で作ってあるのがロマネスク。ロマネスクとはローマ風という意味なので、ローマっぽく真似して作った感じ。天井まで石にするには、2本の柱の上に半円状に石を組んでアーチのようにして作る必要があり、重い石を支えるために柱を太く、壁を厚く作っている。天井の重さを考えて、そんなに高さは出せない構造ではある。壁が厚いので窓も強度を保つために厚いし少ない。重厚感があると言えるけど、ちょっと薄暗いし地味な雰囲気。その代わり、柱のデザインを凝ったり、その厚い壁を活かして、タンパンという正面入り口のアーチ部分のデザインを凝ったりしている。

ここにイスラムのテイストが混ざってくるものとかも面白いんだけど、それはまた別の機会に。

ロマネスク様式の後に技術が進んで、天井を軽く作れるようになり、天井が高くなって先っちょのとんがった塔が立ったり、壁も薄く出来るようになったので綺麗なステンドグラスがはめ込まれるようになる。その名も「ゴシック様式」という洗練されたデザインが出現してくる。それもまた別の機会に。

のりまきの簡単すぎる説明、ツッコミは無しでどうぞよろしく。


コンクのサント・フォア教会と修道院は、ロマネスク様式の最高傑作とも言われるらしい。その後に起きたゴシック様式ブームが、この山の中の小さな村コンクには届かなかったのだろうか。その辺はよく知らないが、派手で洗練された雰囲気のゴシック風に手を加えられず、ロマネスクのままドーンと構えているのがなおさら聖地感が募る。どの教会も、光を上手に取り入れていたり、夏に入ってもひんやりするのが不思議に思える。暗くても、ろうそくの灯りがロマネスク様式のこの教会によく似合う。

ミサが始まるのを待っていたら、神父さんから声をかけられて、ハングル文字で書かれた紙と日本語で書かれた紙を見せられて、「日本語はどっち?」と聞かれた。
なるほど、ヨーロピアンの中には、ハングル文字も漢字もひらがなも見分けがつかない人がいるって訳である。日本語で書かれた方を指差して、こっちが日本語ですよと伝えると、「そう。なら、ミサでは木曜日のこの欄を読んでくださいね」と言われる。

えっと。
どういうこと?

唯一の日本人に対して、ミサで祈ってくれて祝福をしてくださるというのは、どうやらミサで神父さんと並んで前に立ち、日本語で聖書(多分。よく知らないけどそれっぽい文章)を読み上げて祈ってもらうらしい。
えらい大事である。
これは困った。
緊張する。えええええ。

イッツ・ロマネスク
「贖い」って、みんな、読める??


もう一人、ドイツ人の若い男性の巡礼者もドイツ語で書かれた紙を渡されていて、読むように言われていた。
2人で「これは困ったことになったぞ」と顔を見合わせた。
ハビエルとパパに励まされて、「日本語をしっかりと聞くから頑張れ」と言われて、ステージに呼ばれ、私とドイツ人の若者と2人が神父の横に並んで立った。
業界用語がよく分かっていないので、何と呼ぶ場所なのかは知らないけど、とにかく私にとってはステージ、大舞台である。

さて。
何を読めばいいのか、とりあえず目を通してみて愕然とする。
何のこっちゃわからないー。
木曜日!
そして、コピーした紙に書かれた文字が途中で切れていて、読めない部分があるー。
読めない漢字があるー。
タイトルみたいなところは読むの?
最後の「木曜日」っていうところも声に出して読むの?

誰かー教えてー。

絶体絶命のピンチである。

結局、開き直った。
私は唯一の日本人で、おそらく日本語をペラペラに話せる人はこの場所に一人もいない。第一、日本語ペラペラの私ですらなじみのないよく分からない文章なのだから、読み間違えたって、誰にもばれるはずがないのである。
開き直って、堂々と読むことにした。

「エフェソの信徒への手紙 第4章30から32節」
神の精霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、精霊により、わざわいの日に対して保護されているのです。無慈悲、いきどおり、怒り、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒にすてなさい。

ステージで読み上げた文章


後日、日本の友人に「贖い」は「わざわい」ではなく「あがない」と読むと指摘があった。意味が真逆になってしまったが、気にしない。噛まずに読めたことで大満足であった。

ミサに参加されていた人たちからも祝福を受け、気持ちの良い巡礼旅前夜となった。
また、このミサのせいで、ジャポネーゼが巡礼者の間でちょっとした有名人になってしまい、この数日後に至るまで、道中で何人にも「あのミサの時のジャポネーゼ!」と応援していただけることとなった。
ミサの後、神父さんはもちろん、何人ものフランス人に、「あなたの読む日本語が、まるで美しい詩のようで、素晴らしい時間だったわ。」「日本語の旋律ってなんてロマンティックなの。」「初めて目の前で日本語というものを聞いた。響きが美しくて感動している。ありがとう。」と大絶賛され、抱きしめられたりもした。予想外の反応に戸惑う。
そこまで褒められると、もっと気持ちを込めて自分でも意味が分かる日本語の文章を話したかったなと思わなくもなかったが、日本語という言語を話せる自分が誇らしくもあった。
ついつい英語やフランス語が話せなくて、情けない気持ちで小さくなってしまいがちだったが、私は美しい詩のような、ロマンティックな、人々の憧れの日本語をペラペラと話せることができる選ばれし人間なのだ。
もっともっと調子に乗っていこうと思わせてもらえたミサであった。

ミサのリハーサル場面。ここに私は立って、美しいポエムを読んだ!


ミサが終わり、ちょっとしたイベントが教会の正面入り口であるので、パパと待機した。タンパン(正面のアーチ上の部分)に施された「最後の審判」についての説明をライトアップと共にしてもらう時間であった。その説明は全編フランス語で、さっぱり分からない。4年前にも説明を受けたとはいえ、記憶が薄れていたので、あとでインターネットで調べようかなと思っていたのだが、隣に立って見ていたパパが私にニコッと微笑み、スマホを取り出して何やら打ち込み始めた。
どうやら、話されている説明をGoogle翻訳でフランス語で入力し、英語に訳してくれていたのだった。何て優しいのだろう。そこまで上手じゃないスマホの扱いだったが、ゆっくり指一本で、丁寧にGoogle翻訳に入力してくれている。訳された英語も難しくはあったが、理解はできたし、それよりもその気持ちが嬉しかった。とても温かい気持ちになった。

訳:タンパンは「最後の審判」を表していて、向かって左側が善人、右側が悪人が描かれている。
日本にいる私の父にそっくりな横顔。父に似てるとGoogle翻訳を使って伝えると、
パパのGoogle翻訳に「私の祖母はモンゴリアンです」という返答が打ち出された。

真ん中のキリストの右側、向かって左側が善人。

向かって右側が悪人。
合計124人が描かれていて、一人ひとりを見ると興味深い。

文字のしたの小さいスペースにも悪魔みたいなのがいたりする。
見ごたえのあるタンパンであった。


明日から始まる巡礼路を歩く旅。
まだ始まってもいない前夜なのに、たくさん優しさをもらった気がする。
明日からひたすら歩く旅。水、食料を入れて14kgほどになる重さのバックパックがいささか心配だったが、それ以上の温かい気持ちを受け取って、逆に気持ちは軽くなった。
明日が来るのが楽しみである。

おやすみなさい、パパ。
私たちの今夜の宿、修道院。

続く・・・


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