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帰国してから25日経った。

あっという間に、帰国してから10日が経った。
日本で、時間が溶けていった。
長旅から帰ってきた人は、みんなどんな風に過ごしているのだろう。あまりそういう人を見かけないからよく分からない。疲れてぐったりして寝込むのかと思ったが、そうでもないし、旅の思い出に浸るのかと思ったが、それもあまりない。

そう書いて、下書きに保存してからまた更に2週間経って、11ヶ月に渡る世界多分一周旅を終えて帰国してから今日で25日が経ったらしい。
旅のnoteをまた書き始める前に、この25日間を振り返ってから仕切り直したいから、振り返ることにする。


帰国直後

もう帰国した時の記憶すら、いまや薄れている。

これまでの3週間程度の旅から帰ってきた時は、もっと感傷的になっていたと思う。
例えば地下鉄の駅で、スーツを着たサラリーマンが一斉に同じ方向に向かって歩いていく景色を見て怖くなったり、例えばローソンでおにぎりとからあげくんが並んでいるのを見てしみじみと日本を感じたり、3週間ぶりの日本の風呂に浸かって、黒く汚れた湯を見て心の洗濯はしたけど体はこんなに汚れてたかとびっくりしたり、自分のベッドの寝心地の良さに感動しながら眠ったり。
11ヶ月の長旅を終えてさぞかし色んな思いが浮かぶと思ったが、ほぼなかった。
からあげくんが値上げしていることに驚き(30年くらい値上げしていなかったはず)、周囲の人から聞こえてくる会話がスペイン語でもなく日本語であること、そして無意識でも意味が理解できることに驚いたくらい。
私の感受性というものは、どこかに消えてしまったのだろうかというくらい、何も感じない。

帰国後1週目


実家で父親がしている自営業を廃業することとなり、それもあって予定より少しだけ早く帰国したのだが、帰国後翌日から、父親の廃業にまつわる作業を手伝った。
旅でたくさんの山に登ったり長時間歩き続けてきて、パタゴニアの山歩きもほぼ筋肉痛もなく済んで、私の脚力に自画自賛していた。しかし、父親と半日、作業場の後片付けをしただけで首を痛めて肩が上がらなくなり、筋肉痛で翌朝起き上がるのに苦労した。
また、久しぶりに会う父親の認知能力の衰えと痩せが気になった。直近の血液検査のデータを提出させてチェックをしたり、たくさん会話をして刺激を与えるよう努めた。
それから母とスーパーに買い物に行き、妹とトルコ旅行の思い出に浸ったり、弟とUFOの話などした。
また、近くに住む親戚から帰国を祝しておこめ券をもらった。使ったことがないからどこで使えるのか調べたら、普通のスーパーマーケットで使えると知った。感謝。
1週間は我が家の近くの実家の用事に追われて、毎日が過ぎていった。
時差ボケなのかなんなのか、18時には眠くなってしまい、眠りについて午前4時半に起きる生活をしていたため、日本にいるのに誰とも生活リズムが合わない状況。でも夜明け前に目覚めると、1日が長く感じられるし、静かで好きだった。

帰国後2週目

しめちゃんといつもの居酒屋で、7ヶ月ぶりのやさぐれ会をした。
しめちゃんの会社に新しく入った派遣の子の話や、「え、あの人辞めたんか」という話を聞いたり、しめちゃんがどこかで見つけてきたらしい、世界一周中にバックパッカー同士が意気投合して結婚して2人でやっているカフェの話を聞いたりした。
私も旅で出会った人の話などをして、しめちゃんから出会った人との意気投合具合を聞かれ、「一緒に日本でカフェを経営するほど意気投合する人はいなかった」と伝えると、しめちゃんは「なーんや、そっか。」と言って、レモンサワーを飲み干した。
いつものように喋りまくって笑いまくって食べまくって飲みまくって、一緒に夜中に歩いて帰った。
全くブランクを感じないが、声が枯れてしまったので、声帯にはブランクがあったようだ。思えば、旅では7時間も誰かと喋り続けることはなかったから。
帰り際、しめちゃんのお母さんからお米を4合もらった。親戚からのおこめ券といい、無職の人にお米をサポートするのが日本の伝統なのだろうか。
素晴らしい伝統なので、私も誰かが無職になったら米をプレゼントできるよう、これから頑張りたい。

また別の日に、阪神タイガースの優勝パレードに行ってきた。
今年はずっと日本を離れていたから全くプロ野球の試合を見ていなかった私だが、それでもやっぱり嬉しい。
私が20代の時に、星野阪神時代の2005年の優勝パレードを思い出して懐かしい気持ちになる。あの時は雨が降っていた。その頃に活躍していた選手が、今はコーチとして阪神を支えているのが感慨深い。
選手に向かって前にいたおじさんおばさんが、「ほんまにありがとうなー!」と言った時と、近本選手のタオルを持った野球少年のまっすぐな眼差しを見た時に予想外に感動して、なぜだか涙ぐんでしまった。想いを勝手に感じてしまった。
帰国してから1番、私の感受性が高まった瞬間である。
帰りは神座でラーメンを食べて、大阪の町を歩いて帰ってきた。
日本に、大好きな大阪に、私は帰ってきたのだと実感した夜だった。

