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マレーシアと日本で出産した時の話

こんにちは!NORIKO@どっぷりマレーシアです。

ここでは11歳と9歳の2人の娘を、マレーシアと日本で出産した時の違いや、感じたことなど書いています。長女は2012年にマレーシアの私立総合病院で出産。次女は2014年日本へ里帰りし、私の地元の市立病院で出産しました。2回とも帝王切開での出産でした。マレーシアと日本、双方良し悪しがあり、良き人生経験となりました。


長女出産@マレーシア


長女妊娠中はいたって順調で、39週目の検診で病院に行った時に、少し羊水が漏れ出してるから、破水させて今日産んでしまいましょう!ということになった。 超ビビリの私は前々から無痛分娩をお願いしていた。マレーシアは日本よりも断然無痛分娩を選んでいる人が多いように思う。

破水させたあと、ガンガンくる痛み。子宮口が5cmに開かないと、無痛分娩の麻酔が打てないということで、ひたすら痛みに耐えたけど、子宮口5センチで私は息もできないくらい痛みが辛かった。普通分娩の人は、子宮口10センチまで耐えるなんて、ありえない!普通分娩の方、本当に尊敬でしかありません…

無痛の麻酔を背中に打ち、薬が入った瞬間、下半身がお湯に浸かったような感じで、ホワァァっとあったかくなった。そこからは全く感覚がない。陣痛の波が来ても痛みが全くないので、ベッド横に置かれた機械に出るベビーの心拍数の数値だけが頼り。 陣痛の数値が高くなる度に娘の心拍が下がる。どうやらへその緒が巻きついているらしく、このままでは危ないということで緊急帝王切開に。帝王切開で産むとはその瞬間まで全く想定していなかったので驚いたけど、もう無事に生まれてくるのだったら何でもやってくれ~という気持ちだった。 そしてあれよあれよと手術は進み、主治医の「コングラチュレーションズ!!」の大声とともに娘は誕生したのである。

その数時間後から麻酔が切れ出し、お腹を切った痛みが襲ってくる。 しかし、痛いと言えばお尻にブスッと痛み止めの注射を打ってくれるので、生理痛のちょっとひどいぐらいの痛みで全然我慢できた。ほぼ私が願った通りの「無痛」での分娩となったのである。

ところが、入院中は悲惨だった。母乳が上手にあげられない新米ママの私と、上手に母乳が飲めない生まれたてベビーの娘との格闘が24時間続く。母乳指導のナースがいたが、文句を言いに来るだけで指導というようなことは何もしてくれない。産後の母性本能であろうか、自分の娘を誰にも預けたくないという気持ちがあり、本来は体を休めなければいけないのだろうけど、新生児室に娘を預けることなくずっと自分の部屋で見ていた。母乳が足りないからすぐ泣く娘の横で、余裕のない寝不足の私もボロボロ泣いていた。

マレーシアの入院していたベッド

1日でも早く退院したいのに「黄疸が出たからあと1日入院延期」と言われた時には、子供のように大泣きして「もうここから出して家に帰らせて」と担当医に泣いて訴え、ほぼ無理やり退院した。

自分の家に戻ると、入院中は何だったのかというぐらい母乳が出て、娘も落ち着き、少しずつではあったが1つ1つの育児を楽しめるようになった。異国での初めての出産・入院生活で、大きなストレスを知らぬ間に感じていたのだろう。

次女出産@日本

その2年後、今度は日本で里帰り出産することになった。海外で帝王切開をした私を受け入れてくれたのは大きな市立病院のみ、そして予定帝王切開以外の選択肢は無かった。そうして、担当医のスケジュールで次女の誕生日は決まったのである。

長女の出産の時、産後も痛みはほとんどなかったし、何より日本にいるという安心感が半端なかった為、出産に向けての恐怖は全くなく「病院が生ませてくれる」って感じで手術予定日まで余裕だった。

帝王切開当日。「のりこさんはマレーシアの人だから」と言って南国風のBGMをかけながら、担当医と補佐のドクター2人が、終始穏やかなムードで帝王切開の手術をしてくれた(日本の病院はみんなそうなんだろうか?マレーシアでは緊急帝王切開だったからか、BGMなんてなかったのに。この手術室の一コマだけは、日本のほうがよっぽどマレーシアっぽかった(笑)。
そして何の心配もなく、南国風BGMの中「おめでとうございます!!」の大きな声と共に、次女はあっという間にお腹から出てきたのである。

部屋に戻り数時間して、あのじわじわとお腹を切った痛みが始まる。痛み止めは点滴だった。あれ?これ効いてる? 痛み止めを入れてるはずなのに、長女の時とは全く違う激痛が走る。まさに「ハラキリ」の痛みである。ちょっと!この痛み止めちゃんと効いてる?すっげえぇぇぇぇ痛いんだけど?!ここでやっとわかるのである。マレーシアの痛み止めがどれだけ強い薬だったか。そっか。だからあんなに震えが止まらなかったのか。妙に納得。

あまりに痛すぎて、息を吸うのにもお腹を動かすのも痛い状態なのに、 「O沢」という名札を付けた小柄な看護師が何度も来て、癒着を防ぐためとかでお腹をグイグイ揉んでいくんですよ!!そんなことマレーシアでは1回もやらなかったのに!! 何なのこの日本のルール!! 
O沢がごめんなさいね、10秒だけですからと言って、悶絶して10秒耐える。切り口開いているんじゃないかと思うくらい容赦なくもむO沢。10秒カウントを最後の方あからさまにゆっくりカウントするO沢の細い腕を掴んで、「すいません、死んじゃいます、もうやめてくださいぃぃぃ」と訴える。あれは本当にきつかった。

息も吸えないから酸素マスクをつけられた。人間って痛い時ってドタバタしたいもの。なのに1mm たりとも動けなくて、それも辛さを助長させた。病院の単調模様の天井を見つめながら「いいか、のりこ!覚えておけ!!この痛み絶対に覚えておけ!痛みをいつしか忘れて3人目が欲しいなんて死んでも思うなよぉぉ」と自分に話しかけていた。はい、今でもちゃんと覚えています。3人目怖くて考えられませんでした…

日本は痛み止めが弱かったことと、謎の癒着防止マッサージ以外は全てマレーシアに勝利!!病院食も美味しい、看護師も優しい(O沢もきっと優しい人)、授乳室では友達がたくさんできた。みんなでワイワイ話しながら、赤ちゃんにおっぱいをあげる時間が最高に楽しかった。
出産・育児経験があるという事も、自分の心の余裕につながっていたのかな、とも思う。その余裕が、子供にも伝わって子供も穏やかだったのだと思う。

日本入院中のお祝い膳。幸せすぎた~

マレーシアの入院中は泣いてばかりいたけど、日本の入院中は、子供が生まれてきたこと、家族が4人になったこととかやたら感動してしまって、感動の涙、うれし涙をたくさん流した。

終わりに

私にとって2つの大切な国で、大切な娘2人を出産することができた事は、とても意味のあることだったと感じる。いろいろとあったけれど、何ごともなく元気に生まれてきてくれたことに、ただただ感謝。
この母の出産ストーリーを、よく娘たちにも話すのだけど、次女は「そんな痛い思いさせてごめんね。」と泣いてくれたことがある。驚きと、感動を覚えながら私は、「そんなこと、全く無いんだよ。あなたに出会えたことがパパとママにとって人生で最高の幸せ。あなたたち2人は最高の宝物なんだよ。生まれてきてくれてありがとうね。」と伝えた。これが私の偽らざる思いだ。


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