それ以外は何も予定を入れずただぼーっとしていたら、徐々に朝起きられなくなり、夜中まで起きる生活になっていった。普段の私。平常運転になってしまった。

帰国後3週目

ポン子さんともう1人の友達とランチに行った。旅中も毎日のようにグループLINEでくだらないやり取りをしていたので、久しぶりの感じは全くしなかった。
それから、別の友達にも会ったりして、彼女らの日常を感じながら、自分の日常がどんどん何もなく過ぎていくのを感じる。

私は本当に旅をしていたのだろうか。
そう思うこともある。
自宅の寝室で毎日眠ることが、当たり前の生活に戻ってしまった。
自宅以外で眠るのが当たり前だった11ヶ月。
自宅以外の場所で眠りたくなって、いつもの琵琶湖でソロキャンプをした。
久しぶりにバックパック(2代目チャチャ)を背負ったのが、なんだか嬉しかった。これにポイポイと荷物を詰め込む作業も、ほぼ毎日使っていたアイマスクと耳栓をつけるのも懐かしい。

そういえば、旅の間は、同じ服(乾きやすいアウトドアな服)と同じ靴(スペインで買ったHOKAのサンダル)の繰り返しで飽きてうんざりしていた。
おしゃれがしたい。
強く思っていた。
髪をブラシッングすることすら面倒くさくてやめていたが、帰国したらおしゃれな服を着て好きなブーツを履いて、髪もブローしてアイシャドウなんかも塗っちゃうからな、と強く望んでいた。
それなのに、帰国してからも、旅でずっと繰り返し着ていたモンベルのインナーとペルーのH&Mで買ったフリースとロンドンで買ったスキニーパンツを気づいたら着ている。
出かける時もHOKAのサンダルばかり履いている。
なぜか落ち着くのである。
いつもと同じものを着て、履いて、重いバックパックを背負って、自宅の寝室以外の場所の寝床を整えて眠ることがとても落ち着く。
帰国してからは髪はトリートメントをしたり、ブローはしているし、ボディーは念入りにオイルを塗りたくり手触りがガサガサのゾウの足だったのを人間に戻しているところだし、顔はちょっといい化粧水を使って、なんとか紫外線に攻撃され続けた肌を生き返らせる作業中ではあるけれど。何ならそれに1番力を注いでいるかもしれない日々だ。

琵琶湖を見ながら、インドでキャンプしたこと、本当はパタゴニアでもキャンプがしたかったなぁと思ったり、ノルウェーの湖畔で過ごした時間のことなどがぽつりぽつりと、私の心に浮かんで照らしては消えていった。

キャンプをすれば、自然と朝早く目覚めるから、昼まで寝続ける自堕落な生活を立て直せると思ったが、テントの中で目覚めたのは11時だった。体が痛くて起きた。
場所を変えても同じだった。
別に必要もないのに早起きしなくてもいいと思うが、帰国直後の4時半起きの生活は1日が長く感じられた。何かしようという気持ちを持てた。
しかし、昼過ぎまでダラダラしていると、あっという間に暗くなるので、何もできないまま一日一日が過ぎていってしまう。それが悪いこととも言い切れないけれど、行きたい方向ではないところへとただ流されている気がする。
思っている以上に、長旅の疲れというものがあるのかもしれない。
何もやる気が起きない中で、ちょこちょこ用事を入れて活動してみるが、疲れるのかもしれない。なにせ1年弱をほぼ1人で過ごしてきたので、人と会って話すのも思っている以上に疲れているのかもしれないし、終わってしまったことに向き合うのが嫌で目を背けているのかもしれない、とふと思った。

がむしゃらに部屋の片付けをし始めた。流れを食い止めたい。
しかし、それがまた悪循環となり、夜明け前まで片付けに没頭するようになり、とうとう明るくなってから眠って15時半起床のリズムが定着してしまった。
体重が帰国時点から3kg増えた。
我ながら、期待を裏切らないセオリー通りの堕落の道を辿っている。堕落まではまだいかないか。

さて。
私はいつまでこうしているのだ。
何か始めよう。
立て直そう。

12月6日の現時点ではそう決意した。
ちゃんと整理したい。
帰国してから25日経った今は、そう強く思っている、ということをここに記します。

ガーリックトースト
ポン子からもらった信州りんご
友達からもらった鹿肉ステーキ


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